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■3/19(土) 16:15福島中央テレビ
最大震度6強の地震から丸2日 相馬市では断水続く・福島
福島県内で、最大震度6強を観測した地震から丸2日。大きな被害があった相馬市では、18日から降り続いていた雨がやみ、19日の朝からは、太陽が顔を出し始めた。
地震でほとんどの世帯が断水した相馬市では、飲み水や調理用の水は、現在も使えないため、ここ相馬港では、宮城海上保安部の巡視船「まつしま」が給水支援を行っていて、多くの人たちが訪れている。
福島県内では、16日の地震で、相馬市で1人が亡くなり、96人が重軽傷を負った。(NNNまとめ)
また、住宅などの建物にも、大きな被害が出ている。
そのため、屋根を覆うためのブルーシートなどが配られていて、住民が片付けに追われていた。
住民は「(家は)直せるような状況じゃないから解体するかな、11年前は修理をして住んでいたが、今回はダメだ。諦めだ。」と話した。
雨で地盤が緩んでいる所では、今後も、余震や土砂災害などに注意が必要。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1a8eb6031f0fd693ae0e6054d8085a69b2dd2a94
■[[2022年3月19日12時10分]
宮城、福島両県で4万2000戸が断水続く 「2日間風呂入ってない」雨降る中給水所に列
福島県相馬市で給水に並ぶ人たち(共同)
福島県相馬市で給水に並ぶ人たち(共同)
福島県相馬市で給水に並ぶ人たち。手前には瓦が崩落したままだった(共同)
東北地方を中心とする16日の地震で最大震度6強を観測した宮城、福島両県の被災地では19日、初の週末を迎えた。東北新幹線が運休している那須塩原-盛岡間では週末に臨時列車を運行。両県では約4万2000戸で断水が続き、近隣の自治体や陸上自衛隊などによる給水支援が続いた。負傷者が200人を超えたことも判明した。
脱線した東北新幹線が区間運休となった影響で、JR東日本は19~21日、東北線の盛岡-仙台間、仙台-那須塩原間で臨時列車を運行。仙台駅には、東京方面へ向かう人たちが早朝からホームに列を作り、午前6時57分発の那須塩原行きに約350人が乗り込んだ。
仙台市で単身赴任中の男性会社員(56)は午前5時に自宅を出発、約4時間かけ家族のいる東京都内の家に帰るという。「高速バスはほとんど満席と聞き、新型コロナウイルスの感染も心配だったので、電車で移動することにした。仙台に戻る切符も取ってあるが、余震が続き本当に乗れるのか」と心配そうに話した。
厚生労働省によると、19日午前9時時点で、宮城県で約2万9000戸、福島県で約1万3000戸が断水。雨が降りしきる中、宮城県大崎市の給水所では19日午前、水を求める人が次々と訪れた。同市の主婦須田浩美さん(53)は「断水は東日本大震災以来。今回の地震がそんなにひどいとは思っていなかった。2日間風呂に入っていないので、早く入りたい」と話した。
福島県相馬市の自宅で片付けに追われていた無職佐々竹義昭さん(72)は「風呂に残ったお湯を使ってトイレを流しているが、もうすぐ尽きてしまう。早く水道が復旧してほしい」と疲れ切った様子で語った。
総務省消防庁によると、19日午前10時時点で地震により3人が死亡し、205人が負傷した。(共同)
https://www.nikkansports.com/general/news/202203190000384.html?cx_testId=162&cx_testVariant=cx_1&cx_artPos=0#cxrecs_s
2022年3月18日 6:00
震度6強の震源、昨年2月と近接 専門家「エネルギーは2倍」
