こどもたちと、持続不可能な開発を止め、三番瀬と地球をまもり育もう❣
ふなしん出資金返還訴訟原告団事務局
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東京都も第二湾岸道路建設に乗り出した
~東京ベイeSGまちづくり戦略(案)~
三番瀬保全団体は、三番瀬を通る第二東京湾岸道路の建設を28年間食い止めている。だが国交省と千葉県はあきらめない。東京都も第二湾岸道路建設に乗り出した。
第二湾岸道路は東京都大田区と京葉臨海コンビナートを結ぶ国家プロジェト(国策)である。財界もこの道路の建設促進を要請している。
昨年4月に就任した熊谷俊人千葉県知事は第二湾岸道路の建設に熱心だ。7月、「新たな湾岸道路整備促進大会」を開いた。国交省と千葉県は、新たな湾岸道路を第二湾岸道路の第一段階と位置づけている。
こうしたなかで昨年11月、東京都が「東京ベイeSGまちづくり戦略」(案)を発表した。これは臨海部の開発構想である。「2040年代のベイエリアを実現するための行政のとりくみや民間誘導の方策を示す実行戦略」としている。都はこのなかで第二湾岸道路の建設も打ちだした。第二湾岸道路についてこう記している。
「第二東京湾岸道路が物流を担う広域幹線道路となったときには臨海部は変化し、内陸側はますます内陸水面として考えるべきで、そう考えることが臨海部全体の魅力向上につながる」
三番瀬は再び正念場を迎えつつある。
(JAWAN通信 No.138 2022年2月28日発行から転載)
■2011年6月10日時事通信
30メートルのしぶきを上げ、迫る大津波=福島・松川浦
東日本大震災では、漁港がある福島県相馬市の松川浦も大津波で壊滅的被害を受けた。県水産試験場相馬支場の神山享一(かみやま・きょういち)さんが撮影した映像には、大津波がたかだかとしぶきを上げて遠くの砂州を乗り越え、船や車が黒々とした濁流に流される一部始終が写っていた。
「足の震えがとまらなかった」と振り返る神山さん。職場から隣接する旅館「岬荘」駐車場に避難した後、午後3時41分からカメラを回した。沖へ出ようともがく大小の漁船に、松川浦大橋の下から流入する大量の波…。「今出るのは命取りだ」「きゃー」との悲鳴が次々に 上がる。
さらに、「沖見ろ」との叫びの後、大津波が1キロ先の砂州に激突、30メートル近くもしぶきを上げ、迫った。神山さんたちも急いで旅館2階へ避難。直後のカメラは、港町が水没し、根元から折れて倒れる電柱や、うねりながら激しく突き進む津波の様子をとらえ、「地形が変わった」「海との境界がなくなった」との声が飛び交った。【県水産試験場相馬支場 神山享一氏撮影】