軍事拡大・略奪外交G7にEUもおんぶ広島サミットきょう開幕
沖縄戦で負けても
被爆国なのに、核兵器禁止条約すら批准していない弾圧国家日本
沖縄戦 1945年3月末から6月末にかけて、日本軍とアメリカ軍が沖縄本島を中心に激しい戦争をしました。沖縄戦です。この戦いで、多くの兵士が戦死しました。さらに、一般の住民が戦闘に巻き込まれ、貴い命を失いました。一般住民の犠牲者数は、戦死した兵士の数を大きく上回ります。幼い子どもたちも死んでしまいました。
沖縄の人々は戦争を望んだわけではありませんでした。しかし、「本土防衛」を目的に日本軍の基地や陣地が沖縄本島や離島に建設されました。日本軍の戦争準備には多くの県民が駆り出されました。そこへ米軍が上陸し、戦場となってしまったのです。なぜ、沖縄が激しい戦争の舞台とならなければならなかったのか。その結果、どのような悲しい出来事が起きてしまったのでしょうか。
絶対国防圏の中の不沈空母
1943年9月、日本は本土防衛のために確保しなければならない区域として「絶対国防圏」を決定しました。千島列島からマリアナ諸島、ビルマなどを結ぶ広大な防衛線で、戦争を行うための資源などを確保するのが目的でした。これにより日本の南西諸島の防衛が強化され、また空の作戦を優位に進めるための「制空権」を奪い返すために、沖縄の各地で「不沈空母」(沈まない空母)として飛行場を建設します。周辺離島も含め十数カ所に飛行場を造りました。
44年3月22日に日本軍は第32軍を組織しました。この年の夏から日本軍の部隊が続々と沖縄に配備されます。
米軍の上陸を前に撮影した日本軍第32軍の集合写真
=1945年2月(沖縄県公文書館所蔵)
1944年6月以降、米軍は日本の「委任統治領」だったサイパン島、テニアン島に攻め込み、ロタ島にも空襲を加えました。激しい戦闘に沖縄の人々が巻き込まれ、犠牲となったのです。
南洋群島の戦争は米軍が勝利し、1941年12月の奇襲攻撃で始まった太平洋戦争に日本が負けることは決定的となります。南洋での戦争は沖縄住民に大きな衝撃を与え、戦争への恐怖をかきたてました。
南洋の島々での戦闘にアメリカ軍が勝ったことで、アメリカ軍が沖縄を攻撃する恐れが一層強まりました。日本軍とアメリカ軍が日本本土で戦う「本土決戦」の可能性も出てきました。
そこで日本政府は7月、戦場になるかもしれない沖縄の住民を本土や台湾へ疎開させることを決めます。ところが制海権を失ったなかでの船での疎開は危険が伴いました。疎開する子どもたちを乗せた「対馬丸」は1944年8月21日、約1700人を乗せ、九州を目指して那覇の港を出発しました。ところが「対馬丸」の動きをアメリカ軍は知っていました。22日夜、鹿児島県悪石島の沖合で、アメリカ軍の潜水艦「ボーフィン号」による魚雷攻撃を受けて「対馬丸」は沈んでしまい、約1500人が犠牲となりました。
「第二次世界大戦」「大東亜戦争」と何が違う? 12月8日に開戦した「太平洋戦争」とは
1941年12月8日(日本時間)、日本軍が米・ハワイの真珠湾などを奇襲し、太平洋戦争が開戦しました。どのような戦争だったのでしょうか?
日本時間の1941年12月8日(現地時間では12月7日)、米太平洋艦隊の基地がある米・ハワイの真珠湾上空を飛ぶ日本軍の戦闘機。真珠湾は攻撃を受け、炎上している。(写真:U.S. Navy/アフロ)
1941年12月8日、日本軍は英領マレー半島と米・ハワイの真珠湾を奇襲しました。これをきっかけとして米国、英国、オランダ、オーストラリアなどの「連合国」と日本との間で戦われた戦争が「太平洋戦争」と呼ばれています。また、近年は戦闘が行われた地域をより具体的に示すために「アジア太平洋戦争」と呼ぶこともあります。 日本軍は開戦から半年で東南アジアのほぼ全域と太平洋の広い地域を勢力下におきました。しかし、ミッドウェー海戦(42年6月)やガダルカナルの戦い(42年8月~43年2月)などで敗れ、劣勢になっていきます。 44年秋ごろからは連合国による日本本土への空襲が本格化します。45年3月10日の東京大空襲では一晩で10万人が犠牲になりました。さらに、8月6日に広島、9日には長崎に原爆が投下されました。そして、昭和天皇が降伏を決断します。日本は14日に米英中首脳による降伏勧告(ポツダム宣言)を受諾。翌15日に終戦を迎え、3年8か月におよんだ戦争が終わりました。
「第二次世界大戦」「大東亜戦争」と何が違う?
「太平洋戦争」と似た文脈で使われる言葉として「第二次世界大戦」「日中戦争」「大東亜戦争」「15年戦争」などがあります。それぞれ、どのように違うのでしょうか? (1)第二次世界大戦 米英などの「連合国」と、日本・ドイツ・イタリアを中心とする「枢軸(すうじく)国」が対立し、欧州からアジア太平洋地域まで巻き込んだ世界規模の戦争です。1939年9月のドイツによるポーランド侵攻から1945年8月に日本が降伏するまでの6年間を指します。太平洋戦争は第二次世界大戦に含まれるという見方をされるようです。 (2)日中戦争 1937年7月に中国・北京郊外の盧溝橋(ろこうきょう)で起きた日中両軍による衝突から始まった日本と中国の間で起きた戦争です。41年12月に日本が米英に宣戦布告して太平洋戦争を始めてからはその中に含まれ、日本のポツダム宣言受諾まで続きました。 (3)大東亜戦争 戦時中の日本では太平洋戦争のことを「大東亜戦争」と呼んでいたのです。当時の東条英機内閣が閣議決定したことに由来します。日本は、欧米による植民地支配から脱却し、東アジアの民族による共存共栄を意味する「大東亜共栄圏」の建設を唱えて戦争に突入しました。戦後は、米国が名称づけた「太平洋戦争」に表現が統一されました。 (4)15年戦争 1931年9月、日本軍による中国東北部への侵略戦争(満州事変)が始まりました。それから、日中戦争、太平洋戦争を経て45年の敗戦まで続いた一連の戦争の総称として「15年戦争」が使われます。
核兵器禁止条約の署名・批准の状況
各国の核兵器禁止条約(Treaty on Prohibition of Nuclear Weapons(TPNW))の署名・批准の状況については次表のとおりです。(2023年1月9日時点)
署名国 92か国
批准国 68か国
条約発効に必要な批准国は50か国であり、2021年1月22日に条約は発効しました。
08:42 日独首脳会談 始まる
午前8時42分、広島市のホテルで、岸田総理大臣とドイツのショルツ首相による首脳会談が始まりました。
08:34 日本カナダ首脳会談 終了
午前8時34分、広島市のホテルで行われていた岸田総理大臣とカナダのトルドー首相による首脳会談が終わりました。
08:04 日本カナダ首脳会談 始まる
午前8時4分、広島市のホテルで、岸田総理大臣とカナダのトルドー首相による首脳会談が始まりました。
07:51ごろ フランス マクロン大統領 広島空港に到着
G7広島サミットに出席するフランスのマクロン大統領を乗せた専用機が19日午前7時51分ごろ、広島空港に到着しました。これで今回のサミットに出席するG7の首脳は、すべて広島に到着しました。