宮城、福島両県で震度6強、マグニチュード(M)7・4を観測した16日夜の地震は、昨年2月13日に福島県沖であったM7・3の地震と同じ太平洋プレート(岩板)内部で発生し、震源も非常に近かった。東北大の松沢暢教授(地震学)は「昨年2月の地震の影響で隣接する領域に力が集中的に加わり、断層の破壊が引き起こされたのではないか」との見方を示す。
松沢教授によると、昨年2月の地震では震源から南西に、今回は反対の北東に断層の破壊が進んだ。いずれも震源が陸地に近いため強い揺れが観測された一方、震源が深かったことで海底の上下変動は小さく、津波は弱くなった。
断層面がずれ動いた量などで計算するモーメントマグニチュード(Mw)は昨年2月が7・1に対し、今回は速報値で7・3。Mwが0・2大きいとエネルギーは約2倍になるため、広範囲で大きな揺れや被害につながったとみられる。
東日本大震災の本震は陸側プレートと沈み込む太平洋プレートとの境界面で起きた。その後も、プレート境界がゆっくりとずれ動く「余効滑り」などの影響が長引く中、昨年2月と今回の地震が発生したと考えられ、11年たっても地震活動が活発な状態が続く。
松沢教授は「残念だが地震活動が震災前の状況に戻るには少なくとも数十年、おそらく100年以上かかる。今後もM7以上の地震が数年に一度起きても不思議ではない」と引き続き警戒を呼び掛ける。
仙台管区気象台によると、宮城県北部では長周期地震動の「階級4」を県内で初めて観測した。4階級のうち一番上で、ビルの高層階では立っていられず、はわないと動くことができない。未固定の家具は大半が移動し倒れるものがある。
https://kahoku.news/articles/20220318khn000002.html
■3/18(金) 10:09福島民報
災害頻発にぼう然「勘弁して」 福島県震度6強 相次ぐ家屋損壊
地震で壊れた屋根瓦を眺める遠藤さん=相馬市、17日午前7時40分ごろ
福島県や宮城県で深夜に最大震度6強を観測した地震から一夜明けた17日、被害状況が次々と明らかになった。相馬市や新地町では家屋の損壊が相次ぎ、断水が続いている。東日本大震災以降、台風19号、昨年2月の福島県沖地震など大規模災害が相次ぐ。「もう勘弁して」。被災者は悲痛の声を上げる。災害直後の現場を取材した。
◇ ◇
相馬市市内には早朝から自宅の片付けに追われる住民の姿があった。市内坪田の無職遠藤幸子(ゆきこ)さん(80)は、自宅の屋根から崩れ落ちて粉々になった瓦を見つめ途方に暮れていた。震災や昨年の地震でも住宅の被害を受けたが、「これまでで一番ひどい」と驚きを隠さない。居間では食器が散乱して割れており、揺れの大きさを物語っていた。
25年前に夫を亡くし、一人で暮らしている。毎日欠かさず遺影に手を合わせ、平穏な日常を祈っていた。それにも関わらず、再び災難に見舞われた。床に落ちた遺影を拾って抱きしめ、「もう勘弁してほしい」と目を潤ませた。
沿岸部では、特に損傷の激しい家屋が目立つ。市内尾浜の無職山野辺久さん(93)は震災直後の津波で自宅が水没し建て替えを余儀なくされた。その経験を踏まえ、今回は津波注意報が出る前に避難した。「まだ安心はできない。引き続き警戒しなければ」と表情を引き締める。
市によると、市内2カ所の避難所には17日午後2時時点で47世帯の105人が身を寄せた。大規模な停電が発生したが、一部は復旧した。一方、断水は復旧の見通しが立っていない。
松川浦大橋近くにある鵜ノ尾岬トンネル付近では崖崩れが起きた。のり面が崩落し、大量の土砂が市道を覆った。市内各地で道路のひび割れが確認され、慎重にハンドルを握る姿が見られた。
スーパーなどの小売店が休業し、食料確保はままならない。先行きの見えない状況に、市民は言葉少なだった。
◇ ◇
新地町でも昨年2月の地震に続き、住宅の塀や屋根瓦が落下するなど被害が相次いだ。
