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現役世代が残らない…「復興住宅」2つの誤算 震災12年、石巻市で進む空き家化と高齢化 #知り続ける

 

マンションタイプの復興住宅(石巻市)

 

東日本大震災から間もなく12年。地震や津波で家を失った被災者には、震災後に建てられた「復興住宅」で暮らしている人も多い。しかし、時間が経つなか、復興住宅は空き家の増加、極端な高齢化、孤独・孤立の進行といった課題に直面している。被災自治体の中でもっとも多くの復興住宅が建てられた宮城県石巻市の現状を取材した。(文・写真:ジャーナリスト・小川匡則/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)

震災後ようやく落ち着けた復興住宅

巨大な揺れが襲ったのは出先から自宅に戻った時だったと、大嶋三千代さん(82)はあの日を振り返る。 「津波の心配もありました。でも、1階には病気で動けない夫がいて、連れて逃げることもできません。どうしようと思って、玄関から外の様子をのぞくと、もうそこに黒い波が迫っていた。水はすぐに家の中に押し寄せてきましたが、2階に上がって、あと数センチというところで難を逃れた。しかし、あっという間のことで、夫を2階に連れていくことはできませんでした」 当時大嶋さんは沿岸から数百メートルほどの石巻市の大街道地区に住んでいた。この地区の浸水は2メートル以上。家は全壊し、避難所、そして仮設住宅での暮らしを余儀なくされた。

 

甚大な被害があった地区に設置された石巻南浜津波復興祈念公園

 

思い返すのもつらい体験だが、大嶋さんが当時のことを話せるようになったのはこの数年のことだという。復興住宅に移り住んでから数年が経ち、ようやく落ち着いた生活を取り戻すことができたのが一因だ。 

 

大嶋さんが住む復興住宅は、石巻市の市街地にあった自宅から5キロほどの場所にある。

5階建てで40世帯が入り、同様の建物が3棟並ぶ。彼女にとって、マンションタイプの住宅に住むのも一人暮らしをするのも初めての経験だ。1LDKの部屋は一人暮らしにはちょうどいい広さで、窓を開けると沿岸部も見渡せる。近くには電車も走り、車の交通量も多いため、活気も感じられる。

 

この快適さと比べれば、震災直後の避難所での生活は厳しい日々だった。

 大嶋さんの避難所生活は4カ月に及んだ。避難所は自宅近くの小学校の体育館。

まったくプライバシーはない状態だった。

 「避難所の生活環境は劣悪でした。

館内は段ボールで簡単に仕切っただけで、すごい人数がいた。

スペースも狭く、足を伸ばして寝ることもできなかった」

 

 

夏になる頃、市街地から離れた仮設住宅に移った。単身用のワンルームで、狭いながらもプライバシーのある暮らしに戻ることができた。そこで5年近く暮らした後、2016年に復興住宅に入居した。いまはこの復興住宅を気に入っていると笑う。 「夫の仕事の関係で石巻に越してきて44年。川崎(神奈川県)にいる娘からは『一緒に住もう』と言われましたが、私にはこっちにたくさんの知り合いがいますからね。それにここの復興住宅は新築のマンションで、景色もいい。住み心地がとてもいいんですよ」

市内でも二極化する復興住宅事情

復興住宅は被災者のために自治体が設置する住宅で、災害公営住宅とも呼ばれる。東日本大震災では2012年から岩手、宮城、福島の被災3県を中心に3万戸弱が順次整備された。住宅のタイプはさまざまだ。6階建てで1LDK~4LDKまでの間取りを取りそろえた90世帯も入るようなマンションタイプの集合住宅もあれば、2階建てで10世帯ほどのいわゆるコーポタイプ、さらには1世帯1棟の戸建て住宅もある。

 

マンションタイプの復興住宅

 

宮城県では1万5823戸、中でも石巻市は自治体としては最多の4456戸を整備した。家賃は入居者の収入などに応じて変わる。 世帯収入から控除額を引いた「政令月収」によって家賃の基礎額が決まり、それに「市町村の立地」と「規模(広さ)」「築年数」「利便性」という4つの係数がかけられて家賃が算出される。 例えば、間取りの広い新築の65平米の住宅だと、政令月収10万円の人の家賃は約2万6千円だが、同15万8千円の人は約3万8千円、同26万円の人は約6万8千円になる。約26万円を超えると最も高いランクとなるため、賃料は民間の賃貸物件よりも高くなってしまう。 石巻市では全壊と半壊合わせて約3万3千棟の住家被害があった。まず仮設住宅が約7千戸つくられ、民間賃貸住宅の「みなし仮設住宅」約5千戸と合わせて1万2千戸の仮設住宅が供給された。 問題はその後だった。仮設住宅を出た後、被災者はどこに住むのか。新たに自宅を建てる人もいれば、別の地域に引っ越す人もいる。では、復興住宅はどこにどれくらいつくるべきか。この時の建設計画は「手探りで」進められたと石巻市住宅課の小林悟課長補佐は明かす。

