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55年前、東大の学生や職員は国葬に「反対」した 吉田茂元首相の国葬当日を振り返る〈dot.〉

 

東京大学安田講堂

 

 安倍晋三元首相の国葬をめぐって、世論が割れている。新聞各紙の調査によれば、朝日新聞では国葬に「賛成」38%、「反対」56%だった(9月10、11日調査)。読売新聞では国葬実施を「評価する」38%、「評価しない」56%となっている(9月2~4日調査)。毎日新聞と社会調査研究センターでは国葬に「反対」62%、「賛成」27%だった(9月17、18日調査)。反対する意見のほうが多い。

 

  【写真】55年前、国葬当日の授業の様子を伝える東大新聞

 

 大学はどうだろうか。教育機関として国葬について意思表示をしているところはない。  しかし、大学教員はその賛否についてアカデミズムの立場から盛んに発言している。そして、学生からの発信もあった。  7月下旬、東京大の学生が、駒場キャンパスに「国葬阻止」と記した看板を立てたのである。すぐにSNSで拡散され、大きな話題になった。 

 

 じつは、今から55年前、駒場キャンパスに同じような内容の看板が立てられている。  そこには「するな黙とう、許すな国葬」と書かれていた。

 

  1967年10月31日、吉田茂元首相の国葬が行われたときのことだ。戦後、初めて行われた国葬である。 大学はどのように対応したか。メディアの伝え方から、当時を振り返ってみよう。  吉田元首相の国葬実施が決まったとき、文部省(当時)は国立大学に次官通達として授業や事務の午後の休業、弔旗の掲揚などを求めた。

 

  東京大はこの通達を受けて、校内各門に弔旗を掲げ、事務職員の多くは午後から休業としている。しかし、授業について、大学は通達に従っていない。

 

  国葬当日の状況について、東京大学新聞(1967年11月6日付)ではこんな見出しを掲げ、大学の抵抗を伝えている。 「吉田国葬 授業にまで響かず」 「養では完全無視 文、農は半数が休講」 (注:養は教養学部、文は文学部、農は農学部)  同紙の記事を紹介しよう。 「講義は、各学部長から当日までに、教官の判断に委ねる旨指示があり、文・農学二学部で約半数が休講となったのを除き、各学部とも実験・研究ともどもまったく平常の通りに行われた。(略)。当日は、弔旗の現場をめぐり中央委が抗議のため代表を送って学生部長に事情をただしたほか駒場自治会が十二時三十分から六十名で学内抗議デモ、教育学部で学内集会が行われた」(注:中央委は学生のグループ)

 

 

 東京大の学生、教員、事務職員はなぜ、国葬に反対したのか。 

 

 東京大学新聞は国葬に反対するポイントを、自治会、教職員組合など各団体からの主張をまとめてこう伝えている。

 

 (1)国葬が行われていること自体が不当

 

 (2)弔旗掲揚、黙とう、歌舞音曲の停止などは思想、信教、言論などの自由の侵害 

 

(3)吉田氏の戦後政策、レッドパージ、再軍備、片面講和などの批判 

 

(4)自民党政府は国葬を政治的に利用  今回の安倍元首相の国葬に反対する意見と通底するところはいくつかある。 

 

 では、国葬当日、東京大の学生はどんな様子だったのだろうか。国葬真っ最中の時間帯、駒場キャンパスの様子を描いた報道があった。 「午後二時十分ちょうどは四時間目の授業が始る時間で、黄色く色づいたイチョウ並木の下を教室に急ぐ学生が、行き来する。黙とうする学生は一人もいない」(朝日新聞1967年10月31日付夕刊)

 

  早稲田大についてもこんな記事があった。

 

早稲田祭を前にしてその準備で忙しく、国葬どころではなかったようだ。

 

 「大隈講堂と二十一号共通教室を結ぶ“メーンストリート”では、学生たちは鉄パイプのやぐらを組上げたり、催し物を知らせる大看板づくりに精いっぱいで、午後二時十分に黙とうしている学生の姿は見当たらなかった」(毎日新聞同付夕刊)

 

  国葬に参列した学生も報じられている。

 

 「自衛隊員、防衛大生らのめだつ中で、白紋付、長羽織にタスキがけというある私大応援団員は、『国葬に参列するのはあたりまえ。吉田さんは日本の大先輩だ』と、応援団の好きな先輩という言葉を使って愛国心を説く」(「アサヒグラフ」同年12月17日号) 

 

 当時、大学生だった人に話を聞いてみた。

 「翌週の授業のとき、ある学生が『国葬だからといって休講にするのはおかしいじゃないですか』と言ったら、教師が『休講になんかしていないよ。君がサボっていただけじゃないか』と言い返していたような気がします。賛成とか反対とかの議論はほとんど記憶にない」(当時・東京大1年)

 

 

 当時の学生運動活動家はこう振り返る。 「10月8日に羽田闘争で京都大1年の山崎博昭さんが亡くなった。ベトナム戦争反対を訴える仲間だったので大変なショックを受けており、国葬まで頭がまわらなかった。国葬粉砕運動をしかたどうか、記憶にないですね」

(当時・早稲田大2年) 

 

 国葬について考えると、政治、法律、歴史、文化などでさまざまなテーマが見えてくる。安倍元首相の政策を検証することにもつながる。  多くの学生が国葬について考え、語り合ってほしい。  キャンパスはそういう場でもあるのだから。

 

 (教育ジャーナリスト・小林哲夫)