町南部に位置する駒ケ嶺地区に住む無職荒美恵子さん(69)方では、道路に面したブロック塀の上半分が崩れ落ちた。昨年の地震ではわずかなひびが入った程度だったが、今回は大震災時と同規模の被害が出た。塀の一部は道路の中央付近まで飛び散った。「万が一、崩壊時に人が歩いていたらと思うとぞっとする」と語る。
補修には200万円程度かかる見込み。町によると、現状では自治体からの補助制度はない。荒さんは「立て続けの出費だけに、負担は大きい」と困惑する。
https://news.yahoo.co.jp/articles/0cf1b2e646ed212bb96e0978e514c25707f323c2
■福島、あの揺れ再び 「どうして何度も何度もひどい目に…」
食堂の通路に足の踏み場がないほど物が散乱した旅館「斎春」=17日午前11時5分ごろ、相馬市尾浜
■震災より激しい|浜通り地方
16日夜に発生した地震で、福島県では相馬市と南相馬市、国見町で最大震度6強を観測した。東日本大震災で大きな被害を受けた浜通り地方では、相馬市で1人が死亡し、住宅の被害も相次いだ。同市や楢葉町などでは断水となった。
【写真】倒壊した中沢水産の蔵
相馬市の松川浦沿いの尾浜地区では、壊れた瓦屋根や割れた窓ガラスを撤去する住民の姿があった。旅館「斎春」の屋内でも食器などが散乱し、窓ガラスが破損。運営する斎春商店の専務斎藤智英さん(39)が「壊滅。再開する自信はない」と漏らす。3階建ての建物は東日本大震災の津波で1階が被災し、昨年2月の震度6強の福島県沖地震でも被害を受けた。2度の改修で借金を抱えている。
新型コロナウイルスのまん延防止等重点措置が6日に解除されたばかり。宿泊客が戻りつつあり、今週末も予約で埋まっていた。だが、今回の地震の影響で断る予定だ。「どうして何度も何度もひどい目に遭わなければいけないんだ」。斎藤さんは悔しがった。
尾浜地区の水産加工会社「中沢水産」では石組みの蔵が倒壊。大震災の津波と昨年2月の地震にも耐えた。専務の蜂谷清和さん(54)は「大震災よりも激しい揺れ。まさか壊れるとは」とぼうぜんとした。
相馬市の「スポーツアリーナそうま」に避難した同市の無職女性(89)は「11年前の地震よりも揺れは強かった気がする」と話す。
震度6弱を観測した楢葉町では最大2000世帯で断水。町役場に設置された給水所には17日午前、住民らが容器を手に列を作った。70代の無職女性は「大震災を思い出し、怖くて寝られなかった」と明かした。
■命あるだけ救い|中通り地方
福島県の中通り地方では、昨年2月の福島県沖地震の傷が癒える前に再び地震の被害に遭った。自治体では罹災(りさい)証明書の発行やボランティア募集も始まった。
国見町では15人が軽傷を負った。空き家1棟が倒れ、崩れた屋根の下に乗用車が埋まった。他の建物でも屋根瓦が落ち、外壁が崩壊するなどしていた。
同町の自営業大内勝美さん(83)の店舗兼自宅では棚から陶器類が落ち、商品が散乱。東日本大震災後に外壁に鉄骨を入れ、福島県沖地震後には棚が倒れないように補修もしていた。「建て直しながら商売を続けてきたのに。いつになったら片付くのか」。大内さんは嘆いた。
避難所の観月台文化センターには、最大で33世帯67人が身を寄せた。新型コロナウイルス対策で世帯ごとにテントが張られ、体調不良の場合は和室に誘導された。国見町役場も庁舎が被害を受けたが、午前に罹災証明書発行が始まり、町社会福祉協議会がボランティアを募っていた。
自宅の瓦が落ち、天井が抜けるなどした桑折町の無職後藤佳広さん(56)は「(東日本大震災や福島県沖地震より)被害が大きい。どうしたらいいのか分からない。命が助かっただけが救いだ」と肩を落とした。
福島市の繁華街のビル6階にある飲食店では、テーブルが倒れてグラスや酒のボトルが床に散らばった。来店していた同市の会社員(32)は「大きく2回揺れ、自分はここで死ぬのかという恐怖を感じた」と話した。
震度5強の郡山市中心部にある大型書店では床に書籍が散乱し、店員が総出で片付けに追われた。当面の間、臨時休業するという。