 

 

「まず住居を失った方に意向調査を行い、『ここで暮らしたい』という希望者の声を集めた上で復興住宅をつくっていくことにしました。仕事の都合などで入居をやめたり、亡くなられたりということもありますが、もともとの市営住宅に住んでいた人を一緒に復興住宅に移すという政策もやっていました」 こうして2012年から復興住宅は整備され始めた。被災者が順に入居していき、当初の入居率は95%前後で推移していた。だが、2020年に整備が完了したのもつかの間、思わぬ課題が持ち上がってきた。「空き家」と「高齢化」だ。 石巻市議会議員の都甲マリ子さんは「石巻市内でも中心市街地と半島沿岸部の復興住宅ではかなり違う問題を抱えています」と語る。 現在の石巻市は2005年に旧石巻市と牡鹿半島(おしか)を含む6つの町が合併した自治体だ。旧石巻市の市街地部と牡鹿半島など沿岸部の二つの地域では生活環境が大きく異なる。

 

(図版:ラチカ)

 

そこで、住民の意向調査とともに、復興住宅も地域事情に合わせて設置計画が立てられた。市街地にはマンションタイプの集合住宅で、スーパーや病院などに近く、利便性の高い場所が選ばれた。一方、山と海が近い半島沿岸部では津波の被害を受けにくい高台を立地とし、戸建て住宅が数軒立ち並ぶタイプにした。こちらは沿岸部に長く住んできた住民の「元いた地域に戻って住みたい」という意向に沿ってつくられたものが大半だ。 だが、そうした半島沿岸部の復興住宅で、空き家が目立ち始めている。

半島沿岸部にある戸建てタイプの復興住宅

 

石巻市中心部から7キロほど離れた万石橋(まんごくばし)。そこを渡ると、太平洋に突き出した形の牡鹿半島に入る。その半島の先端部分にあたるのが「牡鹿地域」である。同地域の鮎川浜にある復興住宅からは石巻市市街地の中心部まで車で1時間近くかかる。こうした半島地域の復興住宅では、例えば鮎川浜の隣、十八成浜(くぐなりはま)には、2016年までに24戸の平屋の復興住宅(1LDKと2LDK)が建てられたが、2021年末には8戸が空き家となったという。その他の半島地域でも30戸近くの部屋が空くことになった。 もともと入居した住民の多くは地元に住んできた高齢者だが、震災からさらに年を重ねる中で、高齢者施設に転居したり、亡くなったりして空き家が増えていったのだ。

 

 

空き家対策も進めるが限界がある

こうした事態を受け、市も対策に乗り出した。2021年10月には3年ほど4棟並んで空き家となっていた戸建ての復興住宅を社会福祉法人に貸し出した。知的障害のある地元の利用者3人が1戸ずつ入居し、1戸は共有スペースとする障害者グループホームとして活用した。もとより室内はバリアフリーにつくられており、使用しやすい状況でもあった。 入居条件も改定した。被災者ではない人が復興住宅に入居できる世帯月収の要件は15万8千円以下だったが、2022年3月からは半島沿岸部に限り48万7千円以下までと大幅に緩和した。 だが、これだけでは空き家問題の解消にはほど遠いと市議の都甲さんは訴える。

 

都甲マリ子石巻市議会議員

「グループホーム活用はたまたま条件がそろっただけで、どこでもできることではありません。半島沿岸部では復興住宅が各浜に数軒建っているという場所も多い。市街地部であっても中心部から遠く、利便性の低い住宅では空き家が増えてくることが懸念されます。所得要件を緩和しても、そこで仕事がある人でなければ入居しないのです。利便性の低い空き家対策として、今のところ有効な策はほとんどないのが実情です」 外部から新たに移住者を呼び込む施策もある。市では市街地部と半島沿岸部でそれぞれ1戸、復興住宅に無料で1週間住める「お試し移住」に2021年冬から取り組んでいる。

 

お試し移住に使っている復興住宅を案内するISHINOMAKI2.0の阿部拓郎さん

 

