《月刊救援から》
◆ 国連人権理事会諮問委員会
新デジタル技術と人権
前田朗(東京造形大学)
◆ 人権促進への寄与
本年六~七月開催の国連人権理事会第四七会期にデジタル技術と人権に関する諮問委員会報告書『人権促進保護の観点から見た新デジタル技術の影響、機会、挑戦(A/HRC/47/52)』が提出された。
諮問委員会は人権理事会に設置された専門家委員会である。
人権理事会は安保理事会と同レベルの政府間機関で四七力国の政府によって構成される。
諮問委員会は人権問題専門家一八名で構成されるシンクタンクである。
現在、人権理事会が諮問委員会に諮問しているテーマは「テロリズムの悪影響」「人種平等」「人権における女性の代表性」「新デジタル技術」である。
新デジタル技術は人権理事会第四一会期の決議によって諮問され、二年の検討を経て報告書が作成された。
諮問委員会の起草委員会はエリザベス・サルモン(ペルー)が議長となり、ペク・ブムスク(韓国)が草案担当者、他に九人の委員が加わっている。二〇二〇年九月まではソー・チャンノク(韓国)が担当だったが、ペク・ブムスク(慶煕大学准教授、国際協力)が引き継いだ。
報告書はまず新デジタル技術が人権促進に果たす役割を確認する。
次に新技術による人権侵害の危険性を論じた上で、これに対して国連及び国際社会が果たしている役割、現在の人権枠組とのギャップを論じて、今後の議論の方向性を探る。
新デジタル技術が人権促進に果たす役割として、例えば
第一に公共サービスを効果的、廉価にし、参加を促進し、多元的な討議を強化することで民主的市民の力量を高め、透明で民主的な意思決定を可能にする。
第二に市民社会のためにデジタル空間を確保することにより多様な集団のネットワークを形成し、マイノリティ集団が参加する機会を増強する。
第三にデジタル空間は良き事例を拡散し、諸個人を力づけ、虐待・侵害を報告し、支援を提供する力強いプラットフォームとなる。人々に対する迫害を監
視・予防し、生命への権利を保護することができる。
第四に被害を受けた集団に効果的に対応できる。国連難民高等弁務官事務所が実践しているようにアイデンティティの再確立や保持によって難民を保護する。
第五にジェンダー平等を促進し、女性の教育へのアクセスを容易にする。
第六に医療ロボット、ICT、ヴァーチャル・リアリティのように健康、診
断、手術、リハビリ等で有用である。リモー卜・ロボットの活用が人権領域でも飛躍的な可能性を有している。
◆ 人権侵害の危険性
他方で新デジタル技術の発達にともなって多様な人権侵害が現出している。報告書は七つの問題点を列挙する。
第一にデータフィケーション(個人情報保護問題)、
第二にサイバー安全性問題、
第三に情報の信頼性低下、
第四に過激化・隔離・差別、
第五に無力化と不平等、
第六に大量監視、
第七にサイバー暴力である。
第一にデータフィケーション(個人情報保護問題)。
新技術の発展によりデータフィケーションが過剰となりプライヴァシーが侵害される。個人情報流出によるプライヴァシー侵害の結果、他の人権も危険に晒される。
個人情報の収集と利用への関心が強まり、情報が企業や国家に集約される。多くの場合、本人が知らない間に進行する。
多くの利用者はデジタル・サービスのアルゴリズムを理解していないが、個人情報利用は商品購入だけでなく政治決定にも及んでいる。
個人の医療健康情報もオンライン化される。新型コロナ感染の世界的拡大に応じて政府は市民の健康情報を収葉しているが、合法性、必要性、均衡性の配慮がない。
第二にサイバー安全性問題。
新技術が経済社会政治生活過程に普及するにつれてサイバー安全性が不十分なためプライヴァシーの権利の重大侵害が起きている。
スマートホームは非常に好便だが、個人のアイデンティティへのハッキングにより住居の安全性が損なわれ、様々な犯罪被害を受ける危険性が生じる。
情報収集ビジネスは個人情報のオンライン露出を進める。データフィケーション進行に伴い個人消費者の心の自律性に悪影響を及ぼす。
第三に情報の信頼性低下。
ラジオ・テレビの伝統的メディアからデジタル革命により中央統制がなくなり、廉価で迅速な情報流通が起き、誰もが情報発信できるようになり、夥しいフェイク情報が散乱するようになった。
何が事実で何がフェイクであるかの判定すら困難となり個人、集団政党、国家が常用するインターネット上には誤情報、偽情報、フェイク情報が溢れ、ヘイトの温床となっている。
第四に過激化・隔離・差別。
オンライン・ヘイト・スピーチがジェンダー、宗教、民族、言語等に基づく
ヘイト・クライムや迫害の危険性を高めている。
ヘイト・スピーチ予防のための努力が始まったが、現実に追いついていない。意図的ではなくても政策決定が偏見アルゴリズムに左右され、企業の意思決定を不安定かつ差別的にしている。