同市の八山田災害公営住宅に住む無職男性(82)は「東日本大震災から11年の節目を迎えたばかり。嫌な記憶がよみがえり、一晩中寝られなかった」と付かれた様子だった。
コメント
mje***** | 1日前
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これだけ定期的に大きな地震があるとこの先も不安になりますよね。私の周りでは地震が不安とのことで東北から引っ越して来た人が何人かいます。
ちなみに静岡県浜松市です。こっちもいつか大きな地震が来るとずっと言われてる土地なんですけどね、、 でも不思議ともう何十年も震度4以上の地震は来てないです。
引っ越して来た人達はみんな決断してよかったと言ってます。簡単ではないとは思うけど長い人生で考えたら生まれ育った街を離れるというのもひとつの選択肢だと思います。
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dgpjamxdagtj | 1日前
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こんなに何回も地震があり、今は家がかろうじて持ち堪えているにせよ、ダメージはかなり大きいし、また次回大地震あったら倒壊する可能性もある。
毎回修繕するにも地震保険も対象ならないと言われ、修繕費が追いつかない。
国や県でもう少し補助金など考えてくれないと住めない家も続出してくるのでは?
人口減少にもなりかねない。
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ryo***** | 1日前
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どうして何度もひどい目に…
気持ちは痛いほどわかる
だがその気持ちをいくらぶつけても日本に住むと決めた以上地震とは付き合っていかなくてはいけないのが割り切らなくてはいけない部分だと思う。
誰かに何かを言って解決する問題ではない。
起こる時は起こってしまう。
全員ができる限りの備えと安全のための知識を身につける以外日本人に選択肢はない。
数々の震災を経験した日本人だからこそ支え合って生きていくしかない。
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kin***** | 1日前
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1年前にあった地震の修繕が12月に終わったばかりなのに、またそれ以上の地震被害に遭い、最悪です。
ホント嫌になる。昨日も朝から状況確認と励ましの電話がたくさんきたけど、同情するなら○○をくれです・・・
でも、実際に物資を運んでくれて、何時間も片付けを手伝ってくれた方もいたので、嬉しかったです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/5b18698cb0570026ff64054b3fef1f8bc9a4fe6c
3/17(木) 20:53日刊スポーツ
福島沖地震「3・11とは比べものにならないほど揺れた」最大震度6強相馬市で倒壊など被害続出
崩落した相馬中村神社の第3の鳥居(撮影・鎌田直秀)
16日午後11時36分ごろに発生した、福島県沖が震源で最大震度6強を観測した地震から一夜明けた17日、各地の甚大な被害が明らかとなった。福島、宮城の両県で計3人が死亡し、ケガ人は12県で160人超。宮城で死亡した1人についても、警察などが地震との関連を調べている。鉄道は運転見合わせ、高速道路でも通行止めが相次いだ。最大の震度6強の福島県相馬市では建造物の倒壊など被害が続出。市民は「3・11以上の揺れを感じた」と、深夜の恐怖を振り返った。
【写真】崩壊した相馬中村神社の大手一ノ門
