皆さま     高嶋伸欣です
 間が空きましたが<検定情報3>です
 ◆ 2021年度検定(主に高校2年生以上用)において、
   発行者側の異議申し立て(意見申立て)で検定意見撤回の事例が4件存在!


 標記の事実についてマスコミではこれまでのところ全く報道されていない模様です。
 ようやく情報を裏付ける資料を文科省から得て事実を確認しました。以下の通り報告します。
 まず、詳細は添付の資料を御覧ください。件数は合計で4件です。

 異議申し立ては、「検定規則」第9条で「検定意見に対する意見申立て」として認められている手続きです。検定意見の通知(申し渡し)の翌日から20日以内に意見申立書を提出し、文科省(大臣)が相当(妥当)と認めたときは「当該検定意見を取り消すものとする」と規定されています。


 けれども、これまでは「申し立てをしても認められる確率は低く、無駄になることが多いので、文科省の心証を悪くするだけではないか」として、この規程はほとんど活用されていないと、業界では言われていました。
 ところがそのような状況ばかりではないことが、今回判明したわけです。

 今回、異議申し立てが妥当として、検定意見のと取り消しを認められたのは、実教出版(日本史探求2件、世界史探求1件)と第一学習社(物理1件)です。
 これらの件は、教科書の執筆者や編集者が検定官たちの言いなりになっていない姿勢を保持していること証明する出来事の一つです。
 教科書課の説明によれば、同様の事例が過去にも数件はあったとのことです。
 今回の件を含めそうした執筆者たちの努力を掘り起こす報道をマスコミはこれまでしていません。

 今回の添付資料は、文科省記者クラブが教科書課から提供されて独占していた検定関連資料に含まれていた模様ですが、報道解禁以来この件についての報道は見当たりません。
 噂を聞いて資料請求をし、確認できたのが添付の資料類です。
 数年ごとに異動するクラブ員には、検定制度は複雑すぎるということでしょうか。

 以下、多少の補足説明です(長いです)

① 現在のように検定意見の締め付けが厳しくなったのは、「簡略化」を口実にして大幅に検定手続きを変更した1990年度(平成2年度)以降です。

② それ以前は、修正を必須とする「修正意見(通称”A意見”)」と修正意見程ではないが見直しが望ましい「改善意見(通称”B意見”)」とがあって、後者については多少の理由付けがあれば撤回されることも少なくありませんでした。

*時には検定意見に審議会委員によるこじつけのものなどが混ざり込むことがあって、検定官はAではなくBにするのが精いっぱいの様子で、そのようなケースは言いにくそうにして言い渡しをしていました。
 そのような場合、執筆者側は検定官の窮状を救うために「理不尽な意見」と思いながら一文字だけ書き換える”微修正”で検定官の顔を立てながら、「代わりにこっちのB意見については裏付けの資料を見せるので、修正の必要なしにして下さい」として、B意見の撤回を実現させたりしていました。

*また、時には「このA意見をB意見ということにしてくれませんかねえ」などと求めると、検定官が「じゃあそうしましょう」というケースもありました。

③ それが、1990年度以後の現行制度で、上記の”A意見”だけを「検定意見」として言い渡されることになり、1件だけでも拒否すれば白表紙本1冊全部が不合格にされるという恐怖観念を発行者は植え付けられてきています。

④ ただし、その新制度の下でも、検定意見の言い渡しは検定官が白表紙本に貼りこんだ細長い短冊型用紙のメモ書きの内容を読みながら説明するのを、執筆者や編集者が必死で書き留めるという方式でした。
 現在のように検定意見を一覧表にした『検定意見書』という文書できちんと伝達するようになったのは、1990年代後半からです。

⑤ それまでは、③の方式でしたから検定官は小さな紙片の手書きメモを見ながら、記憶を含めた肉付けによる検定意見言い渡しをしていたのです。
 それは、例えて言えば「検定意見は書面にして示されたことはなく、『検定官の頭の中にのみある』」という意味になります。

⑥ 検定は行政処分です。行政処分は公正で客観的な行政権限の行使が必須の条件です。それなのに申請内容の評価や是正指示項目などについての客観的な書面類を示さずに、検定官の「頭の中にある」のでは、公平性や客観性が二の次にされていたのは明らかです。

⑦ この不合理な事実が広く知られることになったのは、私(高嶋)が提訴した教科書裁判(1993年6月、横浜地裁提訴)の第13回法廷(1996年2月28日、入江検定官の証人尋問)で、入江氏が「調査官(検定官)が口頭で伝えたものが検定意見」と言い切ったことによってでした。
 翌日の新聞各紙は「『正式な検定意見は頭の中』と元調査官」「検定意見は文書化されない」「検定意見を口頭で伝達」などの見出しで一斉に報じました。

⑧ あわてたのは文部省です、検定意見が文書化されていないことが露見した上に、その事実が広く報道されてしまったのです。
 しかも、それより前の1993年10月20日の第三次家永教科書裁判の東京高裁判決(川上裁判長)では、「法規類の恣意的便宜的な解釈と運用は職権濫用で違法である」という、行政当局による権限行使の大原則を確認した上で、検定の争点8件の内の3件が違法であるとされていたのです。
 この川上判決の論理に対して文部省は全く反論の余地を見いだせず、上告できませんでした。

⑨ そうしたところへ、「正式な検定意見は検定官の頭の中にあるだけ」という状況が露見してしまったのです。「頭の中にあるだけ」とは「検定意見は検定官の記憶次第」と同じ意味になりますから、そこに恣意的便宜的な判断が生じるのは不可避ということになります。
 そこで、文部省は大慌てで文書『検定意見書』に基づいて言い渡す現在の形式に変更したのでした。

⑩ 今からは信じられないことかもしれませんが、教科書検定は1990年代後半までこのように検定官の口頭での言い渡しを編集者などが必死でメモして、後にそれを編集者が一覧表に整理することでようやく全体像が判明していたのです。
 より正確にするために教科書会社側が事前に許可を得て録音することができましたが、その場合は録音を複製して文部省に提出することが義務付けられていました。法的根拠のない不当な経費負担の押し付けが、公然と行われていたわけです。
 その録音についても、「検定官の心証を悪くするし、本音を語ってくくれなくなる」などの理由で実行しない教科書会社が大半でした。実教出版や三省堂は録音をしていました。

⑪ このような理不尽な状況が平然と維持されてきている検定制度の下、文部省・文科省に対する教科書会社の置かれた立場を、私は”蛇に睨まれたカエル”同然と表現しています。その状況は現在も根本的には是正されていません。

⑫ そうした力関係を如実に示したのが、昨年夏の「訂正申請」強要事件でした。

⑬ それだけに、今回の検定意見への異議申し立て(意見書提出)による検定意見取り消し事例の存在については、大いに注目する意味があるように思われます。
 強圧的な現在の検定制度においても、理不尽・不公正な書き換え指示に対しては「言いなりにはならない!」との気概が保たれている証しです。

 検定に合格した各教科書の見本本は「大型連休頃までに各高校や教委に届けること」と、教科書課は指示しているそうです。
 多くの人の眼に触れることによって、さらに新たな注目点が掘り起こされる可能性があります。そうした情報をお持ちの方には、共有化を図って下さるよう希望いたします。

 以上 情報と高嶋の私見です   ご参考までに
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