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毎日新聞 2021/6/23
沖縄「慰霊の日」 地上戦から76年 惨禍の継承、厳しさ増す
戦没者の名前が刻まれた「平和の礎」を訪れ、手を合わせる女性=沖縄県糸満市の平和祈念公園で2021年6月23日午前6時3分、平川義之撮影拡大
戦没者の名前が刻まれた「平和の礎」を訪れ、手を合わせる女性=沖縄県糸満市の平和祈念公園で2021年6月23日午前6時3分、平川義之撮影
沖縄は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦などの犠牲者を悼む「慰霊の日」を迎えた。76年前、約3カ月にわたる日米両軍の激しい地上戦によって、戦闘に巻き込まれた住民を含め約20万人が命を落とした。最後の激戦地だった沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園にある「平和の礎(いしじ)」には早朝から遺族らが訪れ、犠牲となった家族や友人らの名前が刻まれた石碑の前で手を合わせ、平和を祈った。
県には新型コロナウイルスの感染拡大に伴う国の緊急事態宣言が発令中で、昨年に続いて各地の慰霊祭は中止や規模縮小などを迫られた。長引くコロナ禍の中、体験者が経験を直接伝える機会は減り、「ひめゆり平和祈念資料館」(糸満市)など地上戦の惨禍を記録する施設も入館者が激減している。体験者の減少や高齢化が進む中、記憶の継承は厳しさを増している。
沖縄戦では、1945年3月26日に米軍が沖縄本島西の慶良間(けらま)諸島に、4月1日に沖縄本島に上陸。日本軍が本土決戦までの時間を稼ぐために持久戦を展開した結果、多くの住民が巻き込まれて犠牲になった。6月23日に日本軍司令官が本島南部の摩文仁で自決し、組織的戦闘が終わったとされる。死者は日本軍9万4136人、米軍1万2520人。さらに推計で約9万4000人の住民が亡くなった。
米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設を巡っては、沖縄戦で多くが亡くなった本島南部からの埋め立て用土砂の調達を政府が検討。最後の激戦地だった本島南部では今も犠牲者の遺骨が土の中から見つかっており、県民や遺族から「遺骨が混じる可能性のある土砂を新基地建設に使うのか」と反対の声が上がっている。
23日は平和祈念公園で県と県議会主催の「沖縄全戦没者追悼式」が参列者を30人程度に減らして営まれ、宮古島市立西辺(にしべ)中学校2年の上原美春さん(13)が平和の詩「みるく世(ゆ)の謳(うた)」を朗読する。76年前の悲劇を振り返り、「みるく世(ゆ)ぬなうらば世(ゆ)や直(なう)れ(平和な世がやってきて、みんなの暮らしが良くなりますように)」と平和への願いを読み上げる。