◇ ◇ ◇
国の重要無形民俗文化財に指定されている「相馬野馬追」の出陣式が行われる相馬中村神社(福島県相馬市)が崩壊した。宮司の森拓樹さんは「3・11の地震とは比べものにならないほど揺れた。本当にすごかったです」。片付け作業をしながら「もう、どうしたら良いのか…」と大きなため息をつき、「野馬追も今年こそは、通常通りにと思っていたのに(復旧が)間に合うのかどうかも分からない」と悲痛な声をあげた。
約1年前の2月13日にも、震度6強の地震に襲われ、被害を受けたばかりだ。1928年(昭3)建立の大鳥居が損傷し、参道の石灯籠も崩壊。7月の野馬追に間に合わせるため、関係者らがクラウドファンディングで寄付金を募って復旧させた。昨年12月に福島市内の支援者からステンレス製の大鳥居(高さ7・4メートル)を寄贈されてから約3カ月、「つかの間だった…」。今回は第2の鳥居、第3の鳥居が崩落。造り変えた24個ある参道の石灯籠も再び全滅。本殿などは無事だったが、7月23日開幕の野馬追出陣式開催に危機感をつのらせた。
相馬市内の建物も、屋根瓦の落下や、壁や塀の崩壊、窓ガラスが割れるなど、被害が多発した。道路も亀裂や隆起が続出し、通行止めにせざるを得ない危険地域も多数。大通りにかかる歩道橋が崩れ落ちた光景に、自宅室内の清掃作業を行っていた50代男性は「もし、昼間に同じ地震が起きていたら、もっともっと犠牲者が出ていたと思う」。ドラッグストアに買い物に来た20代女性も「食事どきだったら火事もあっただろうし、幼稚園や小学校に子どもが行っていたらと思うと、震えが止まりません」と男児の手をギュッと握った。消防団として尽力する40代男性は「10年に1回こんな地震が来るなんて、本当にやってられないっすよ」。【鎌田直秀】
○…相馬市では断水が続き、計7カ所で自衛隊による給水が行われた。市から市民にメールやLINEで該当地域の時間や場所を通達。午後2時半予定だった八幡公民館では、45分遅れで給水車が到着すると拍手も起きた。1世帯10リットル限定で、クラッカーなども配布。1人暮らしの80代女性は「ようやく水がもらえて良かった。家はもうグチャグチャで11年前の時よりもひどい。窓もとれちゃって風が入るので、明日は雨か雪みたいだから不安」。ポリタンクを両手で抱えて帰路についた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/db14fc71dff8309066415b59a959df3712d0e611
福島沖地震「3・11とは比べものにならないほど揺れた」最大震度6強相馬市で倒壊など被害続出
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/photonews/photonews_nsInc_202203170001117-3.html?utm_source=headlines.yahoo.co.jp&utm_medium=referral&utm_campaign=%E3%80%8C3%E3%83%BB11
3/17(木) 19:05日刊スポーツ
3・11でも倒れなかったのに…相馬市・正西寺の山門が深夜の揺れで崩壊
相馬市中野の正西寺。明治維新後に中村城から移築された市の有形文化財に指定されている山門が崩れた
震度6強を記録した相馬市の正西寺では、明治維新後に廃城となった相馬中村藩の中村城から移築された山門が崩壊した。市中心部に近い相馬市中野の正西寺の八幡朋行さん(50)によると、山門は市の有形文化財で11年の東日本大震災でも21年2月13日の地震でも一部が損壊したが倒れはしなかったが、16日深夜の揺れで崩れ落ちた。
昨年の地震からの修復がこのほど終わったばかりだった。山門脇の鐘楼も崩れ落ちた。八幡さんは「昨年の揺れより大きかったと思いますが、それ以上に『またか』という思いが大きかった」と語った。
