葉梨法相は9日、東京都内で開かれた自民党の武井俊輔外務副大臣のパーティーで、「法相は朝、死刑のハンコを押し、昼のニュースのトップになるのは、そういう時だけという地味な役職だ」
「今回はなぜか旧統一教会の問題に抱きつかれ、解決に取り組まないといけないということで、私の顔もいくらかテレビに出るようになった」
「外務省と法務省は票とお金に縁がない。外務副大臣になっても、全然お金がもうからない。法相になってもお金は集まらない。なかなか票も入らない」
「旧統一教会の問題に抱きつかれてしまって、一生懸命解決に取り組まないといけないということで、私の顔もいくらかテレビに出るようになった」
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
「死刑のはんこ押す時だけニュースになる地味な役職」 葉梨法相発言
葉梨康弘法相は9日にあった自民党議員の会合で、法相の役割に触れて「死刑のはんこを押し、昼のニュースのトップになるのはそういう時だけという地味な役職」と発言した。死刑執行を命じる法相の不用意な発言として批判が集まりそうだ。
死刑は古川禎久前法相時の今年7月、秋葉原無差別殺傷事件を起こした加藤智大(ともひろ)死刑囚(当時39)に執行された。葉梨氏が法相になってからは執行されていない。
葉梨氏は発言について、朝日新聞の取材に「地味な役所だからといって大切じゃない役所ではない。大切でないと言っていることではない」と説明した。
また葉梨氏は会合で「旧統一教会の問題に抱きつかれてしまって、一生懸命解決に取り組まないといけないということで、私の顔もいくらかテレビに出るようになった」などとも述べた。
■毎日新聞 2022/11/9 22:19
葉梨法相「死刑のはんこを押す」「地味な役職」 会合で発言
自民党岸田派の葉梨康弘法相は9日夜、東京都内の会合で「だいたい法相は朝、死刑(執行)のはんこを押す。昼のニュースのトップになるのはそういうときだけという地味な役職だ」と述べた。「法相になってもお金は集まらない。なかなか票も入らない」と強調。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)問題を受け、テレビ露出が増えたとの趣旨の発言もした。立憲民主党の逢坂誠二代表代行は即刻辞任すべきだとして、批判した。
葉梨法相「死刑のハンコ押しニュース、地味な役職」…パーティーで「法相はお金集まらない」
葉梨法相は9日、東京都内で開かれた自民党の武井俊輔外務副大臣のパーティーで、「法相は朝、死刑のハンコを押し、昼のニュースのトップになるのは、そういう時だけという地味な役職だ」と述べた。その上で「今回はなぜか旧統一教会の問題に抱きつかれ、解決に取り組まないといけないということで、私の顔もいくらかテレビに出るようになった」と語った。
法相が担う職務を軽視したともとれる発言で、野党などから「非常識だ」と批判を招くのは必至だ。
さらに葉梨氏は「外務省と法務省は票とお金に縁がない。外務副大臣になっても、全然お金がもうからない。法相になってもお金は集まらない。なかなか票も入らない」とも発言した。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
2008年、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の関連団体の世界日報社が発行する月刊誌「ビューポイント」に葉梨のインタビュー記事が掲載された。
葉梨 康弘(はなし やすひろ、1959年(昭和34年)10月12日 - )は、日本の政治家、元警察官僚。
自由民主党所属の衆議院議員(6期)、法務大臣(第106代)。
農林水産副大臣(菅義偉内閣)、自民党総務部会長、法務副大臣兼内閣府副大臣(第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣、第3次安倍第3次改造内閣・第4次安倍内閣)、衆議院法務委員長を歴任した。
元衆議院議員の葉梨信行は義父。
結婚時に葉梨信行と養子縁組した。
同じく元衆議院議員で中央新聞、日本電報通信社(後の電通)の記者だった義祖父の葉梨新五郎の代から数えて三代目の世襲政治家である。
旧姓は渡邉(わたなべ)。
来歴 東京都三鷹市出身。実父は医師の渡邉武治。
東京教育大学附属駒場高等学校(現・筑波大学附属駒場高等学校)、東京大学法学部卒業後、1982年、警察庁入庁。
警察庁刑事局防犯課、岩手県警察本部刑事部捜査第二課長、兵庫県警察本部刑事部捜査第二課長、外務省在インドネシア日本国大使館一等書記官などを歴任。
衆議院議員の葉梨信行の娘と結婚。信行と養子縁組した。
1999年、警察庁を警視正で退職。同年3月、葉梨信行の秘書になる。
2003年の第43回衆議院議員総選挙に茨城3区から、葉梨信行の後継として立候補し、初当選した。
2005年の第44回衆議院議員総選挙で再選。自由民主党畜産酪農対策小委員会委員長・農林部会部会長代理を歴任。
2009年8月、第45回衆議院議員総選挙に茨城3区から出馬したが、落選
2012年12月、第46回衆議院議員総選挙に茨城3区から出馬し当選、国政に復帰。
2013年9月、財務大臣政務官に就任。
2014年9月4日、第2次安倍改造内閣で法務副大臣に就任、同月12日、兼ねて内閣府副大臣に就任した。
同年12月の第47回衆議院議員総選挙に茨城3区から出馬し4選。
2016年1月、衆議院法務委員長に就任。同年8月、自民党総務部会長に就任。
2017年8月7日、第3次安倍第3次改造内閣で再び法務副大臣兼内閣府副大臣に就任。
同年10月の第48回衆議院議員総選挙に茨城3区から出馬し5選。
2018年10月、衆議院法務委員長に就任。
2020年9月18日、菅義偉内閣で農林水産副大臣に就任。
2021年10月31日、第49回衆議院議員総選挙で6選。
2022年8月10日に発足した第2次岸田改造内閣において法務大臣として初入閣した。
- 「憲法改正」について、2021年のアンケートで「賛成」と回答。
- 憲法9条への自衛隊の明記について、2021年のアンケートで「賛成」と回答。