安価なシーフード、安価な理由

 

 

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西日本新聞

「すべてが悪夢」寝坊の罰は熱湯…船で奴隷労働6年、タイ人が語った地獄

6年間、奴隷のように働かされてきたコラーさん。多くの歯がない=8月3日

 

 6年間の地獄から脱出できたのは7月25日だった。 

 

 タイ人のコラーさん(54)はマレーシア沖で漁をする船で“奴隷労働”を強いられていた。炎天下、仕事は毎日約16時間。漁網を流し、力を振り絞って引き上げ、魚を仕分けて再び網を流す。それを1日に4、5回。早く動けと船長などから殴られ、何度も頭が切れて血が流れた。

寝坊の罰は熱湯…深く眠れず

 特に怖かったのは熱湯だ。10人強が乗る船で仕事はシフト制。交代のホーンに気付かず寝ていると、熱湯をかけられた。やけどの痛みと恐怖で、ホーンの幻聴が聞こえるようになった。「寝坊はあの時の1度だけ。数時間おきに目が覚め、深く寝たことはない」。スクリューに絡みついたごみの掃除は深さ5メートルまで潜らなければならず、水死と紙一重だった。  取った魚は洋上で大型船に積み替え、自分たちの船が燃料補給などのためにマレーシアの港に戻るのは月に1回。休みは、寄港時と大しけの日だけだった。  陸で逃げた仲間は捕まり、激しく暴行された。逃げようとしたのか、違う船の漁船員の遺体が漁網に入っていたこともあった。自由を目指す気力はなかった。

「給料がいいよ」と誘われ

 6年前、タイ・バンコクの近くで、水産会社の社員から「給料がいいよ」と声をかけられ、漁師のコラーさんは船を移った。読み書きがうまくできず、契約書を交わした記憶はない。給料は月3万バーツ(約11万4千円)と聞いていたが、実際は月千バーツ(約3800円)だった。 

 

 「食事や生活用品の代金を天引きしたと言われた。記録してなかったので言い返せなかった」。1カ月の食材は、乗組員十数人で鶏肉3羽分と豚肉5キロとコメ。自分たちで料理し、月末は取った魚でしのいだ。

安価なシーフードの陰の苦渋

 転機は今年5月。漁の許可証がなかった漁船が当局に摘発され、漁船員はマレーシアでホームレス状態になった。近くの漁師がタイの市民団体「労働権利推進ネットワーク」に連絡、7月に助け出された。 

 

 「すべてが悪夢だった。今も嫌でも思い出してしまう」。コラーさんは涙で声を詰まらせた。世界3位の水産物輸出国のタイをはじめ、東南アジアから日本へ送られる安価なシーフードの陰には、コラーさんのような人々の苦渋がある。

 

 

「1万人救出」立ち向かう市民団体の信念

 タイ南部、シーフードの街として知られるマハチャイ。ここに事務所を構える市民団体「労働権利推進ネットワーク」(LPN)の創設者ソンポン・サゲオさん(49)は淡々と振り返った。  「これまでに救出したのは1万人ぐらいかな。数が多くてよく分からない」 

 

 人権問題に関心が高く、妻のパティマ・タンプラチャグンさん(47)とLPNを立ち上げたのは2004年。この年から水産加工場で奴隷労働させられていたミャンマー人約400人を救出するなどフル回転した。08年ごろからは、マラッカ海峡付近で漁を行う漁船員から助けを求める声が寄せられ、救助のためインドネシアへ計14回渡った。

 

  「日常的な暴力や無報酬のほか、寄港した際には漁船員が逃げ出さないよう、宿の部屋を施錠して閉じ込めているケースもあった」

「解放することがモチベーション」

 ソンポンさんも船会社側の人間に取り囲まれたり、自分の写真を燃やされて「呪ってやる」と言われたりした。事務所の周囲をナンバーのない車がうろつき、出入りする人々の写真を撮られたこともある。

 

  「私は怖くなかった。人々のチャンスは平等で、それに向けて人々を苦しみから解放することが私のモチベーションだから」。信念は揺るがなかった。

狙われるミャンマー人

 タイ政府によると、タイは世界3位の水産物輸出国で、世界の総輸出の8%を占める。これを下支えさせられてきた奴隷労働者の7割はミャンマー人で、残りはカンボジア人とタイ人だとLPNは説明する。

 

  「知人にいい仕事があると誘われて密入国し、そのまま働かされるケースが多い。誘う側も船会社からだまされており、貧しい友達を思い、良かれと思って声をかけている」とソンポンさんは言う。

世論を喚起し政府動かす

 LPNは各国の治安当局に船会社を告発したり、メディアに情報提供したりして世論を喚起した。タイ政府は15年に漁業の抜本的改革に取り組み始める。乱獲への厳罰、厳格な漁業許可と船舶登録、水産物のトレーサビリティー(生産流通履歴)の導入…。その中には労働搾取の防止も盛り込まれた。

 

  「以前は半年に1度の給料振り込みの船が多かった。長期間にすれば、船上で漁船員が購入した食料や備品が分からなくなり、勝手に天引きしやすかったからだ。透明性を高めるため、給料は1カ月に1度、銀行振り込みになった」

「もっとクリーンな漁業に」

 遠洋での漁も規制され、奴隷労働は減ったように映るが、LPNが救助する人々は今も絶えない。そこには、隠れて行われている奴隷労働に加え、薬物問題も潜んでいるという。 

 

 近年、船上で飲酒に加え、大麻や覚醒剤「ヤーバー」を使用する漁船員が増加。そのための金を船長らに前借りして借金がたまり、過酷な労働条件の船から逃げられなくなるケースが増えているという。

 

  LPNは今、協力スタッフが数百人に上るほど成長した。「もっとクリーンな漁業にしていきたい。タイからシーフードが輸出されている日本の皆さんにも、この現状を知ってもらいたい」。ソンポンさんの言葉に力がこもった。 (バンコク・稲田二郎)