境内にある墓地でも、大きな墓石や灯籠が倒れるなどの被害が出ている。東日本大震災でも被害があり、多くの墓で補修や耐震補強などが施されていたが、再び、被害が出た。
近隣の民家にもガラスが割れたり、用水の石積みが崩れるなどの被害が出ている。近隣住民によると「東日本大震災時の揺れよりも、昨年2月の揺れの方が大きかったが、それ以上に大きく揺れた」という。数百メートル離れたイオン相馬店は壁面が一部崩落し、看板が下に落ちていた。駐車場には地割れが走り、出入り口のガラスの自動ドアが割れるなどの被害が出ている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/456ae610fe573ce27b9ca01e12369e18981881a4
3/17(木) 20:51毎日新聞
「津波が来るのでは」 住民震え止まらず 宮城・福島で震度6強
ブロック塀や石碑が倒れた寺=福島県相馬市で2022年3月17日午前10時49分、尾崎修二撮影
真夜中の東北を繰り返し襲った強い揺れから一夜明けた17日、最大震度6強を観測した宮城や福島では道路の破損や断水が相次いで確認され、地震の混乱が続いた。東日本大震災から11年を迎えたばかりの沿岸部には津波注意報が発令され、住民は「あの日を思い出した」と動揺した。脱線した東北新幹線の乗客は暗闇と寒さを耐え、朝になってようやく帰宅できた。揺れは東日本の広い範囲に及び、首都圏も停電に。東京のバスターミナルは、東北に向かう客が目立った。
【写真で見る】宮城・福島で震度6強 被害の様子など
◇沿岸部
震災で大きな被害を受けた沿岸部の住民は、津波注意報発令に身を縮ませた。
震度6弱だった宮城県東松島市。市観光物産交流センター「奥松島イートプラザ」は、高さ約2メートルの玄関ガラスや土産物の酒瓶が割れたほか、壁面にひびが入った。店長の武山千佳子さん(52)は「ここ数年の地震ではほとんど被害がなかったのに……」と驚いた様子。「お客さんが誰もいない時間帯でよかった」と安堵(あんど)した。
震災で同県石巻市の自宅が全壊しており、この日は眠れなかったという。「昨年(の2月に震度6強を記録した地震)もそうだが、3月近くに地震があるとあの日のことがよぎり、津波が来るのでは、と落ち着かない」と話した。
同じく震度6弱を記録した石巻市。震災で17歳だった三男を亡くした三條すみゑさん(63)は「一瞬地鳴りがし、横揺れの後に縦揺れが来た。震災よりも強く感じ、震えが止まらなかった」と振り返る。17日は親しい人同士で「(3月11日から間もない)この時期に起こるのは、『忘れるな』ってことなんだね」と話し合ったという。
震度6強だった福島県相馬市の「スポーツアリーナそうま第二体育館」には、17日夕時点で74人が避難している。夫と避難してきた女性(81)は「2回も強い揺れが来て……。でも大きな津波が来なくてよかった」。昼過ぎに自宅を見に行くと、室内はほとんどの食器が割れるなど散乱していたという。「高齢夫婦なので、断水が解消しないと不安で帰れない」と疲れ切った様子だった。
◇震度6強
震度6強を観測した宮城県内陸の登米市。一部の道路は亀裂や隆起が確認され、通行止めになった。宮城、福島以外の東日本の停電は17日朝までに大部分が復旧したが、同市では停電が続き、信号が点灯しない交差点に入った車は、スピードを落としながら通り過ぎた。市によると、道路の破損が50カ所以上確認され、断水も数十カ所発生。給水車が民家を個別に回った。
住民は後片付けに追われた。登米市は震災でも震度6強を観測しているが、自宅敷地の地面が隆起したという女性(72)は「震災以上にひどい揺れだと感じた。家が崩れ落ちるんじゃないかと恐怖でいっぱいだった」と語った。
同じく内陸で震度6強だった福島県国見町。木造2階建ての空き家が崩れ、駐車場に止めていたワゴン車の上に屋根が覆いかぶさっていた。隣の車の窓ガラスも粉々に割れていた。空き家と駐車場の所有者は「車の持ち主に申し訳ない」と困惑していた。
