◆ 中教審が研修強化で、お国のための教員作り
   ~岸田文雄・文科副大臣の「教員統制・いじめ」政策
 (『紙の爆弾』)

取材・文=教育ジャーナリスト 永野厚男

 


教員免許更新制は中教審「新時代の初中教育特別部会」でも議題に。
写真は昨年11月13日のZoom会議。


 文部科学省の中央教育審議会(中教審)・「令和の日本型学校教育」を担う教師の在り方特別部会が、教員免許更新制(第一次安倍政権が二〇〇七年六月、教育職員免許法を改定し、〇九年四月一日から導入)を廃止する代わりに、教員一人一人を一層の研修強化で統制する『審議まとめ案』を公表した。

 同省は十月三十日までパブリックコメントを受け付けていたが、このまま「答申→法改悪」になれば、国家権力の思い通りの教員作りとなるだろう。そして、岸田文雄首相の文部科学副大臣当時の教員研修強化策にも触れたい。


 ◇ 1 旧文部省時から教員統制策

 自民党に代表される保守政権の教員統制策は、主幹教諭等職階制や職員会議形骸化、業績評価制度等による上意下達の学校組織作りだけでなく、研修強化策もある。

 中曽根政権の臨時教育審議会答申を受け、旧文部省主導で教育公務員特例法(以下、教特法)を改定し、新規採用教員に対し一年間、「週一〇時間以上、年間三〇〇時間以上の校内研修、年間二五日以上の各都道府県の教育センター等での校外研修」を義務化した初任者研修制度は、一九八九年度から順次全学校種で本格実施となった。

 筆者は八〇年代後半、試行段階の洋上研修(旧文部省が初任者研修の一環として夏期休業期間、大型船舶を借り切り日本一周)の“講師”の一人、加戸守行(かともりゆき)同省官房長(退官後、自民党等の推薦で愛媛県知事。二〇年三月、八十六歳で死去)の船内“講演”の録音テープを入手。

 「君が代の意義や日教組非難中心で、国家主義に満ち偏っている」とミニコミ紙で暴いたことがある。この洋上研修では、朝夕、大音量での“君が代”の下、船上ポールの国旗の上げ下げを新採教員に行なわせていた。

 〇一年~〇二年、第一次小泉政権で、文部官僚出身の遠山敦子文部科学相の下で岸田文雄氏は文科副大臣を務めた。その岸田氏は「十年経験者研修」(以下、十年研)を導入する教特法改定案を、「教員のニーズに応じて」という国会答弁を繰り返し、“賛成多数”で成立させてしまった(社民・共産は反対。なお十年研は第二次安倍政権が一六年十一月、教特法を再改定し、「中堅教員等資質向上研修」と名称変更した)。

 だが十年研は、実際は「教員のニーズ」ではなく、「教育委員会や校長のニーズ」に応じた研修が多かった。少なからぬ教委が寿司のように、上(管理職候補向け)・中・並(入門)のような段階別研修を設定。当時の教員に取材すると、校長が、出世を狙う教員には

“上”の研修を勧める一方、“君が代”反対等の教員には“並”の研修の受講を命じる、といったケースすらある。

 なお十年研の受講時期は、後述する免許状更新講習の時期と重なるため、多忙を極める当該教員たちからは、「十年研を導入した張本人なのに、アベ友らしく免許更新制の法改定も賛成し、屋上屋を重ねさせた岸田文雄氏の政治責任」を問う声が出ている。

 ところで東京都教育委員会は〇五年頃、十年研の中の「選択研修」に、“陸上自衛隊朝霞駐屯地(東京・埼玉)研修”を設定した。監視の意味でこの“研修”を受講した筆者の知人の教員は、「自衛隊のPR一色だった」と言う。なお都教委は同駐屯地や武山駐屯地(神奈川)で一三~一四年、“宿泊防災訓練”と称し一部都立高の生徒に“号令一下の行進訓練”をやらせたが、十年研ではさすがにこれはなかった。

 ◇ 2 強権的な『審議まとめ案』

 中教審が一五年十二月に出した『これからの学校教育を担う教員の資質能力の向上について』と題する答申は、「国は、教育委員会と大学等が相互に議論し、養成や研修の内容を調整するための制度として『教員育成協議会』を創設する。当該協議会においては、教育委員会と大学その他の関係者が教員の育成ビジョンを共有するため教員育成指標を協議し共有する」と記述している。

