行政と保健所と警察と精神科病院の医者による犯罪です。
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8/24(火) 11:30配信 クーリエ・ジャポン
「身体拘束」に「幽閉」…日本の精神科病院の“深すぎる闇” 元患者や遺族が語る残虐性
精神科病院で身体拘束を受けた後に亡くなった大畠一也の遺影 Photo by Simon Denyer / Washington Post
精神科医療の分野では過去数十年で、多くの国が地域コミュニティを基盤としたメンタルヘルスケアやセラピー療法に移行してきた。ところが、日本はこの潮流に逆行し、精神科の病床数を増やして患者をどんどん入院させ、身体拘束や監禁などの残酷な処置が頻繁に行われていると、米紙が報じている。
【画像】「身体拘束」に「幽閉」…元患者や遺族が語る残虐性
入院から2週間後に死亡
睡眠障害に苦しんでいた大畠一也は、統合失調症と診断された後、自ら数回にわたり石川県内の精神科病院に入院していた。しかし、2016年の入院を最後に、当時40歳だった彼は帰らぬ人となった。
入院して8日目、彼はベッドに拘束された。さらに6日後、拘束を解かれた彼は、息を引き取った。
父親の正晴(70)と母親の澄子(68)は、少なくとも7回病院を訪れ、面会を求めたが、そのたびに追い返されたと語る。息子が拘束されていたことも知らされていなかった。そして入院から2週間後、息子が死亡したという電話を受け取ったのだった。
「息子に会えなかったことが、いちばん悔やまれます」と、金沢市内の自宅で正晴は語った。「もし会えていたら、病院で何が行われていたかを知り、息子を連れて帰ることができたでしょう」
日本には巨大な精神医学業界が存在するが、その実態は長らく世間の厳しい目にさらされてこなかった。だが近年、元精神病患者やその家族らが損害賠償を求めて訴訟を起こすようになり、長期間にわたる監禁や頻繁に行われる身体拘束、さらには残酷な治療法が明るみになりつつある。
日本とその他3ヵ国における精神科病棟での身体拘束について研究を行っている杏林大学の長谷川利夫教授(精神障害作業療法学)は言う。
「精神医学業界というのは、日本で大きな力を持っています。ですが私たちは今、ついにこの問題をオープンに語ることのできる段階にきているのです」
身体拘束の確率はニュージーランドの3200倍
医学誌「疫学と精神医学」に掲載された長谷川の研究論文は、精神科病棟での身体拘束という問題に焦点を当てた先駆的研究だ。それによれば、日本の精神病患者が身体拘束を受ける確率は、アメリカの約270倍、オーストラリアの600倍、ニュージーランドの3200倍もの高さになっている。
メンタルヘルスのケアについては、ここ数十年で世界の多くの国々が地域コミュニティを基盤とした治療や新たなセラピー療法へと移行してきたが、日本はこの流れに逆行していると、長谷川は指摘する。日本では精神病患者を収容する病床が大幅に拡大されており、病院側は利益を上げるため、その膨大な病床を埋めておく必要があるという。
長谷川によれば、きちんとした教育や経験を積んだ精神科スタッフの不足もまた、身体拘束に依存しやすい状況を生んでいるという。患者が自身や他者に危害を加えるリスクがまったくない場合でさえ、腰と手首、足首をベッドに縛り付けるのだ。
縛られて動けない状態が何日間も続くと、深部静脈血栓症のリスクが高まる。これは長時間のフライトで起きることのある「エコノミークラス症候群」と同じ症状である。
自殺率が高く、メンタルヘルスについて語ることがタブー視されている日本で、長谷川の研究結果はこの国の精神病患者の未来が決して明るくないことを示している。多くの人々が、どこにも頼る場所がないと感じているのも当然だ。
日本の精神科の病床数はアメリカの5倍
日本の精神医療が世界的に注目されたのは2017年のこと。ニュージーランド出身で双極性障害に苦しむ英語教師が、日本の病院で10日間にわたりベッドに拘束されたのち亡くなった。読売新聞は、その後のわずか4年間で、身体拘束による死亡が47件も起きていると報じている。
長谷川が11軒の病院を調査したところ、ベッドに縛り付けられた患者たちは平均して96日間も拘束状態に置かれていたことが明らかになった。厚生労働省の調査では、ある男性患者が15年以上も拘束されたままだったことが判明している。