◇中心市街地
東北の中心市街地にも影響が出た。
仙台市の観光名所、仙台城跡の伊達政宗の騎馬像が傾き、馬の脚に亀裂が入ったのが確認された。市は倒れる恐れがあるとして、周りを柵で囲うなどの対策を取った。
福島市の中心街にある2020年に閉店した百貨店「中合(なかごう)」のビルでは、5階部分の外壁が地上に崩れ落ちた。近くの飲食店の70代の女性店主は「まさか壁が落ちてくるなんて」と絶句していた。【玉城達郎、百武信幸、平家勇大】
https://news.yahoo.co.jp/articles/51bad64787cc76da7cd216827b1c9820b4040d19
宮城・女川町「おながわ春のまつり2022」が東北震度6強地震を受け中止、高橋洋子出演予定も
[2022年3月17日13時19分]
16日夜に東北地方で発生した、最大震度6強の地震の影響を考慮し、中止を発表した「おながわ春のまつり2022」のポスター
16日夜に東北地方で発生した、最大震度6強の地震の影響を考慮し、中止を発表した「おながわ春のまつり2022」のポスター
東日本大震災の被災地・宮城県女川町で20日に開催予定だった「おながわ春のまつり2022」実行委員会は17日、前日16日夜に東北地方で発生した、最大震度6強の地震の影響を考慮し、中止すると発表した。
「2022年3月20日 日曜日に開催予定でした『おながわ春のまつり 2022』は、3月16日水曜日の深夜に東北地方を襲った最大震度6強の地震の影響と今後数日間は余震の心配があり、参加されるお客様の安全を考えて、中止とさせていただきます」
おながわ春のまつりは、11年に発生した東日本大震災による津波で甚大な被害を受けた、女川町の復興を目的に、震災発生翌年の12年から19年まで開催されてきた「女川町復幸祭」の意志を引き継いだイベントだ。20年春に新型コロナウイルスの感染が拡大し、従来通りの開催が困難な状況となったが、コロナ対策の徹底を含め、3年ぶりの開催に向けて準備を進めてきた。
目玉ゲストとして、21年大みそかのNHK紅白歌合戦に出場し「エヴァンゲリオン」企画で「残酷な天使のテーゼ」を歌った高橋洋子が出演し、ライブを行う予定だった。またHTBの人気バラエティー「水曜どうでしょう」のエンディングテーマ「1/6の夢旅人」や08年の大ヒット曲「手紙~親愛なる子供たちへ~」などで知られる、シンガー・ソングライター樋口了一らの出演も決まっていた。
実行委員会は
「2012年から毎年3月に実施してきた女川町復幸祭を継ぐものとして、新型コロナウイルスへの対策をとったうえで、3年ぶりの開催を目指し、町民一丸となって準備を進めてまいりましたが、しばらくの間、余震が予想されること、また何よりも全国からの参加者やゲストとしてお招きする予定だった歌手やタレントの皆さんの主たる移動手段である鉄道や道路にも被害が発生し、移動そのものも難しくなっていることから、苦渋の決断を致しました」
と、余震の危険性に加え、ゲストや観客が移動するための、公共交通機関への深刻なダメージも考慮したと説明した。
また「津波が来たら高台へ逃げる」という、東日本大震災に伴う津波避難の教訓を後世に伝承するための年中行事として、19日に開催予定だった「津波伝承復幸男」も、同様の理由により延期するとした。
実行委員会は、鈴木康仁委員長の名で「女川町では、今後も皆様に楽しんでいただけるイベントを企画・開催していきたいと考えております。改めての機会に、また皆様をお迎えできるよう力を尽くしてまいります。引き続きよろしくお願い申し上げます」と呼び掛けた。