だが、この試みも順調ではない。市からこの業務を受託している一般社団法人ISHINOMAKI2.0の阿部拓郎さん(35)は言う。 「昨年は20組くらいが利用しました。でも、実際に半島沿岸部の復興住宅に移住を決めたという人はいません。やはり生活していくには不便だからでしょう」 じつは阿部さん自身、半島沿岸部の出身だ。だが、生活上での不安を感じて、市街地に引っ越した。同じように震災を機に市街地の復興住宅に移った人は少なくないという。 「最大の理由は近くに病院がないことです。救急車を呼んでも30~40分はかかるし、もし災害で橋が壊れたら孤立してしまう。漁業関係者など漁港の近くで仕事をしている人には便利な場所でしょうが、津波という大きな災害があった後だけに、住み続けるのは不安がありました」 では、市街地の復興住宅であれば、問題はないのか。市街地には半島部の空き家とは違う問題が大きく横たわっている。住民の高齢化だ。

 

 

高い高齢化率が大きな問題に

石巻市の人口は約13万7千人(2023年1月時点)、そのうち65歳以上が占める割合の「高齢化率」は約34%だ。だが、市の復興住宅の高齢化率は49.2%(2022年宮城県の調査)とさらに高く、ほぼ半数に近い。 高齢化率が高い理由は単純だ。収入の多い現役世代にとって復興住宅の賃料は高い。であれば、自ら家を建てる「自立再建」を選び、退去する人が増える。結果、復興住宅に残る高齢者の比率は上がっていく。 一般社団法人「石巻じちれん」は蛇田地区の復興住宅の一角に事務所を構え、日々住民と接している。主な活動は、復興住宅で暮らす人々の孤独・孤立化を防ぐことだ。 じちれん事務局長の田上琢磨さん(35)は高齢化に伴う問題を数多く目にしてきた。

 

 

石巻じちれんの田上琢磨さん

 

 

「元気だった人でも、突如足腰が弱って買い物等が困難になり、福祉や移送サービスを利用するようになった方もいます。また、運動する機会が減少したことが認知機能の低下につながり、ひとり歩きで道に迷ったり、家から出なくなりで交流が途絶えることもあります。近隣の目に触れなくなった方が孤独死に至り、その中には死後1週間発見されなかったという例もありました」 また、一人暮らしの高齢者が亡くなった後、遺族が相続放棄し、部屋の荷物や車が数年放置される例も複数あった。法的には、一人の相続人が放棄しても相続人全員に確認が取れない限り、簡単に荷物を片付けるわけにもいかないためだ。 田上さんはこうした問題に対処するためにも、復興住宅内のコミュニティーが機能することが重要だと考える。 「復興住宅は抽選で入居者が決まるので、ゼロからコミュニティーをつくらないといけないですが、入居者同士が顔見知りになっていない復興住宅も多くあります」

 

難航する住民同士の交流促進

石巻市が2021年に復興住宅の住民を対象として行った調査によると、約2割が「相談相手がいない」と答えている。特に「60代男性」では36.3%と高い。 その状態から住民同士でコミュニティーをつくるのは容易ではない。そこに追い打ちをかけたのがコロナ禍だ。

 

 

「新型コロナにより集会所を閉じてしまった復興住宅が多かった。それが3年も続くと、それまで開かれていた交流のためのイベントもなくなり、外に出たり近隣の人と話したりする機会が大幅に減ってしまいました」 コロナ禍の前はとても元気だった高齢者が、外部との交流が失われたために一気に弱ってしまった例は珍しくないという。

住民の自助努力だけでなく、サポートする体制づくりが必要

だが、地域コミュニティーの構築を住民のみに求めるのも難しい。住民からは「震災以来、ずっと『助け合い』と言って頑張ってきた。これ以上何を頑張ればいいのか」という当惑の声もある。 田上さんは、住民の努力だけではどうにもならない部分を見極めて、周囲が支援する体制をつくっていくべきだと語る。 「知らない人同士が入居した復興住宅でも、何人かのつながりが生まれれば、その中で『隣の人を数日見かけない』というような話が出てきます。そうした日々の情報を第三者が把握することが重要です。また、人の輪をつくるには、きっかけが必要です。そのきっかけは住民だけで生まれるものもあれば、第三者のサポートが必要なものもあります。そういうところで私たち支援団体も力になれると思うのです」 津波で家を失った人たちのために計画された復興住宅。住民たちの意向を尊重し、設置を急いだのは当時としてはやむを得ない判断だったかもしれない。ただ、高齢化に伴い、空き家や住民の孤立といった問題が発生する結果に陥ってしまった。実は、こうした問題は被災地に限らず全国の地方で起こっている課題でもある。今後、大規模災害が起きたとき、復興住宅はどうあるべきか。石巻の悩みは今後の教訓にもなっている。

 

--------- 小川匡則(おがわ・まさのり) ジャーナリスト。1984年、東京都生まれ。講談社「週刊現代」記者。北海道大学農学部卒、同大学院農学院修了。政治、経済、社会問題などを中心に取材している