差別情報と差別パターンが拡散され、健康情報についてもクレジット情報についても、公的機関も私人も差別的行動を余儀なくされている。
第五に無力化と不平等。
新技術は市民をエンパワーする面があると同時に弱体化させることもある。最近の新型コロナ禍における身体ディスタンス措置の結果、人々はますますインターネットに依存するようになり発達した諸国と未発達の諸国の間の格差が拡大した。
情報収集や発信の主要手段がインターネットとなりインターネットへのアクセスができない人々は健康や人権を侵害される危険性が高まった。
男女間の差題へも増幅され、グローバルなジェンダー・ギャップにつながっている。就職には一層高度の教育とITスキルが求められるようになる。新技術が導入されない分野との格差が拡大する。
第六に大量監視。
違法で恣意的な大量監視、無差別監視が生じる。
均衡のとれた安全策がないまま無事の人々のプライバシーが侵され、民主社会の規範が損なわれる。政府がインターネットを切断し、選択的に閉鎖することで検閲を行い、表現を委縮させる。人権活動家やNGOに対する脅威となる場合がある。
第七にサイバー暴力である。
新技術は国家、犯罪組織、個人に人権侵害を行う新しい能力を付与してしまう。性的搾取、性的脅迫、同意のない映像流布、著作権侵害、恐喝、ハラスメント等の犯罪が行われる。
ジェンダー暴力の諸形態、特にドメスティックバイオレンス、女性に対する虐待、ジェンダー・アイデンティティへの侵害が起きる。
サイバー・ミソジニー(女性嫌悪)や女性に対するオンライン暴力が起きる。
なお前田朗「女性に対するオンライン暴力」『Let's』九〇号(一八年)、同「女性ジャーナリストへの暴力」『部落解放』七九四号(二〇年)参照。
以上のように新技術には両面性があるが人権促進のために活用する政策を国家レベルでも国際レベルでも追及する必要がある。
◆ 改善の取組み
新技術による人権侵害を抑制し、人権促進に活用する方策は多様なレベルで追及されてきた。
国家レベルではプライバシーと個人情報保護のためにドイツは情報倫理委員会を設置し、アルゴリズムや情報処理の研究を進めている。
プライバシーや個人情報の権利を法定する国が増えている。特に健康情報への関心が高まっている。
ブラジルは「公教育のオリンピア」を設置し、生徒の新技術利用の促進と適正化を図っている。
インドは「デジタル・インド」を設け、すべての市民に公的サービスとデジタル・リテラシーを提供しょうとしている。
ポルトガルは病院に通うほどではない市民の健康維持のための「テレ健康システム」を開設した。
イタリアはすべての公文書をオンラインで迅速入手できる市民の権利実現を強調している。
地域レベルではEUが情報保護基準を作るため一般情報保護規則を採択した。EU域内で活動する企業すべてに適用され、個人情報の自己決定権を擁護しょうとする。
EUは「国際的選挙監視の原則宣言」を提供し、選挙における新技術の利用ガイドラインを作成した。基本原則は透明性、包摂性、説明責任である。
EUは「民主主義と人権のための欧州機構」を通じて人権活動家を保護する予算と枠組みを提供している。
国連レベルでは国連総会、人権理事会、人権問題の多数の特別報告者が数々の報告書を作成してきた。
国連事務総局は一八年の報告書で新技術に関する戦略を公表した。事務総局は五つの原則を柱とする。
グローバルな価値の保護と促進、
包摂と透明性の培養、
パートナーシップ、
既存の力量の構築、
及び学ぶ思考の主流化である。
事務総局は四つの関与を表明した。
新技術に対応する国連の能力強化、
新技術に関する努力の強化、
規範設定枠組みに関する対話の促進、
国連加盟国への支援である。
二〇年にはSDGsに関するハイレベル・パネルを開催した。パネルは五つの勧告をまとめた。
包摂的なデジタル経済社会の構築、人間能力の発展、人権保護、デジタル信頼性・安全性・安定性の促進、グローバルなデジタル協力の培養である。
以上が報告書のごく簡潔な紹介である。
国家レベルであれ国連レペルであれ、現行国家システムと国際システムを前提とし、GAFA等の巨大企業の立場を配慮した上での戦略である。
人権擁護が掲げられているが、人権施策が意外な人権侵害を生み出すことの繰り返しである。報告書はそのことを認めつつ人権擁護の促進を訴えている。
差別と人権侵害の被害を受けやすいマイノリティや人権NGOの立場からの情報提供を強化して、新技術の普及が国際人権基準を引き下げることなく人権促進に利用できる方策を開発していく必要がある。
『月刊救援 628号』(2021年8月10日)『月刊救援 629号』(2021年9月10日)