《アフガン顛末(週刊新社会)》
◆ 中村哲さんの遺訓
「武力で平和は創れない」
ジャーナリスト 西谷文和
9・11事件から20年が経過した。アメリカは「テロとの戦い」に約8兆ドル(880兆円)を費やし、約90万人の尊い命を奪った上で、アフガニスタンについて言えば、一方的で拙速な米軍の撤退によって「元のタリバン政権」に戻してしまった。
「テロとの戦い」は完全に破綻した。
テロという暴力を空爆や銃撃戦という暴力で押さえ込むことは無理なのだ。ではどうすればよかったのだろうか?
2010年1月、私はアフガニスタン東部の町ジャララバードで、中村哲さんと邂逅(かいこう)した。広大なガンベリー砂漠に一本の用水路が掘り進められている。
「この水路で15万人の命が救われる。ここはすぐに緑の森になりますよ」。
中村さんの説明をにわかには信じられなかった。そんな奇跡が広当に起きるのだろうか?
半信半疑の私の前でスコップを片手に水路を掘り進む労働者たちは、ついこの間までパキスタンに逃げていた難民たちだった。
19年12月に中村さんが殺害された。私は中村さんとその偉大な事業を風化させたくなかつたので20年10月、また現地を訪れた。
奇跡は起きていた。砂漠が森になり果樹園ができていた。
「このオレンジも小麦も、みんなナカムラのおかげだ」
インタビューに答える人々はみんな笑顔だった。
ちなみにジャララバードでは治安の関係で、外国人の私は車から降りることができなかった。そこから車でわずか1時間、ガンベリー農園は治安が安定していて、車から降りて自由に取材することができた。
「武力ではなく、小麦や米で平和を勝ち取るんだ」、カメラを回しながら中村さんの言葉を噛み締めた。
◆ 戦争の犠牲は兵士と民衆
これとは対照的な例として、アフガン軍基地を取材したことがある。
米兵の指導官の下に、彼らは「タリバンを的に見立てた射撃訓練」「ヘリでタリバン基地を強襲し、人質を取り戻す演習」などをおこなっていた。
演習が終了し、兵士たちにインタビューした。彼らは口々に不満を述べた。
いわく「米兵は後ろで情報を流すだけなのに何千ドル(数十万円)もの給与をもらっている。俺たちは一番危険な最前線に立つのに、給料はわずか200ドル(約2万2千円)だ」。
アフガニスタンには日本をはじめ巨額の人道支援金が注入されているが、ガニ大統領をはじめとする政府高官が中抜きし、末端にまで回っていなかったのだ。
一方、タリバンには「侵略者、アメリカを追い出すための聖戦」という大義名分がある。
そして米軍は無人機による誤爆を繰り返してきた。巻き添えになった犠牲家族の中から、ニュータリバンが生まれていた。
通訳は「あの人達の一部は、昼間は軍服を着ているけれど、夜になったら地元のタリバン兵になるんだよ」と語った。
おいおい、こんなんで治安が守れるの?と感じたものだった。
そもそもアフガン戦争は、最初から大間違いの戦争だった。
9・11事件の首謀者とされるオサマ・ビン・ラディンがアフガニスタンで隠れているのなら、空爆で殺害するのではなく警察力で探し出して、裁判にかけるべきだ。
◆ 集団的自衛権に踏み込む日本
ちなみに、ビン・ラディンは11年5月にパキスタンの高級住宅地で米軍の特殊部隊によって殺害されている。
9.11直後、米軍は手当たり次第にアフガニスタンを空爆し、無辜(むこ)の人々を殺していたのだが、ビン・ラディンはすでに隣国に逃げていたのである。
いわば「茶番の戦争」によって、米兵、タリバン兵、巻き込まれた多数のアフガン人の命が奪われ、軍産複合体と復興予算に群がった建設会社が巨額の富を得た。
イラク同様、9・11事件を利用したショックドクトリン、惨事便乗型資本主義である。
日本は「テロとの戦い」で、91年湾岸戦争で130億ドルの資金援助、01年アフガニスタン戦争はインド洋での米軍への給油支援、03年イラク戦争では現地サマワの「非戦闘地域」での人道支援名目で派遣、12年から17年にかけて南スーダン首都、ジュバに派遣された自衛隊が戦闘に巻き込まれた。
この間、集団的自衛権を含む戦争法が15年に成立した。17年には自衛隊の任務に「駆け付け警護」が加わった。
世界は今、いつ収束するかもわからないコロナウイルスに襲われ、すでに戦争などしている場合ではない。
日本の進むべき方向は、まず安保法制を廃止して、憲法9条の精神に立ち返る。
その上で米、英、中、露、韓国、東南アジアなどア積極的等距離平和外交を進めるべきだ。まずは不要不急の軍事費を削減して、コロナ対策に回そう。
『週刊新社会』(2021年9月28日)