 政府は文科省主導で一六年、教特法第二十二条の二~第二十二条の五を新設し、この答申の内容を盛る改定を行なった。だが、この法改定にすら飽き足らず、冒頭で述べた今回の『審議まとめ案』は、大変な研修強化策を打ち出した。

 そしてその理由を、一月の中教審答申(本誌五月号)にある、「“令和の日本型学校教育”を担う質の高い教師確保」のためだと主張。中教審答申は「新学習指導要領の全面実施」を謳(うた)うが、その指導要領は、①小1から道徳で“愛国心”教化、“君が代”を「歌えるよう指導する」②社会で小4から「自衛隊が役立っている」、小6では「天皇への敬愛の念」明記等、国家主義や政府の特異な政策の一層の教え込みを、教員に求めている。

 『審議まとめ案』は、「文部科学省においては、教員育成指標や研修受講履歴等を手がかりとした教師と任命権者(筆者注・都道府県教委)や服務監督権者(注・東京の場合、都立学校は都教委で、公立小中は区市町村教委)・学校管理職等との『対話』や研修の奨励が確実に行われるよう、各任命権者が、教師が教員研修計画に基づき研修を受けた履歴等を記録及び管理し、当該履歴を活用しながら、任命権者や服務監督権者・学校管理職等が教師に計画的かつ効果的な資質の向上を図るための研修の受講を奨励することを義務づけることを検討すべきである」(傍線は筆者。以下同)と、教員管理統制強化を主張している。

 だが人事考課(業績評価)制度が徹底している今、評価権(異動させる権限も)を持つ「教委・校長ら強者」vs「一般教員」が、対等な立場で“対話”することは不可能で、「奨励」と称する研修受講は「強制」だ。

 また、この“対話”なるものは、校長室等、密室で行なわれるケースが多いと考えられ、“君が代”等の教委通達や校長の“経営方針”に批判的なモノ言う教員に対してはパワハラの場となる一方、“お上”に従順なヒラメ教員に対しては、管理職試験受験勧誘や同僚教員のマイナス面を密告する場と化す危険性がある。

 真の「対話」を進めるには、全教職員が一堂に会するオープンな職員会議の場で活発に意見を出し合い、必要があれば挙手による多数決で学校運営を決定していくシステムに戻すべきだ(東京都の公立学校の多くの職員会議は児童・生徒に寄り添った議論を行なっていたが、九八年の学校管理運営規則改悪やその後の通知により、文科省や教委の政策や方針を教員に伝達する場と化してしまっている)。

 ◇ 3 全国統一の教員採用試験?

 『審議まとめ案』は、教員の「学びの成果が可視化(何が身についたのか自ら説明できる状態)されること」は、「教師個人のみならず、組織全体にとっても得られるものが大きい。(略)可視化されることで、任命権者や服務監督権者・学校管理職等は、特定の事項に秀でた教師の発掘や、人事配置や校務分掌の決定その他の取扱に積極的に活用することができるようになる」と記述。研修の“履歴・成果”を、担任等の校内人事に“活用”せよと謳う。だが、都立高校では筆者が把握しているだけでも三人の“君が代”不起立教員を校長が十年以上、“担任外し”してしまった事案があり、懸念される。

 『審議まとめ案』は続けて、「学びの成果の可視化」について、「例えば、個別のテーマを体系的に学んだことを、全国的な観点から質が保証されたものとして証明する仕組みを構築することなどが考えられる。こうした仕組みの構築により、地域の別を問わず、教師の学びの質を一定の水準に保つことを支援することが可能となる」と主張する。だがこれは中教審が十年ほど前に議論したが、幸い立ち消えになった「教員採用試験の全国統一版」を思い浮かばせる、教育の国家統制だ。

 さらに『審議まとめ案』は「任命権者等は当該履歴を記録管理する過程で、特定の教師が(略)期待する水準の研修を受けているとは到底認められない場合は、服務監督権者又は学校管理職等の職務命令に基づき研修を受講させることが必要となることもありえる」と記述。