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202203170000358.html?utm_source=headlines.yahoo.co.jp&utm_medium=referral&utm_campaign=%E3%82%82%E5%80%92%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%8B
2022年3月17日 13:23
真夜中の避難「怖かった」 津波注意報で沿岸部の住民緊張
不安そうな表情でテレビ画面を見詰める住民ら=17日午前0時50分ごろ、仙台市宮城野区の高砂中
16日深夜に最大震度6強を観測した宮城県内は17日、早朝に津波注意報が解除され、人々が避難所から帰宅した。住民らは激しい揺れに驚き、避難を決意したと口をそろえた。
仙台市若林区の七郷中では午前2時ごろから住民の帰宅が始まったが、被服室に毛布を敷いてそのまま横になる人もいた。インドネシア出身の技能実習生レガ・マヘンドラさん(21)は「初めて大きな揺れを経験し、怖かった。一緒に暮らす5人で自転車に乗って避難した」と話した。
宮城野区の岡田小には地震直後から避難者が訪れた。家族6人で来た公務員山内園子さん(41)は「揺れがあまりにも大きかったので、津波注意報を待たずに避難した」と説明。同区の高砂中に家族5人で避難した40代の会社員男性も「2度目の揺れで東日本大震災を思い出し、津波の警報や注意報が出る前に歩いて来た」と語った。
三陸沿岸部でも速やかに避難した住民が目立った。石巻市の大街道小に夫(62)と身を寄せた田中みさ子さん(60)は「食器や窓が割れ、これは津波が来るに違いないと思い、慌てて避難した」と話した。
気仙沼市民会館を母(91)と訪れた主婦(57)は「就寝中だったが1回目の揺れで跳び起きた。母が高齢なので薬やマスクなど必要な物だけを持ってすぐ逃げた。揺れが大きく驚いた」と振り返った。
https://kahoku.news/articles/20220317khn000057.html
2022年3月17日 10:49 | 2022年3月17日 22:20 更新
伊達政宗騎馬像が傾く 周囲立ち入り禁止に 仙台城跡、石垣崩落
地震で傾いたとみられる仙台城跡の伊達政宗騎馬像=17日午前8時ごろ、仙台市青葉区川内
16日に宮城、福島両県で震度6強を観測した地震は仙台市の観光名所、仙台城跡(青葉区)を直撃した。本丸跡の仙台藩祖伊達政宗の騎馬像が傾き、石垣が一部崩落するなど杜の都を象徴する場所が傷ついた。
市によると、騎馬像は台座に接続する左前足と右後ろ足に幅1センチ程度の亀裂が入り、正面から見て左側に10度ほど傾いた。地震の強い揺れの影響とみられる。
市は騎馬像が倒れる恐れがあるとして、17日午後に周囲に足場を組み、立ち入りできないようにした。今後は、修復作業に向けた検討に入る。
騎馬像は1964年に再建された2代目。東日本大震災の強い揺れを乗り越えたものの、今回の地震で痛手を負った。青葉区公園課の担当者は「速やかに修復したいが、現地で作業を進められるのか、他に移設する必要があるのか、現時点では何とも言えない」と表情を曇らせた。
仙台城跡では往時をしのばせる石垣が「本丸北西」「酉門(とりのもん)」の2カ所で計28メートルにわたって崩れ、市道仙台城跡線の一部が通行止めとなった。本丸北西は震災でも59メートルにわたり崩落し、市道の全面通行再開まで4年間を要した。
市教委は仙台城跡の石垣を伊達文化の魅力を発信する貴重な財産と捉える。文化財課の担当者は「時間はかかるかもしれないが、きちんとした形に修復することが大事だ」と強調した。
地震で傾いたとみられる仙台城跡の伊達政宗騎馬像=17日午前8時ごろ、仙台市青葉区川内
地震で傾きひびの入ったとみられる仙台城跡の伊達政宗騎馬像の足元=17日午前8時ごろ、仙台市青葉区川内
地震で崩れ落ちた仙台城跡の石垣=17日午前7時35分ごろ、仙台市青葉区
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