統合失調症だった大畠のケースでは、病院側は当初、彼は心不全で亡くなったと主張していた。しかし両親が解剖を依頼した結果、大畠はきつく縛られたことにより深部静脈血栓症に陥っていたことが明らかになった。
そして2020年、画期的な判決が下される。名古屋高裁金沢支部は、大畠の拘束は「違法」だったとし、遺族に3520万円の損害賠償を支払うよう病院側に命じた。日本の法廷がこのような判決を出したのは初めてのことだ。
病院側は日本精神科病院協会の支持を受けて上告。同協会の山崎学会長は、多くの場合、身体拘束は適切に行われていると主張している。
経済協力開発機構(OECD)の統計によれば、2016年時点で日本の精神科の病床数は33万4000床にものぼる。それは世界全体の精神科病床数の5分の1を占め、アメリカの病床数の5倍にあたる。ちなみに日本の人口はアメリカの3分の1ほどだ。
この日本の病床数の多さについて山崎は、日本では精神科病床の定義を他国よりも広く解釈する傾向にあると話す。
注射を打たれ、電気ショックをかけられ
権威ある医師が患者に対して決断を下せば、患者の家族らがそれに異論を唱えることは難しい。そして、いったん患者が入院してしまえば、多くの場合、退院は困難となる。
かつて精神科病院に入院していた伊藤時男(70)は、そこから出ることがいかに難しいかを身をもって知っている。彼は健康だと自覚していたにもかかわらず、40年以上も閉じ込められた。退院できたのは思いがけない運命のめぐり合わせがあったからで、それがなかったらどうなっていたかわからない。
伊藤は現在、人生の大半を奪われたとして、政府を相手取って訴訟を起こしている。
伊藤によれば、彼は早くに母親を亡くし、父親の再婚相手となった継母は彼を受け入れてくれなかったという。そして10代で、自分は皇室と血縁関係にあるという妄想を抱き始めた。
16歳の時、伊藤は東京にある精神科病院に入れられた。そこでは気絶させる注射を頻繁に打たれたほか、病院スタッフが罰として患者に電気ショックを与えることが一般的に行われていたという。
2度にわたって逃亡を試みた伊藤だったが、そのたびに連れ戻されてしまった。
5年後、伊藤は福島県の病院に移された。その病院にカウンセリング治療はなかったものの、薬の量は徐々に減らされていき、20代前半になった彼は、社会復帰できる状態だと感じ始めていた。
「最初は、退院について病院側に尋ねてみました。けれどすぐに受け入れてもらえないと悟り、それからはもう頼んでみることさえ諦めました」と伊藤は振り返る。そして彼は、その後40年間を病室の壁に囲まれて生きることになったのだ。
「病院は利益しか考えてなかった」
伊藤の状況が一変したのは、2011年に東日本大震災が起き、入院していた病院が倒壊したためだ。
伊藤は別の病院に移送され、そこの医師らがついに退院を認めた。だが、すでに61歳になっていた伊藤は、まったく新しい世界に直面する。
「病院から出ると、完全に浦島太郎状態でした。ATMなんて見たことも使ったこともありません。電車の切符の買い方もわからず、携帯電話を使ったこともなかったのですから」
入院中の伊藤は、年に一度父親が訪ねてくる以外はずっと孤独だった。父の死を知ったのは葬儀から2年後。継母と義弟が初めて病室を訪れた時のことだった。
「継母は、ずっと私を退院させることに反対していました。ですが、家族に腹を立てても何の意味もありません」
病棟での日々は、「孤独という言葉では言い尽くせない」ものだったと伊藤は回想する。それでもなお、毎日絵を描くことを支えにしながら、彼は何とか生きてきた。最大の後悔は、結婚して自分の子供を持つことが叶わなかったことだという。
「あの病院は利益を上げることしか考えていませんでした。入院患者ひとりにつき、政府から年間500万円が支給されていたのです。ホームレスの男性が連れて来られて、46年間も入院させられていたケースもありました」と、伊藤は説明する。
伊藤は国の精神医療政策に問題があったとして、政府に3300万円の損害賠償を求める裁判を起こしているが、彼の最大の目的は、不当に入院させられている多くの人々を解放することだと話す。
「彼らにも社会復帰を果たしてほしいのです。私のように」