《リベルテから》
◆ 中野晃一さん講演
「戦後の誓いとしての日本国憲法-自由と人権のために」
10月24日(日)、全電通会館ホールで「学校に自由と人権を!10・24集会」が開催されました。集会での中野晃一さんの講演の掲載についてご本人の了解を得て、その概要を「リベルテ」編集部の責任でまとめました。
《戦後の誓いとしての憲法》
私が大事にしているのが憲法前文で、「日本国民は、国家の名誉をかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」と終っている。
日本国憲法は戦後の誓いとしてスタートし、今に至っている。憲法は完成されたものではなくて、日本が目指していく理想や理念を掲げたものだ。
この憲法ができた1946年には、例えば25条の生存権・生活保障はその時点で約束できていたわけではない。健康で文化的な最低限度の生活は現実ではなかった。
しかし、経済を復興させ、人間らしい生活をだれでも享受できるようにしていくという誓いだった。
男女平等もそう。両性の平等は今でも我々の理想として存在している。
その誓いを放棄するのかしないのかが、憲法を改正するかしないかを考えたときに非常に重要だ。
9条についても、集団的自衛権の容認はもってのほかで、東アジアがより平和になり、将来的には、日本が自衛隊や日米同盟を必要としない状態を目指していくことがわれわれの願いであり、9条が掲げている理想という誓いではないか。
そこに向かうことを放棄したら、元も子もない。
《冷戦期の護憲対改憲》
朝日新聞の世論調査のデータを基に歴史を振り返ってみると、まず冷戦の時代には9条をめぐる護憲対改憲の対立があった。
1952年から78年までの数字を見ると、1952年、日本が独立し自衛隊ができていく時期では9条を変えることに賛成31%・反対32%、後はわからないという人たちだ。
戦前の価値観を持った人が多い中では、9条はおかしいという意見が一定数あった。
一方で戦争はいかん、軍備はいらないという人とわからないという人と、世論はきれいに3つに分かれていた。
その後、朝鮮戦争やベトナム戦争があり、日本を基地としてアメリカが戦争することが続く中で、9条改憲に反対する声が着実に増えていった。
9条改憲に賛成する人は1978年では15%しかいない。改憲反対が71%だ。
大平総理の時代、伊東官房長官が大臣らに対して、5月3日の改憲派の集会には出席しないようにと通達を出していた。そのくらい自民党が護憲側にいた。
自民党が一貫して9条改憲を党是としてきたという話は真っ赤なウソだ。
世論調査を見れば1978年に反対が78%。反対はこのときが最高の数字だ。
この時期、人々の関心が「利益の政治」となる。分配・再分配の問題だ。
これが政治の主要な部分になっていて、左派であればより多く労働者に分配して平等な社会を作る。自民党は、実際は大企業に儲けてもらおうと思っているが、いわゆるバラマキの政治をやる。
地方を中央に依存させ、その代わり票と金を持って来させて一定程度分配し、平等にはならないが弱者を見捨てるのではなく、子分になれば面倒を見てやるというのが自民党の政治だった。
《冷戦氷河期~ポスト冷戦初期》
冷戦末期になり新自由主義が広がり、「改革の政治」の時代の始まりとなり、憲法改革的な発想が生まれてくる。
9条だけではなく他の論点も議論すべきだというのが流行り、環境権や知る権利が話題になった。
本丸は9条だが、9条を変えると言うと復古的な匂いがしてうけない。保守派の改憲論者も9条明文改憲をひとまず棚上げにして憲法改革的に、お試し的に他のことから改憲をしてもいいのではとなる。
新自由主義的な改革が盛んだった時代の中、自民党に限らず政治家なるものは憲法を変える意見の一つでも持っていないと立派でないという勘違いが横行する。そういう時代が90年代に来てしまった。
これがいわゆる改革ブームで、現状維持っまり護憲が不人気になっていくというのが90年代に起きていた。
1997年は憲法改正に賛成46%・反対39%と賛否が逆転している。改正がいいという人が増えてくる。しかし、切迫してはいないので、変えようという動きにはならなかった。
9条改憲に関しては、賛成20%・反対69%でほとんど動いていない。90年代は日本の軍事化については警戒する声が強く、自民党の中でも、9条に関しては変えないという人たちが主流を占めていた。
世論に関しては「ぼんやり改憲論」が増えていく。ムードとして護憲は古臭くて、改憲を時代が求めているという人たちが出てきた。
日本国憲法は世界的にみてもコンパクトな憲法で、日本だと法律に書いてあることが、他国だと憲法の中に入っていたりする。日本の場合は法律の改正で済んでいる。
日本の憲法はコンパクトだが、人権規定はボリュームがある。生存権など他国の憲法には入っていない権利も入っている。新しい権利を作ると言ったって、それ以前にやることがある。ましてや「七十何年、改正していないのは恥ずかしい」というのは馬鹿げた話だ。
