30kmの呪い          (上)(2回の連載)
 | 『被曝させられ、差別され、家やお金を失い、友を失う
 | 心に刺さった傷は癒えることなく、家族の絆さえ引きちぎる
 | それが、原発事故です』
 | 11/1(水)日本原電・東京電力本店前での避難者スピーチ
 └──── 鴨下美和(福島原発被害東京訴訟)

◎ お集りの皆さま、そして日本原電の皆さま、こんにちは。
 私は、福島県いわき市から、東京に避難した鴨下美和と申します。
 今朝、私は、友人に、この『安定ヨウ素剤』を送りました。2011年3
月18日に、いわき市が市民に配布したのと同じものです。原発が事故を
起こした際に噴き出す、放射性ヨウ素。この薬は、有害な放射性ヨウ素
が、体内に取り込まれるのを抑えるためのものです。
 薬に添えた手紙には、こう書きました
『絶対に、この薬が使われることのない様、祈りつつ、安定ヨウ素剤を
お送りします。そこは、福島第一原発からは44kmでしたが、東海第二
原発からは68kmです。もしも原発に何かが起きたら、迷わずこの薬を
飲みながら、少なくとも300kmは逃げてください。』

◎ 「原発を再稼働する」 というのは、そういうことです。
 私は、この薬が二度と使われないように、という祈りを携えて、
今日、ここに来ました。
 私がこの薬を送ったのは、福島県いわき市に住む、大切な友達です
 いわき市は、1999年のJCO事故に危機感を抱き、独自に市民のため
に、安定ヨウ素剤を備蓄していました。
 しかし、残念ながら、「服用のマニュアル」が作られていなかった
め、多くの人は、折角配布されたヨウ素剤を飲むことができませんでした。
 安定ヨウ素剤の配布の訓練をしていたのは、もっと原発に近い、わ
かな自治体だけでした。

◎ しかし12年前、壊れた原発が噴き出した放射性物質は、250km離れ
た東京にも毒の雨を降らせ、土や水道水を汚染しました。知識の足りな
かった私は、せっかく福島から避難したにも関わらず、あの日の東京の
雨から、土から、子どもを守れませんでした。
 あの事故によって、計り知れないほど多くの人が、知らぬうちに被
させられました。放射能を含む風は東日本を広く吹き荒れましたが
国は、ごくごく狭い範囲にしか避難指示を出さず、あろうことか汚染の
隠蔽を図り、無責任な安全報道を歓迎し、自主的な避難さえ妨げたのです。

 原発を再稼働する基準のひとつ、『30km圏内の避難計画』と聞くた
びに、胸が痛みます。私の避難元は原発から44km。正にこの12年間、
私たちを苦しめてきたものが、この30kmの呪いだったからです

◎ 当時のいわき市内には、30μSv/hを超える場所がざらにありまし
た。信じられない程のおびただしい放射能汚染です。しかし、それを訴
える私達は、デマを流す加害者であるかのように蔑まれました。30km
の円の外側の汚染は、無いことにされたのです。
 あの日以来、壊れた原発から30kmの線上に、分断の呪いが作られ、
その内外で差別やいじめが生じ、私達は避難の苦しみ以上に、その分断
によって苦しみました。

◎ 12年たった東京ですら、今も放射能汚染が残っているにも関わら
ず、わずか30kmの円の外側から避難したというだけで、私達は、まる
で『無いものを恐れる、無知で神経質な人たち』のように、扱われ、差
別され、攻撃に晒されました。
 その差別の先頭に立ったのがほかならぬこの国です。
 ことあるごとに30km圏内の避難者と差別し、避難住宅も早々に打ち
切りました。
 その被害を全く認めていないことは、賠償額からも明らかです。
                        (下)に続く