=『世界』【読者談話室】=
 ◆ 大阪府政の惨状
   その始まりは「君が代条例」

志水博子(交野市・69歳・無職)


 本誌3月号の久保敬さん名田正廣さんの対談「子どもがいて、地域があって、学校があるー大阪の『教育改革』で何が失われたか」を興味深く拝読した。
 今、大阪で起こっている、統一テストや学校選択制による「競争による統治」の現状を、現職の小学校校長と中学校校長があそこまで包み隠さず話されたことに敬意を表したい。
 なぜ、あそこまでの状況が大阪で生まれたのか。私は、それは「君が代条例」から始まったと考える。

 2006年、第1次安倍晋三内閣が教育基本法を「改悪」し、その2年後に、橋下徹知事によるいわゆる維新府政が誕生する。橋下知事が就任後真っ先に行ったのが、「君が代」強制に異議申し立てを行う教員の排除であった。


 先日亡くなった石原慎太郎氏が、都知事就任後、最初に行ったことも「君が代」による教員の管理支配であった。
 これは偶然ではない。ともに政治的「愛国」ツールとして「日の丸」「君が代」を利用し、政治による教育支配に向かったわけである。

 そして、2011年6月、橋下知事は、教員に「君が代」起立斉唱を義務付ける条例を制定する。石原慎太郎でさえできなかった、全国で初めての条例だ。その真の狙いが明らかになったのは数ヶ月後。大阪維新の会が議会に上程した「教育基本条例案」に、誰もが息を呑んだ。
 当時、東京大学の高橋哲哉教授は「教育基本条例は教育『破壊』条例である」と喝破した。

 高橋氏は、条例案の目的が、知事による教育現場の支配が目的であり、民主主義の名のもとで独裁を正当化し、教育基本法を改悪した勢力が目指す国家主義と競争原理の導入という二大目標を、知事による政治的支配を拠り所にしてよりあからさまな形で実現しようとしていると警告を発した。
 そこにこそ大阪維新の会の狙いがあったとみてよい。

 以来、「君が代」をてこにして、政治が主導する新自由主義的教育施策が導入されていく。その10年後の有様が現在の大阪の姿といえる。
 政治がいかに重要か、それを思わずにはいられない。

『世界』2022年4月号【読者談話室】