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ゴルバチョフ死去 東西冷戦を終わらせ戦後秩序を変えた指導者
【ロシアと世界を見る眼】プーチンが今、その秩序をひっくり返そうとしている
中距離核戦力全廃条約に調印するゴルバチョフ(左)、レーガン両氏(1987年)=cc0
ミハイル・ゴルバチョフが死去した。彼の細かな経歴はほかのメディアに任せるとして、ゴルバチョフを端的に語るなら、東西冷戦を終わらせ世界秩序の安定化に努力した偉大な指導者ということになろう。今、ウラジーミル・プーチンが、そのゴルバチョフの成果をほとんどひっくり返し、中国と組んで冷戦時代にもなかったような緊張を世界にもたらしている。ゴルバチョフの死は改めて一つの時代の終わりを思い知らされる。
ゴルバチョフの死去は筆者(小田)にも感慨深い。ゴルバチョフは1985年3月にソ連共産党中央委員会書記長に就任、その後1991年12月25日までの6年9カ月、ソ連の最高指導者として「ペレストロイカ」と呼ばれる大胆な改革を推し進めた。その後半の3年あまりをモスクワ特派員として彼を目の当たりに見てきた。
ゴルバチョフは1990年10月、ノーベル平和賞を受賞した。ノルウェー・ノーベル委員会はその理由について、「今日の国際社会の重要な分野を特徴付けている平和プロセスにおける彼の主導的役割」を指摘、されにソ連社会の開放が進み、ソ連への国際的信頼を高めたことにも言及した。今のプーチンとは真逆だ。
ゴルバチョフはプーチンについて、時にロシアを強い国にしたと高く評価、時に報道の自由が狭まっていることなどを批判していた。
今年2月24日のウクライナ侵攻については、ゴルバチョフが率いるシンクタンク『ゴルバチョフ財団』が、「早期の敵対行為の停止と和平交渉の即時開始」を求めるコメントを出した。
必ずしも強いプーチン批判ではないが、ゴルバチョフを知るジャーナリストのアレクセイ・ベネディクトフによると、ゴルバチョフは自分が成し遂げたことをプーチンがすべて灰にしてしまったと愕然としているだろうという(注1)。
ベネディクトフは1990年からソ連/ロシアの報道の自由の先陣を切っていたラジオ放送局『モスクワのこだま』を率いていたが、今年3月、閉鎖に追い込まれた。
ゴルバチョフの人柄で思い出すのは、彼が寛容の人であることだ。
1988年6月、第19回党協議会という重要会議に、のちにゴルバチョフの大の政敵になるボリス・エリツィンが登壇した。この時、エリツィンは政権批判を理由にモスクワ市党委員会第一書記を解任され政治的に不遇の時代。しかも病み上がりだった。
見るからに弱々しいエリツィンが演説しようとすると、会場からは演説させるなとブーイングが巻き起こったが、議長を務めていたゴルバチョフは会場をなだめ、演説させた。これでエリツィンは面目を保つことができ、政治活動を続け、1年後にゴルバチョフが新設したソ連人民代議員大会の代議員に当選、ゴルバチョフ批判の急先鋒の政治家へと出世した。
ゴルバチョフは一方で、自信過剰でもあった。これが命取りになった。
ゴルバチョフは1991年8月18日から22日にかけてクーデター未遂事件に見舞われ、結局、それをきっかけに一気に権力基盤を失い、最後は失脚、ソ連が崩壊した。実はこの政権転覆の動きについては、ゴルバチョフは当時の米国の駐ソ大使、ジャック・マトロックから知らされていた(注2)。マトロック大使からの警告に対し、ゴルバチョフは心配する必要はなく、「すべてを掌握している」と述べた。
ゴルバチョフも自らの回想録の中で、「頭のおかしい連中」はいるが、「流れに逆らおうとする企ては間違いなく失敗するしかないと私は思っていた」、「共産党指導部内の保守グループがどのような行動路線を取っているかは、私をはじめ連邦指導部はずっと以前から気にしてきた」と指摘、クーデターの試みは言わば、想定内の出来事と言わんばかりだ(注3)。彼は保守強硬派の動きを見くびっていた。
ゴルバチョフは新生ロシアで1996年に大統領選に出馬したことがある、しかし、得票率は1%を下回り、泡沫候補だった。ソ連を崩壊させた男、ソ連崩壊後の経済混乱、国民の貧困を招いた男として有権者から嫌われた。
ここ数年は腎臓病を患い、最近では人工透析を受けていた。
市内にノボジェビッチ修道院があり、そこに著名人らの墓地がある。
ゴルバチョフは大の愛妻家で、妻のライサが1999年9月に死去した後は、もう生きていても意味はないなどと語るほどだった。彼はライサの隣に葬られるという。なお、ノボジェビッチ墓地にはエリツィンやソ連時代の指導者ニキタ・フルシチョフらの墓もある。
(注1)https://www.forbes.ru/rubriki-kanaly/video/472035-eho-moskvy-nicego-ne-moglo-spasti-glavnoe-iz-interv-u-aleksea-venediktova-forbes (注2)Jack Matlock Jr., Autopy on Empire,1995. (注3)『ゴルバチョフ回想録』、下、新潮社、1996年。 (敬称略)
■小田 健(ジャーナリスト、元日経新聞モスクワ支局長) 1973年東京外国語大学ロシア語科卒。日本経済新聞社入社。モスクワ、ロンドン駐在、論説委員などを務め2011年退社。国際教養大学元客員教授。