臨界事故を忘れない!「追悼と抗議」の集会にご参加を
日 時:9月30日(土)午前10時~11時
場 所:経済産業省別館前
(飯野ビル側:「経産省前テントひろば」の反対側)
内 容:経過説明
抗議アピール
黙祷(事故発生時刻 10:35~)
献花-追悼の花を用意します。
よびかけ:たんぽぽ舎
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
JCO臨界被曝事故から24年
再び東海村で原子炉「常陽」が稼働するのか
高濃度ウラン燃料製造工程で起きた臨界事故
山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)
◎JCO臨界被曝事故から24年
茨城県東海村の核燃料加工会社「ジェー・シー・オー(JCO)」
1999年9月30日午前10時35分頃、日本で初めての大規模
日本で初めて住民に対し避難指示が出され、JCOを中心に半径3
当時、東海村の村長だった村上達也さんは、この事故を契機に原発
現在の山田修村長は職員向けの訓話で「原子力防災への対応は、本
(JCO臨界事故から24年目を迎えて・東海村HPより)
しかし人口密集地帯の東海村で、東海第二原発、「常陽」の再稼働
JCO事故とは比べものにならない原子炉災害で、全住民を避難さ
◎JCOとはどのような会社だったのか
原発の核燃料および核兵器開発は、ウラン鉱石を採掘するところか
始まる。
日本にはウラン鉱山は既になく、全量を輸入しているが、鉱石で運
海外で精錬加工して、ウラン濃縮する直前にある「六フッ化ウラン
そのうち、ウラン濃縮を終えた段階の六フッ化ウランを燃料加工で
JCOは事故前年に社名を変更しているが、その前は「日本核燃料コンバージョン」と言っていた。
この名前であれば、コンバージョンはそもそも転換という意味なので、直ちに核燃料会社の事故であるとピンときたのだが、最初は「
この会社は、通常時は原発の燃料加工で「六フッ化ウランを二酸化
しかし事故時は異なっていた。扱っていた燃料(硝酸に溶けたウラ
◎「常陽」の燃料製造
一般の原発はウラン235の濃度を3から5%で使用する。核燃料
一般に核分裂性ウランと呼ばれる235はわずかしか含まない。こ
JCOでは、常に原発の燃料である3から5%の燃料を扱う設備が
ところがJCOは動力炉・核燃料開発事業団(当時)から「常陽」
ウラン濃度が高まれば、核分裂反応が連鎖的に起こる「臨界」に達
それを防ぐには質量管理と形状管理が必要なのだが、JCOは動燃
中性子を浴びて最も近くにいた2名が致死量の17~10シーベル
◎被害の規模と影響
最初に臨界が発生した段階で、大量の中性子線が建屋を突き抜けて
その後も臨界は続いた。ほぼ1日、20時間続いたとされる。
臨界を止める方法は、設備には何もなかった。もともと臨界発生な
そのため、建物の外部から接近し、沈殿槽の外周を取り巻く冷却ジ
沈殿槽はほぼ円筒形で、下半分を冷却ジャケットが囲む二重底の構
いわゆる「決死隊」が組織され、冷却ジャケットにつながっている
これが功を奏したのか、午前6時30分頃に臨界は止まったとされ
その作業により、100ミリシーベルトほどの被曝をした従業員が
これは、その後に起きる福島第一原発の「ベントバルブを作動させ
◎住民被曝と裁判
東海村の村上村長は、30日15時にJCOから半径350mの住
事故の際、約150m離れた工場で仕事をしていて被曝した大泉昭
最終的に2010年5月13日最高裁により却下され、敗訴という
この裁判で主張された様々な健康影響は、その後の福島第一原発事
◎東海第二原発と高速炉「常陽」を廃炉に
事故の元となったのは高速増殖実験炉「常陽」の燃料製造(均質化
この原子炉は、原型炉「もんじゅ」の開発のために動力炉・核燃料
しかし「常陽」については、高速炉の開発や核のごみ処理として活
東海第二原発に加え、通常の原子炉よりも高濃縮燃料を使う「常陽
◎24年目のJCO臨界被曝事故の教訓
現在、国は、原子力事故の責任を認め、教訓を引き出すどころか、
さらに経済性を失っているプルサーマル強行に加え、その使用済燃
既に終わった計画である高速炉開発や真意不明の核のごみ処理など
今すぐ核兵器開発に着手することがなくても、将来そのために必要
集団的自衛権の行使容認や日米韓にNATO諸国まで加えた台湾有
それが現実化しつつあることを考えれば、「常陽」についても、こ
この事故を忘れない、風化させないことが原発事故を防ぐ大切な要
☆「9・30臨界事故24周年行動」