ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
10.31メッセージ
今年の極夏もやっと峠を越えたものの、熱中症、新型コロナ、イン
威を奮いました。支援者皆様方におかれましては、いかがお過ごし
か?私は元気そのものであります。
ただ、新型コロナ感染が拡大し、俳優の志村けんさんが新型コロナ
されたこともあり、私も高齢のうえ糖尿病の持病もあることから、
申し訳なく思いつつ、「生き抜いて冤罪を晴らす」ために、この2
を控えさせて頂きました。また最近特に、目が見えにくくなり、階
もあったので、遠くの集会等に支援のお願いに出ていくことも遠慮
ます。
その間にも、支援者皆様方には、高裁に鑑定人尋問を求める署名を
て頂いたり、「狭山の闘いを止めない」と高裁前アピール行動や各
ンディング、座り込み、23デーの取り組み等を続けて下さってい
ほど奮い立たせ、また希望を頂いたかしれません。
なにはともあれ、今は、第3次再審闘争の最重要な局面を迎えてお
者協議も来月に予定されていますが、現在の状況を直視すれば、大
12月に迫っている由で、事実調べ・再審開始の可否の判断は、次
ても、それほど時間はかからず判断されるものと思われます。
49年前の寺尾確定判決の一部を引用すると「いやしくも捜査官に
重要な証拠収集過程においてその1つについてでも、弁護人が主張
いし証拠の捏造が行われたことが確証されるならば、それだけでこ
わしくなってくる」とあり、そうであるならば、鑑定人尋問の必要
検察に対し、裁判官は毅然とした態度で鑑定人尋問を行うことが求
し、また、職権でインクの鑑定をして頂きたく切に願っています。
私自身は、確定判決のあげた証拠に対して、つぎのような疑問を追
要ではないかと思っています。
その一つは、解剖鑑定では被害者の死亡時刻は食後最短で三時間と
されておりますが、被害者の解剖結果によると胃に250CCもの
教師によれば、昼の給食は12時5分ごろ終わったと述べており、
いトマトも残留物に含まれていた由であり、確定判決のストーリー
点です。
2点目は、人間が死ねば重力によって血液は下に下がり、死斑が発
を動かしても8~10時間経過していると消えないと言われており
背部の両側に赤い斑点(死斑)があったそうですが、私を犯人とす
以内に動かしたことになりますので、背中に斑点(死斑)が存在し
は時間的におかしいのです。
確かに確定判決の7点の情況証拠、秘密の暴露と自白を完全に潰し
審開始を求めるのが一番と思われますし、そのように戦われている
りますが、その都度、検察は時間をかけて反論等を提出してくるの
間が過ぎ、その結果、私の命が失われていくことになります。こう
かた(再審妨害)を止めるには、やはり再審法の改正しかないのか
第3に万年筆の件は今更私が申し上げる迄もありませんが、弁護団
何時如何なる時でも長期間に渡って多大なご尽力、ご協力を賜って
ら敬意と感謝の念で一杯ですが、私が逝ってから無罪を勝ち取って
泣き言、愚痴を零(こぼ)してしまいました。
事実調べ・再審開始の可否の判断を次の裁判官に委ねることになっ
弁護団の皆様方と共に奮闘して参る決意は変わりませんが、何卒、
再審闘争に全勢力を傾注して下さいますよう伏してお願い申し上げ
先の見通せない中で、寺尾不当判決糾弾集会が全国各地で開催され
が、私も年齢的にみて今次の第3次再審請求にかけており、全国の
ご支援、ご協力に応えるべく、全身全霊で闘い抜くことをお誓いし
ら49年を迎えての決意とさせていただきます。
2023年10月
寺尾不当判決49カ年糾弾・狭山再審要求集会
ご参加ご一同様
石川 一雄
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
貧困、無学、逮捕、死刑判決…「被差別部落」に生まれただけで本当に起こった悲劇(レビュー)
『被差別部落に生まれて 石川一雄が語る狭山事件』黒川みどり[著](岩波書店)
袴田巖さん(87)と、本書が扱う「狭山事件」の石川一雄さん(84)は、究極のマイノリティである。無実でありながら凶悪な殺人犯の濡れ衣を着せられ、ともに一度は死刑判決を受け、長く世の中から抹殺されてきた。獄中生活は袴田さんが48年間、石川さんは32年間にもおよぶ。
1963年5月1日、埼玉県狭山市で女子高生が行方不明となり身代金要求の脅迫状が自宅に届いた。身代金を受け取りに来た犯人を、40人態勢の警察は取り逃がす。2日後、女子高生は遺体で発見。大失態を犯した警察は、被差別部落の中に犯人がいるという予断のもとに捜査。部落出身の石川さんを別件逮捕、嘘の自白を強いて凶悪犯にでっち上げた。事件から今年で60年。石川さんの心はいまなお塀の中に閉じ込められたままである。日本近現代史の研究者である著者。本書の表紙袖にはこうある。「被差別部落に生まれた、ただそれだけの理由で石川一雄は殺人犯として逮捕された」。
貧困で無学に苦しんだ生い立ち、獄中生活とその後の長い闘い。石川さんの半生を丹念に辿りながら、部落差別が冤罪を生み出した構図を浮き彫りにしているのが本書である。 〈私にとって生命とは、真実をつらぬくということであります〉との石川さんの一文に、著者は言う。 「一雄は、文字を獲得することによって、『虐殺』に遭った状態から生命を回復し、自らの文章でひたすら真実を訴えるという挙に出たのである」 袴田巖さんとは浅からぬ縁があった。一審で死刑判決を受けた石川さんは巣鴨の東京拘置所に収監、死刑判決に控訴した袴田さんも移送。当時の房は自由に行き来が可能だった。
石川さんは評者にこう語った。 「一審で死刑判決を受けた者同士、冤罪なんだからがんばろうと励まし合ったものです。袴田さんの前向きな姿勢に負けられないと気持ちを強く持ちました」 無期懲役に減刑された石川さんは94年に仮釈放され、確定死刑囚・袴田さんも2014年の再審開始決定で釈放。死刑が目前にあった2人が、娑婆で旧交を温める感動の場面があった。
過去の悲劇に学び、それを繰り返さないことが歴史を学ぶ意義の一つ。だが、冤罪事件は一向になくならない。捜査側の証拠捏造など邪な企図と悪知恵小知恵の限りが見え隠れしている。
石川さんの無実の証拠も本書は詳述している。国家権力に真正面から闘いを挑む石川さんに、一刻も早く光が差すことを待ちたい。
[レビュアー]青柳雄介(ノンフィクション・ライター) あおやぎ・ゆうすけ1962年東京都生まれ。事件や福祉、司法を取材し、2014年からは「袴田事件」の袴田巖氏の密着取材を続ける。昨年、脳梗塞に倒れるもリハビリの末に復帰。『サンデー毎日』で生還記を連載中。 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