住みたい習志野 転載記事
(静岡朝日テレビニュースより)
本人「これで袴田巌は無罪なんだよ」 弁護団「5点の衣類」の実験結果を改めて主張 袴田事件再審開始に向け三者協議 東京高裁
いわゆる袴田事件の裁判のやり直しをめぐり、弁護団と検察が争点の重要証拠について意見を交わしました。協議後の会見には袴田さん本人も出席しました。
袴田巌さん:「これで袴田巌は無罪なんだよ。事件がないんだから。事件で血がついてたって嘘だそんなもん」
1966年に旧清水市で一家4人が殺害されたいわゆる袴田事件では、東京高裁が静岡地裁の再審決定の判決を取り消しましたが、去年12月に最高裁が審理を再び東京高裁に差し戻し、弁護団が裁判のやり直しを求めています。
22日、東京高裁では裁判所、検察、弁護団が3回目の三者協議を行い、弁護団は犯行着衣とされた「5点の衣類」について袴田さんのものではない、と改めて主張しました。「5点の衣類」は、事件の1年2カ月後に現場の味噌樽から血液の赤みが残った状態で見つかっていますが、弁護団は長期味噌漬けにされた着衣には赤みが残らない、という実験結果を証拠として提出しています。
小川秀世弁護士:「新証拠として検察官が認めることになれば、直ちに再審開始ができるはずだから、そういう選択肢を考えろと」
検察は来年3月の三者協議までに反論意見を提出する予定です。
(OASISの記事より)
袴田事件で「無罪を主張した」裁判官、熊本典道さんが昨年逝去
刑事弁護オアシス
1966年6月に静岡県で一家4人が殺害された「袴田事件」をめぐり、元プロボクサー袴田巖さん(84歳)の公判で一審・静岡地裁の主任裁判官だっ...
刑事弁護オアシス
1966年6月に静岡県で一家4人が殺害された「袴田事件」をめぐり、元プロボクサー袴田巖さん(84歳)の公判で一審・静岡地裁の主任裁判官だった熊本典道(のりみち)さんが11月11日、福岡市の病院で死去した。83歳だった。退官後の2007年に「私は無罪を主張したが2対1で有罪に決まった」と死刑判決の内幕を告白していた。
「告白」に感情を高ぶらせる場面も
熊本さんが「袴田巖さんの再審を求める会」に自筆の手紙を寄せたのは、2007年1月のことだ。「判決の日から今日まで心痛はつづいています」と気持ちを吐露。合議の経過と自分が無罪を主張した理由を挙げ、「有罪の結論の3分の1と、他の2名の先輩(裁判官)を説得しえなかった責任は免れえず、そのまま今日に至ったことは残念でなりません」「できれば早く、(袴田さん姉弟の)2人に謝罪をしたい一心です」と綴っていた。
袴田さんのお姉さん、ひで子さんの物語
漫画「デコちゃんが行く」
1966年、静岡市清水区で起きたみそ製造会社専務一家の惨殺事件。犯人として逮捕された袴田巖さんの無実を信じ、50年以上にわたり戦い続けてきた姉ひで子さんの物語。第二次世界大戦中に子ども時代を過ごし、戦後は経理の仕事で自立した生活を送っていた。ある日、殺人事件の犯人として弟巖さんが逮捕されてしまう。事件をきっかけに、ひで子さんの人生は大きく変わっていく…。生来の負けず嫌いと明るさで数々の困難を乗り越え、希望を捨てずに生きてきたひで子さんの半生を描く。
今もつづく「えん罪」との闘い
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