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AERA
旧統一教会「霊感商法」を本格追及した朝日ジャーナル名物記者への非道な抗議と嫌がらせ電話の「中身」〈dot.〉
「朝日ジャーナル」では、1986年12月から87年初頭にかけて、「霊感商法」を本格追及していた
7月8日に安倍晋三元首相銃撃事件が起こってから1カ月が経った。逮捕された山上徹也容疑者の動機について、犯行直後は「母親が“ある宗教団体”にのめり込んで多額の寄付をしたことで家庭が崩壊。恨みがあったと供述した」などと報じられた。その後、同月11日に世界平和統一家庭連合(旧統一教会)が会見を開くまで宗教の団体名を報じるマスコミはほとんどなかった。なぜ、多くの報道機関は旧統一教会の名前を出すことを躊躇したのか? その理由について、1980年代に「朝日ジャーナル」で霊感商法を鋭く追及した元朝日新聞記者、藤森研さんが実体験をもとに語った。
【写真】80年代に霊感商法を追及した当時の「朝日ジャーナル」記事
* * *
7月29日、全国霊感商法対策弁護士連絡会は日本外国特派員協会で会見を開いた。代表世話人の山口広弁護士は、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)を巡る問題について、メディアをこう批判した。 「私はもう日本のテレビと新聞はレベルダウンが著しいと思っています。なんですか!
『特定の宗教団体』としか言わないじゃないですか。月曜日(7月11日)に、Unification Church(旧統一教会)が記者会見するまで、もうとっくに外国の新聞ではUnification Churchの問題を言ってますよ。あるいはネットにはたくさん流れてますよ。(中略)本当に悲しいですよ」 確かに事件翌日、旧統一教会とのつながりを報じたのはブルームバーグやBBCなどの海外メディアが多かった。日本のメディアでは「現代ビジネス」がいち早く安倍氏と旧統一教会の接点を書いた。しかし、日本の大手マスコミの動きは鈍かった。
これについて藤森研さんは、「非常に歯がゆいというか、違和感を覚えました」と語った。
■犯罪すれすれの抗議
藤森さんはこの事件が起きた際、安倍元首相の死に対して謹慎が求められたような、内向きの空気をまず全般的にメディアに感じたという。 「一例を挙げれば、ほぼすべてのテレビのコメンテーターは『とても許されないことですが』と、免罪符の言葉を口にしてから、事件についてこわごわと話し始めた。つまり、その背景についてぐいぐいと迫っていく気持ちが萎縮していた。それが特定宗教の団体名を出さないことに直接結びついたかどうかは別にして、一種の萎縮の空気をすべての報道に感じました」
さらに藤森さんは、「これは推測ですが」と、前置きしたうえで、こう語った。 「まだ教団と山上容疑者との関係が確定していないにもかかわらず旧統一教会の名前を出すことで、彼らから抗議されることを恐れたのでしょう」 報道機関が抗議を受けるのは日常茶飯事である。ある意味、抗議慣れしているメディアが、なぜなのか? 「かつて、旧統一教会について批判的な記事を書いて、表立って抗議されたことはたくさんありました。それでも言うことを聞かないと、教団は『裏の手』も大変熱心に使う。旧統一教会がそういう団体であることをメディアによっては認識しているわけです」 旧統一教会が80年代ごろからメディアに対して行ったのは、「抗議」などという生易しいものではなかった。会社への直接抗議にとどまらず、記者本人の家に押しかけたり、家族の生活を脅かしたりするなど、犯罪すれすれの行為を組織的に行ってきた。そんなこともあって各メディアは腰が引けたのではないか、と藤森さんは推測する。
■記者の家を見張る信者
1980年代、旧統一教会が印鑑や壺(つぼ)などを高額な値段で売りつける「霊感商法」が社会問題となった。そのきっかけとなったのが1986年に「朝日ジャーナル」で藤森さんらが始めた霊感商法追及キャンペーンだった。 「それまでは『開運商法』などと呼ばれていたんです。こんなにひどいことをやっているのに『開運』はないだろう、と。そこで、仲間とも相談して、追及キャンペーンでは『霊感商法』と名づけました」 「朝日ジャーナル」は断続的に旧統一教会を批判する記事を掲載してきた。それに対して旧統一教会は「信者が勝手に行っていることで、教会は関係ない」として編集部に抗議した。しかし、抗議の“効果”がないとわかると、教団は次第に記者本人や家族を標的にするようになった。 「86年12月ごろ、霊感商法追及キャンペーンを始めてすぐのころでした。当時、僕は東京・三鷹の借家に住んでいた。家主の息子が『未明から変なワンボックスカーが向かいに停まっている。中には屈強な若者が何人か乗っていてこちらをずっと見ているよ』って、知らせてくれた。それが嫌がらせ、個人攻撃の始まりでした」
