=学ぶ会だより~つどいの樹【随想】連載⑥=
◆ 幸徳秋水 非戦の碑
黒田貴子(中学校講師)
◆ 大逆事件とは
国が間違っていました/幸徳秋水さんあなたは無罪です/2011年1月24日日本国/世界中の街角に/ポスターを貼ってほしい...♪(詩 笠木透 曲 佐藤せいこう)
この「ポスター」という曲は、幸徳秋水刑死100年の集会で発表されました。
1910年に起きた大逆事件は、天皇を標的とする爆弾を試作した宮下太吉の逮捕が発端です。無関係の社会主義的思想を持つ人たち数百名が逮捕され、12名が処刑されました。
現在、大逆事件は、日露戦争で非戦論を唱え、韓国併合に反対するアピールを出すなどの活動をしていた幸徳秋水を狙った事件だということがはっきりしています。
◆ 大逆事件に抗議した人たち
幸徳秋水らの逮捕について、欧米諸国で抗議活動がおこなわれ、ロンドンでは1万5000人もの抗議集会が開かれました。
T:日本国内では、外国での動きは知られていませんでした。どうしてかな?この事件のことを新聞は自由に書けたかな?
S:書けなかった!新聞紙条例があった!
T:自由民権運動を抑えるために新聞紙条例が作られましたね。特に天皇に関することは書けませんでした。
そんな中、小説家・徳冨蘆花は、幸徳秋水たちの助命歎願書を書いていたの。でも、判決から6日という異例の早さで秋水たちは処刑されてしまいました。
その直後、一高の弁論部の学生たちが講演の依頼に来て、盧花は「謀叛論」という題の講演をおこないます。彼は「幸徳君たちは時の政府に謀叛人とみなされて殺された。諸君、謀叛を恐れてはならぬ。新しいものは常に謀叛である」と言い切りました。会場は、万雷の拍手だったそうです。
S:そんな大胆なことを言って蘆花は大丈夫だったんですか?
T:蘆花には何もなくて、一高の校長が注意を受けただけだったそうよ。
この事件に疑問を持った小学生もいました。住井すゑの『橋のない川』に、校長が大逆事件のことを児童に語る場面があります。
「幸徳秋水らは日露戦争に反対しました。国の戦いに反対するとは、なんということでしょうか」。
小説の主人公・畑中孝二君は、戦争に反対した人がいたのか!戦争がなければ、父さんは戦死しなくて済んだのに、と思います。
続いて校長の「やつらは世の中から金持ちをなくそうと考えたのです。人間はみな平等だから、と言うのです」という話に孝二君は、わかった!と思います。
幸徳秋水は、みんなが幸せに暮らしていくことをめざしたのだ、と。これは、住井すゑ自身が小学生の時の体験だそうです。
◆ 名誉回復の動きが進む
戦後、この事件の再審請求を最高裁は棄却しました。しかし、犠牲者たちの名誉回復が進んでいます。
秋水生誕150年の今年、秋水の故郷の建立されます。歴史の真実を明かす人々の努力が続いています。
『学ぶ会だより~つどいの樹 第6号』(2021年12月1日)
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