=道警ヤジ排除事件=
◆ 原告が国賠訴訟に勝利 (週刊新社会)
札幌地域労組 桃井希生
◆ 事件の発生と道警の態度
安倍晋三首相(当時)の街頭演説中にヤジを飛ばした市民が大勢の警察官に排除された事件(通称”道警ヤジ排除事件”)について、2022年3月25日、札幌地裁は、北海道警察の行為によって原告2人の「表現の自由が侵害された」として、北海道に計88万円の賠償を命じた。
わたしはヤジって排除された原告の1人、そしてヤジポイ(”ヤジも言えないこんな世の中じゃ…ポイズン!”の略称)の会のメンバーとしてこの裁判を闘っていた。
道警ヤジ排除事件は2019年夏の出来事だ。
参院選中、札幌駅前で安倍氏が街頭演説をしているときに、「安倍辞めろ!」「増税反対!」などとヤジを飛ばした市民が、即座に大勢の警察官に囲まれて排除された。
それのみならず、その後約2㎞の道を1時間以上にわたってつきまとわれた。両腕を組んだり前に立ちふさがったりするつきまといの際中、警察は「何か飲む?買うよ、お金あるから。ジンジャエールですか、ウーロン茶ですか」など小娘のわたしをなだめるように語った。
同じ演説会場では政権批判のプラカードを掲げた人達も警察に排除されていた。排除の直後からSNSで写真や動画が拡散し、マスメディアでも報道され、デモや集会など色々な方法で問題化されていたが、道警は事件について7カ月以上沈黙を貫いた。
◆ 沈黙の道警を告発
刑事告訴は不起訴で、検察審査会・付審判請求を経ても覆らなかった。
一線を超えた道警の行為について責任を明らかにするため、日頃から人権問題に取り組む弁護士が集結し、同年12月、道警を管轄している北海道を相手に国家賠償請求の民事訴訟を提起した。
裁判で一番驚いたのは、道警側が、ヤジ排除事件について報じたヤフーニュースのコメント欄のページを印刷し、「警察官の職務執行に対する肯定的な意見」がある証拠として提出したことだ。
「肯定的な意見」は法律の議論をするときに何の関係もない。
また、排除を行った警察官への証人尋問で、原告側の弁護士が「(市民に対し)法律に定めている要件を外れて有形力を行使する場合があり得るか」と質問したときに、「あくまで現場で適切に対応する」と答えるなど、耳を疑う珍回答が続出した(法の要件を外れて有形力を行使することがあり得るのだろうか!?”)
◆ “違憲性”を明確に認定
札幌地裁の判決は、表現の自由が民主主義社会を基礎付ける重要な権利であると述べたあと、「とりわけ公共的・政治的事項に関する表現の自由は、特に重要な憲法上の権利として尊重されなければなら」ず、「『安倍辞めろ』『増税反対』は、(中略)上品さに欠けるきらいはあるものの、公共的・政治的事項に関する表現行為であることは論をまたない」とヤジの権利を力強く認めるものだった。
道警は、排除の根拠として、自民党に批判的なヤジを飛ばした人と聴衆の自民党支持者の間で生命もしくは身体に危険を及ぼす「危険な事態」(警察官職務執行法4条1項)が発生していたとか、ヤジった人によって「犯罪がまさに行われようとしていた」(同法5条)と主張していたが、証拠や証人尋問を踏まえても、そのような状況はうかがえないとして、判決では一蹴された。
さらに、「警察官らの行為は、原告らの表現行為の内容ないし態様が安倍総裁の街頭演説の場にそぐわないものと判断して、当該表現行為そのものを制限し、または制限しようとしたものと推認せざるを得」ず、「したがって、警察官らの行為は、原告らの表現の自由を制限したものというべきである」と、道警の行為の違法性のみならず違憲性についても明確に認定した。
ちなみに、「ヤジが選挙妨害」という主張は道警ですらしていない。
判決は続けて、道警の長時間にわたるつきまとい行為についても、移動・行動の自由、名誉権およびプライバシー権の侵害であると認めた。
排除行為の組織性についての言及はなかったものの、文句なしの完全勝利判決だ。
◆ 誰でも持っている表現の自由
政治的な意見表明は一部のエライ人だけができるものではない。肩書がなくても、一人ぼっちでも、どのような人にでも表現の自由はある。それが人権というものだ。
わたしを排除した警察官は、自らに表現の自由があることを知っているのだろうか。自分に尊厳があることの確信なくして他人の権利の尊重などできないと思う。
ロシアで今、警察が反戦デモの参加者のみならず、白紙のプラカードを掲げただけの市民をも逮捕しているように、権力者は批判の声が路上に表出する恐ろしさをよく知っている。
だから排除するのだ。
だからこそ、排除されてはならないのだ。
社会がその土地で暮らす一人ひとりのものであるために、声をあげる権利が奪われてはならない。
北海道はこの判決を不服として控訴した。
裁判費用は全て税金だが、知事は控訴した理由を道民に何ら説明していない。道警ヤジ排除裁判は続く。
しかし、今はまず、ヤジという最も単純で基本的な社会運動の権利が守られたことに乾杯したい。
『週刊新社会』(2022年5月11日)