休日、家にいると嫌がらせ電話がかかってきた。 「『この世界で飯を食えなくしてやるからな』とか、いろいろなことを言うわけです。それから、なぜか娘の名前を知っていた。『〇〇ちゃん、元気? ふふふ』。心配になって、下校時に迎えに行った。そんな電話がじゃんじゃん続いた」
■「サタン」と呼ばれて
のちに脱会信者から話を聞くと、「僕は彼らの中では『サタン』と呼ばれていたようです。そりゃサタンが気を悪くするよと、冗談を言ったものですが」。 「仲間に嫌がらせ電話について相談すると、受話器録音装置を持って、駆けつけてくれた。それで『さあ、証拠をとっているからどんどん言え』って言ったら、無言電話に変わった。それでも1日100本以上かかってくる。仕方ないので、電話機を布団蒸しにした」 こんなこともあった。
最初はワゴン車の中にいた男たち。だが次第に家の入り口をうろつくようになった。 「あまりにもひどいので、こちらも攻勢に出ることにしました。カメラを持って出て行って、証拠を収集するからと言って、バチバチ写した。そうしたら、50メートルくらい離れた公園から見張るようになった」 ある日、その見張りを巻いてそっと横から近づき、腕をつかむと大騒ぎになった。 「男は『藤森さん、何するんだよ! 警察呼ぶぞ』って言うから『いい考えだ、一緒に行こう』と、駅前の交番に向かって歩いていった。途中、『電話させてください』って言うから、公衆電話で立ち止まったら、電話かけるふりして突然100メートル11秒ぐらいの感じで逃げていった」 87年半ばになると新聞やテレビも霊感商法追及キャンペーンを始め、大々的に報じられるようになった。 「このとき報じたメディアも統一教会から抗議を受けているはずです」と、藤森さんは言う。
秋になると、国会でも霊感商法が問題視され、旧統一教会は次第に霊感商法から手を引くようになる。
■オウム真理教と重なる手口
藤森さんによると、旧統一教会の活動は大きく、三つの時期に分かれると言う。 「60年代、70年代は宗教団体であることを隠して大学生らを勧誘して洗脳し、信者にしていった。これが原理運動で、いわば『人の収奪』です。80年代は霊感商法による『金の収奪』の時期です。それでメディアは大騒ぎをするし、警察も乗り出してきたので、彼らは90年代から『内向』の時期に入るんです。それが今に至るまでずっと続いている」
休日、家にいると嫌がらせ電話がかかってきた。 「『この世界で飯を食えなくしてやるからな』とか、いろいろなことを言うわけです。それから、なぜか娘の名前を知っていた。『〇〇ちゃん、元気? ふふふ』。心配になって、下校時に迎えに行った。そんな電話がじゃんじゃん続いた」
■「サタン」と呼ばれて
のちに脱会信者から話を聞くと、「僕は彼らの中では『サタン』と呼ばれていたようです。そりゃサタンが気を悪くするよと、冗談を言ったものですが」。 「仲間に嫌がらせ電話について相談すると、受話器録音装置を持って、駆けつけてくれた。それで『さあ、証拠をとっているからどんどん言え』って言ったら、無言電話に変わった。それでも1日100本以上かかってくる。仕方ないので、電話機を布団蒸しにした」
こんなこともあった。
最初はワゴン車の中にいた男たち。だが次第に家の入り口をうろつくようになった。 「あまりにもひどいので、こちらも攻勢に出ることにしました。カメラを持って出て行って、証拠を収集するからと言って、バチバチ写した。そうしたら、50メートルくらい離れた公園から見張るようになった」
ある日、その見張りを巻いてそっと横から近づき、腕をつかむと大騒ぎになった。 「男は『藤森さん、何するんだよ! 警察呼ぶぞ』って言うから『いい考えだ、一緒に行こう』と、駅前の交番に向かって歩いていった。途中、『電話させてください』って言うから、公衆電話で立ち止まったら、電話かけるふりして突然100メートル11秒ぐらいの感じで逃げていった」
87年半ばになると新聞やテレビも霊感商法追及キャンペーンを始め、大々的に報じられるようになった。 「このとき報じたメディアも統一教会から抗議を受けているはずです」と、藤森さんは言う。 秋になると、国会でも霊感商法が問題視され、旧統一教会は次第に霊感商法から手を引くようになる。
■オウム真理教と重なる手口
藤森さんによると、旧統一教会の活動は大きく、三つの時期に分かれると言う。 「60年代、70年代は宗教団体であることを隠して大学生らを勧誘して洗脳し、信者にしていった。これが原理運動で、いわば『人の収奪』です。80年代は霊感商法による『金の収奪』の時期です。それでメディアは大騒ぎをするし、警察も乗り出してきたので、彼らは90年代から『内向』の時期に入るんです。それが今に至るまでずっと続いている」