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 AFP 発信地:ラファ/パレスチナ自治区 [ パレスチナ自治区 イスラエル 中東・北アフリカ ]

自宅は砲撃で破壊…がれきの中で生き抜く日々 ガザ地区南部

【11月10日 AFP】パレスチナ自治区ガザ地区(Gaza Strip)で紛争が始まって以来、アマル・ロバヤさんは毎朝8時に家族で避難している国連(UN)の学校を出て、食料を探しに行く。

「朝起きて最初に考えるのは、きょうはどうやって子どもたちに食べさせるかということです」とAFPに語った。夫、子ども6人、義理の娘、そして孫2人が待っている。

 ガザ地区を実効支配するイスラム組織ハマス(Hamas)がイスラエルを奇襲した先月7日以来、ガザは報復を宣言したイスラエル軍の絶え間ない砲撃にさらされている。

 このため、ロバヤさんの家族を養うための日々の外出は命がけとなっている。

 学校から自宅へ向かう途中の南部ラファ(Rafah)のシャブラ(Shabura)地区で、食料を求めてがれきの間を丹念に探り、パン用の小麦粉を持っている隣人がいないか探す。

 息子のスレイマンさん(24)は朝一番で近くのベーカリーに行き、順番を確保しておく。それから急ぎ、給水所へ行く。

「開店時間にベーカリーに戻る前に、水を入れた水筒を1、2本用意しておく」とスレイマンさん。「運がよくて2時間で、4、5時間かかることも多い」からだ。

 パンが手に入る保証もない。ロバヤさんは「家族で交代で並んでいる。2日前には4時間半も並んだのに、順番が来たらパンがもうないと言われた。子どもちのために少しでもいいからと頼んだけどだめだった」

 イスラエル当局によると、ハマスによる攻撃では1400人が死亡、約240人が拉致された。一方、ガザ保健当局によると、ハマス殲滅(せんめつ)をうたうイスラエルの報復攻撃では、多くの子どもを含む1万800人以上が死亡している。どちらの死者も大半は民間人だ。

 ロバヤさん一家が住んでいた集合住宅は、イスラエル軍の初日の砲撃で破壊された。「息子の仕事に必要な荷車を引いていた馬まで殺された」

 

■貴重な水

 一家は、かつて自分たちの住まいだった場所に積もるがれきの中でこの日を過ごした。

 そこへ小麦粉の入った小さな袋をトロフィーのように掲げて、義理の妹のネスリンさん(39)が現れた。2人はすぐに仕事に取り掛かった。小麦粉と水を混ぜ、一人が生地を練り、もう一人ががれきの中から段ボールやまきを探し出し、平たいパンを焼くための火をおこした。

「見て!私もお手伝いしてるよ」と叫んだ9歳のビラルちゃんは、むきだしとなったコンクリートの上に洗濯物を広げていた。

 水もわずかしか手に入らない。洗濯用、シャワー用と少しずつ慎重に使わなければならない。

「洗濯は4、5日おき。水がなくて、もっと間があくこともある」。ロバヤさんはがれきの中に残ったバスルームを指さしながら言った。「でも、コンクリートの破片が頭に落ちてこないか、気が気ではない」

 夫のイメドさんは子どもたちを退屈させないようにアラブの伝統的な笛「ネイ」で、パレスチナの古い歌や今風の曲を吹いている。

■何よりも子どもたちに

「ウード(弦楽器)はがれきの下に埋もれてしまったが、少なくとも笛があれば元気が出るし、子どもたちを笑顔にできる」とAFPに語った。

 午後までに一家は27リットルの水、500グラム入りのパスタ袋、ソースの入ったパックを確保することができた。

「まず、子どもたちに食べさせる」とイメドさん。子どもや孫たちが皿を持って並び、何口か食べるとすぐになくなってしまった。

 食後、両親は自分たちに一杯ずつお茶をいれた。わずかな粉茶も最後まで残せない。

 ドローンの音が大きくなり、暗闇が迫る中、一家は国連の学校へ戻った。「毎日、前の晩より少しずつ寒くなっているのに、子どもたちの防寒着がない」とロバヤさんは嘆く。

「子どもたちはあまり眠らない。眠れたとしても、夜中に悲鳴を上げながら目を覚ます」とネスリンさんは話す。「だから、私は家の近くへ帰れる日の出を待って夜を過ごしている」 (c)AFP/Mai Yaghi