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10.31メッセージ

 今年の極夏もやっと峠を越えたものの、熱中症、新型コロナ、インフルエンザが猛
威を奮いました。支援者皆様方におかれましては、いかがお過ごしでしたでしょう
か?私は元気そのものであります。

 ただ、新型コロナ感染が拡大し、俳優の志村けんさんが新型コロナに感染し、急死
されたこともあり、私も高齢のうえ糖尿病の持病もあることから、支援者皆様方には
申し訳なく思いつつ、「生き抜いて冤罪を晴らす」ために、この2~3年、極力外出
を控えさせて頂きました。また最近特に、目が見えにくくなり、階段等で転んだこと
もあったので、遠くの集会等に支援のお願いに出ていくことも遠慮させて頂いており
ます。

 その間にも、支援者皆様方には、高裁に鑑定人尋問を求める署名を51万筆以上集め
て頂いたり、「狭山の闘いを止めない」と高裁前アピール行動や各地での集会やスタ
ンディング、座り込み、23デーの取り組み等を続けて下さっていたことは、私をどれ
ほど奮い立たせ、また希望を頂いたかしれません。

 なにはともあれ、今は、第3次再審闘争の最重要な局面を迎えており、57回目の三
者協議も来月に予定されていますが、現在の状況を直視すれば、大野裁判長の退官は
12月に迫っている由で、事実調べ・再審開始の可否の判断は、次の裁判官に託すにし
ても、それほど時間はかからず判断されるものと思われます。

 49年前の寺尾確定判決の一部を引用すると「いやしくも捜査官において所論のうち
重要な証拠収集過程においてその1つについてでも、弁護人が主張するような作為な
いし証拠の捏造が行われたことが確証されるならば、それだけでこの事件は極めて疑
わしくなってくる」とあり、そうであるならば、鑑定人尋問の必要はないと主張する
検察に対し、裁判官は毅然とした態度で鑑定人尋問を行うことが求められています
し、また、職権でインクの鑑定をして頂きたく切に願っています。

 私自身は、確定判決のあげた証拠に対して、つぎのような疑問を追及することも重
要ではないかと思っています。

 その一つは、解剖鑑定では被害者の死亡時刻は食後最短で三時間というように判断
されておりますが、被害者の解剖結果によると胃に250CCもの残留物があり、担任
教師によれば、昼の給食は12時5分ごろ終わったと述べており、当日給食に出ていな
いトマトも残留物に含まれていた由であり、確定判決のストーリーと食い違うという
点です。

 2点目は、人間が死ねば重力によって血液は下に下がり、死斑が発生し、その死体
を動かしても8~10時間経過していると消えないと言われております。死体の腹部、
背部の両側に赤い斑点(死斑)があったそうですが、私を犯人とするならば、5時間
以内に動かしたことになりますので、背中に斑点(死斑)が存在していたということ
は時間的におかしいのです。

 確かに確定判決の7点の情況証拠、秘密の暴露と自白を完全に潰し、事実調べ・再
審開始を求めるのが一番と思われますし、そのように戦われていることは承知してお
りますが、その都度、検察は時間をかけて反論等を提出してくるので、いたずらに時
間が過ぎ、その結果、私の命が失われていくことになります。こうした検察官のやり
かた(再審妨害)を止めるには、やはり再審法の改正しかないのかもしれません。

 第3に万年筆の件は今更私が申し上げる迄もありませんが、弁護団の皆様方には、
何時如何なる時でも長期間に渡って多大なご尽力、ご協力を賜っていることに、心か
ら敬意と感謝の念で一杯ですが、私が逝ってから無罪を勝ち取っても遅いので、つい
泣き言、愚痴を零(こぼ)してしまいました。

 事実調べ・再審開始の可否の判断を次の裁判官に委ねることになっても、支援者、
弁護団の皆様方と共に奮闘して参る決意は変わりませんが、何卒、皆様方も、今次の
再審闘争に全勢力を傾注して下さいますよう伏してお願い申し上げます。

 先の見通せない中で、寺尾不当判決糾弾集会が全国各地で開催されている訳です
が、私も年齢的にみて今次の第3次再審請求にかけており、全国の支援者皆さん方の
ご支援、ご協力に応えるべく、全身全霊で闘い抜くことをお誓いして寺尾不当判決か
ら49年を迎えての決意とさせていただきます。

2023年10月

寺尾不当判決49カ年糾弾・狭山再審要求集会

ご参加ご一同様

石川 一雄

 

 

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貧困、無学、逮捕、死刑判決…「被差別部落」に生まれただけで本当に起こった悲劇(レビュー)

『被差別部落に生まれて 石川一雄が語る狭山事件』黒川みどり[著](岩波書店)

 

 袴田巖さん(87)と、本書が扱う「狭山事件」の石川一雄さん(84)は、究極のマイノリティである。無実でありながら凶悪な殺人犯の濡れ衣を着せられ、ともに一度は死刑判決を受け、長く世の中から抹殺されてきた。獄中生活は袴田さんが48年間、石川さんは32年間にもおよぶ。

 

  1963年5月1日、埼玉県狭山市で女子高生が行方不明となり身代金要求の脅迫状が自宅に届いた。身代金を受け取りに来た犯人を、40人態勢の警察は取り逃がす。2日後、女子高生は遺体で発見。大失態を犯した警察は、被差別部落の中に犯人がいるという予断のもとに捜査。部落出身の石川さんを別件逮捕、嘘の自白を強いて凶悪犯にでっち上げた。事件から今年で60年。石川さんの心はいまなお塀の中に閉じ込められたままである。日本近現代史の研究者である著者。本書の表紙袖にはこうある。「被差別部落に生まれた、ただそれだけの理由で石川一雄は殺人犯として逮捕された」。 

 

 

 貧困で無学に苦しんだ生い立ち、獄中生活とその後の長い闘い。石川さんの半生を丹念に辿りながら、部落差別が冤罪を生み出した構図を浮き彫りにしているのが本書である。 〈私にとって生命とは、真実をつらぬくということであります〉との石川さんの一文に、著者は言う。 「一雄は、文字を獲得することによって、『虐殺』に遭った状態から生命を回復し、自らの文章でひたすら真実を訴えるという挙に出たのである」  袴田巖さんとは浅からぬ縁があった。一審で死刑判決を受けた石川さんは巣鴨の東京拘置所に収監、死刑判決に控訴した袴田さんも移送。当時の房は自由に行き来が可能だった。 

 

 石川さんは評者にこう語った。 「一審で死刑判決を受けた者同士、冤罪なんだからがんばろうと励まし合ったものです。袴田さんの前向きな姿勢に負けられないと気持ちを強く持ちました」  無期懲役に減刑された石川さんは94年に仮釈放され、確定死刑囚・袴田さんも2014年の再審開始決定で釈放。死刑が目前にあった2人が、娑婆で旧交を温める感動の場面があった。

 

  過去の悲劇に学び、それを繰り返さないことが歴史を学ぶ意義の一つ。だが、冤罪事件は一向になくならない。捜査側の証拠捏造など邪な企図と悪知恵小知恵の限りが見え隠れしている。

 

  石川さんの無実の証拠も本書は詳述している。国家権力に真正面から闘いを挑む石川さんに、一刻も早く光が差すことを待ちたい。

 

 [レビュアー]青柳雄介(ノンフィクション・ライター) あおやぎ・ゆうすけ1962年東京都生まれ。事件や福祉、司法を取材し、2014年からは「袴田事件」の袴田巖氏の密着取材を続ける。昨年、脳梗塞に倒れるもリハビリの末に復帰。『サンデー毎日』で生還記を連載中。 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