1991年に冷戦が終わるころからを見ると、国際貢献論が盛んになり、同時にアジア諸国と和解しなければならないという議論があった。
アメリカだけに任せてはいけない、日本も国際貢献をしなければいけない、そのためには自衛隊も海外へ出られるようにしなくてはいけない、ただその前提条件として、アジア、とくに韓国・中国と和解しなければならないことが認識されていた。
その中で、河野談話や村山談話が出されたり、アジアの女性基金が作られたりした。
《ポスト冷戦期》
これが変わり始めるのが、ポスト冷戦期だ。
冷戦が崩壊したあと、グローバル資本主義の下、弱肉強食の論理で勝ち組・負け組に分化していくなか、自己責任論がとくに日本では小泉政権以降広まっていった。
小泉さんの時に、君が代の強制が始まった。その文脈で彼は靖国参拝を毎年続けた。あの頃竹中平蔵さんを右腕にして構造改革を進め、日本の富を外国に売り渡すことをやっていた。そのときに、タカ派の批判をかわすために靖国参拝を続けるという取引があったというのが実態だ。
これは他の国でも見られることで、中国における愛国教育・韓国におけるナショナリズムがそうだ。
勝ち組・負け組に分断する苛烈な競争社会・格差社会が中国や韓国で広がっている。その中でナショナリズムが国民幻想・一体化幻想を作るために導入されている。
アメリカではトランプが登場し、ヨーロッパでは移民への排外主義が強くなる。それらの裏側には、グローバル企業を中心としたグローバルな新しい経済秩序が作られ、その中で労働者の権利が奪われ、生活者の生存権がないがしろにされるという状況があり、それを覆い隠すためにナショナリズムが煽られる。
「経済安全保障」で何を守ろうとしているのか。
集団的自衛権が典型的に示しているが、日本の国を守るためではなく、アメリカとともにグローバル企業の権益を守るために出兵するのが集団的自衛権の容認だ。
集団的自衛権は自衛権ではない、他衛権だ。
日本は集団的自衛権の行使を容認することによってどうなるか。アメリカは中東などに出かけて戦争している。石油メジャーという企業の利権があるからだ。グローバル企業の権益を守るために米軍が出かけて行き、若者が星条旗に包まれて戻ってくることになる。日の丸も星条旗も使い方は同じだ。
日本の場合、対米従属の愛国という大変奇妙なパラドックスが続いている。日の丸を言っている人は対米追随になって、自衛隊で日本の若者が海外で人を殺して死ぬというためにそれを法制化しようとしてきた。それが実態だ。
《ヘイトと分断の時代》
その中で、「改革の政治」がヘイトと分断の「アイデンティティの政治」になつてしまっている。
移民排斥とか在日の人たちに対する攻撃・LGBTの人たちへの差別・女性差別という形で先鋭化している。
新自由主義が社会のきずなをズタズタにしてしまった。その廃境の中に今、反自由主義的な考え方が広まっているのが実態だ。
対米従属路線の強化と抱き合わせで、歴史修正主義・排外主義が広がり、復古的な「改憲」論も復活してきている。一時期はやった改革的な改憲論が後景に退き、結局9条を変えたいということが安倍さんではっきりわかった。
しかも明文改憲はハードルが高いから、憲法そのものをいじらないで解釈改憲で進める。日本の軍事輸出、軍学共同研究、あるいは日本学術会議の話もこの流れだ。
日本学術会議は軍事研究を基本的にやらないという姿勢を堅持している。それを怒った政府側は、理工系にゆさぶりをかけるために、人文社会系の一部を標的にし、こいつらと袂を別て、研究費が欲しいなら言うことを聞けと脅している。
これが自称愛国者たちのやることだ。日本の学術研究を根本から壊すことをやって恥じるところがない。壊す方の壊憲にシフトしているのが現実ではないか。
2021年の世論調査を見ると、憲法改正に賛成45%・反対44%で拮抗しているが、9条改憲については賛成30%・反対61%と反対が多い。
しかし、岸田さんにつゆ払いをさせて9条改憲を、壊す方・変える方、両方の意味で進めたいと考えていることは間違いないだろう。
《戦後75年、誓いを新たに》
今、私たちに、戦後75年の誓いをどうやって新たにすることができるかが問われている。
憲法という未完のプロジェクトをあきらめてしまうのか、米中緊張が高まっているときに国を守れるのかと言ってアメリカの言いなりになり白旗を上げてしまうのか。
それとも、グローバルな格差社会が広がっているという現実に対して他の国の人たちと連帯しながらたたかっていくことができるのか、と問われている。
私たちは、分断することによって支配するグローバル資本主義に屈服するのか、それとも連帯と共生のために新たなグローバリズムを目掲すのかが問われているのであって、排除する政治でなくて、連帯の政治を作っていけるのカどうカが大きな課題だ。
変えていくのは大変だが、ぜひみなさんとも引き続き頑張っていきたい。
『東京・教育の自由裁判をすすめる会ニュース リベルテ 第64号』(2021年11月16日)
https://wind.ap.teacup.com/people/16471.html