 そして「万が一職務命令に従わないような事例が生じた場合」は、「地方公務員法の懲戒処分の要件に当たり得る」「事案に応じて、任命権者は適切な人事上又は指導上の措置を講じることが考えられる」「(学校現場から外し実質、分限免職前提の)指導改善研修の対象となることも今後検討するべきである」などと明記した。

 冒頭の教員免許更新制は、小中高校等の教員免許状の有効期間を十年間とし、有効期限までの二年間に免許状更新講習(大学等が開設)を受講(約三万円~四万五千円といわれる受講料は自己負担)、試験に合格し履修証明書を免許管理者(都道府県教委)に提出しないと失職する強権的システムだ(校長ら管理職や主幹教諭、教委の指導主事らは受講を免除する差別システムでもある)。

 だが、『審議まとめ案』が明記した“職務命令”と“懲戒処分”という語は、東京や大阪の教委が“君が代”不起立等教職員を不当な懲戒処分にした(ただし、「減給より重い処分にした都教委の処分は違法」という最高裁判決は出ている)時等、権力側が強権を行使する際に脅迫的に使用する語なのだ。

 こういう言辞を弄する『審議まとめ案』は、所々に並べている「探究心を持ちつつ自律的に学ぶという教師の主体的な姿勢」などの文言が美辞麗句にすぎない、という証左である。

 ◇ 4 教特法第二十一条二項が保障する自主研修こそ必要

 教員の研修については、改定教育基本法第九条が「法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない」と定め、教特法第二十一条以降に細かい規定がある。しかし『審議まとめ案』は教特法第二十一条「教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない」を引くのみだ。

 そして、「既に我が国においては、本質的な内容を学ぶことができる教職大学院での学び以外にも、各大学において開設された免許状更新講習や免許法認定講習、各教育委員会や教職員支援機構が開設した研修、民間の様々なセミナー等を含め、優良な学習コンテンツが数多く存在しており、こうした学習コンテンツを積極的に活用していくことも想定される」と記述している。

 しかし、教特法第二十二条は「教育公務員には、研修を受ける機会が与えられなければならない」、同二項は「教員は、授業に支障のない限り、本属長の承認を受けて、勤務場所を離れて研修を行うことができる」と規定している。

 これを根拠に夏期等の長期休業期間、東京のかなり多くの小中高校等の教職員は、学校週五日制(土曜休み)がだんだん進行していく九〇年代半ば頃より前は、簡単な報告書を書けば、「補習や部活動、プール指導等で出勤する日」以外は、自宅・図書館等で自主研修することができた。

 そしてアイム'89・東京教育労働者組合は、夏休み中、教職員が有給休暇を取得しなくても自主研修として参加できる平和・人権・環境問題等の講座を十日近く、公共施設等を借り、市民にも開かれた形で開催。筆者も取材を兼ね参加したことがある。

 また都立高校はほぼ同時期まで、学校行事等と重ならない範囲で週一日の研修日(自宅・図書館等)があり、これを利用し優れた教材を開発したり、授業準備を進めた教員は少なくない。

 『審議まとめ案』は官製研修だけを押し付けるのではなく、教特法第二十二条二項を加筆・明記するよう修正し、こうした自主研修の機会を保障・推奨するべきではないか。

 ところで、『審議まとめ案』のここでの引用箇所中、①「教職員支援機構の研修」のうち、校長や管理職志向の教員が受講する“中央研修”なるものは、“君が代”訴訟で反動的な主張をし続けた都教委側弁護士が講師役になったことがあるが、偏った研修内容になっていないか②中教審には会長の渡邉光一郎・日本経団連副会長兼第一生命ホールディングス取締役会長をは

じめ、財界関係者の委員がかなりいるが、「民間の様々なセミナー等」は財界関係のものを含めてしまうのか、また財界のものよりも教組の前記の講座や教育研究集会の方こそ「優良な学習コンテンツ」として「積極的に活用」するよう、明記するべきではないか。

 筆者は冒頭のパブコメに、この①②を明記した。

 ※ 永野厚男(ながのあつお)プロフィール
 文科省・各教委等の行政や、衆参・地方議会の文教関係の委員会、教育裁判、保守系団体の動向などを取材。平和団体や参院議員会館集会等で講演。

『紙の爆弾』2021年12月号

 

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