◆ 『正論』編集部が、自由社版の検定不合格は当然と批判!
   皆さま     高嶋伸欣です

 1 すでにご存じの方が多いかと思いますが、『正論』6月号に、今回の自由社本の検定不合格は藤岡氏たち自由社側の責任が大きい、とする論考(8p分)が掲載されています。

 2 その全文は添付の通りです。タイトルは「『つくる会』教科書不合格 文科省批判と再検定要求の前に」です。

 3 筆者は「本誌編集部」とありますが、8Pに及ぶ論考は全体としてきちんと事実を踏まえたもので、それなりに説得力があります。
 付け焼刃のにわか”勉強”で、複雑な教科書検定のしくみや最近の制度変更の機微などを勘案した、このような論考を書き上げることは無理です。よくぞここまで詳細に「自由社」側の不手際を容赦なく衝いている!とも言える内容です。大いに参考にしましょう。


 4 ところで、自由社側のでたらめぶりの典型を指摘しているのが4p目の話題です。前回の検定で修正の指示に従うことで合格にこぎつけた記述のうち40か所ほどについては、前回の修正以前の記述に戻してまた検定申請したので、今回またそれらが「欠陥」として指摘されている、というのです。

 5 確かに前回の検定以後に新たな研究の進展や新資料等の発見などで元の記述が妥当と主張できるようになるというケースは、ありえます。
 けれどもそれが40件も出そろうことは考えられません。

 6 この数の多さから考えられることの一つに、今回の検定で、これら40か所のうちのいくつかに検定官たちが気づき、「まさか」とおもいつつ「我々を試すつもりか?」などとの疑心暗鬼もあって、同様の事例の摘出に集中したのではないかということがあります。
 その結果として40か所もあることが判明したというのですから、あきれた話です。

 7 しかも、この40という数が重大なのです。
 論考の1pにあるように「つくる会」歴史教科書は、今回の場合「欠陥」が377か所以内であれば、「一発不合格」には該当しませんでしたが、「欠陥」を405か所指摘されたので「一発不合格」を適用されたのです。

 8 そこで、上記の40か所を前回の検定で合格とされた修正済みの記述にして今回の検定申請本「白表紙本」を作成して提出していれば、今回の「欠陥」指摘は365か所で済み、「一発不合格」は回避できたことになります

 9 残る365か所については、いろいろ不満があるにしても、「一発不合格」になるかならないかの重大な分岐点に、落とし穴を「つくる会」は自分で堀り、そこに勝手に落ち込んだも同然ではないか、と言わんばかりの指摘です。
 『正論』掲載の論考にしてこの厳しさです。第三者から見ればあきれるばかりの杜撰さで、黙ってはいられないということでしょうか。

 10 それにしても、なぜ40か所も前回の検定で修正させられる前の元の記述のままのものが、今回の白表紙本に掲載されたのでしょうか。

 11 検定官がこのことに気づけば問題にされるのは明らかで、修正作業の負担やそのためのコストをふやすばかりの無意味なことと、「自由社」の関係者も気づいたはずです。それなのに40か所も不適切な記述の存在が明らかになったのですから、「自由社」側は誰も気づいていなかったことになります。

 12 藤岡氏は、今回の申請の前に「実に25回もの校正をした」と強調しています(『史』2020年3月号)が、「そのうちの1回は、メディアで働いて経験のあるプロのベテラン校正マンにお願いしました」とのことです。
 それでも「校正をはじめ教科書編集がきちんと機能していれば、こんなことにはならなかったのではないか」と『論考』は指摘しています(2p目)。

 13 では「きちんと機能して」いなかったことがどのようであったら、このような40か所もの不適切記述の記載という事態になるのでしょうか?

 14 藤岡氏の90年代からの諸活動をウオッチングしてきたきた者として気づいていることに、藤岡氏は様々な作業をする際、分析・批判等の対象とする出版物やデーターがそれらの分析・批判等の対象として適切に摘出されているかどうかの確認をきちんとしない時がある、ということです。

 15 今回の場合、延べ25回の校正があり、その前に相当の回数の編集会議を分担しながら重ねたはずです。
 それらの多数の会議・作業の際、まず編集を基本的には検定に合格している現行版の記述からスタートさせたと考えられます。時代などを区切って担当を分担するなど複雑な作業や会議が行われるのが多くの教科書の場合に見られることです。

 16 その煩雑で時間に追われる作業の中で、前回の検定申請に向けた作業で用いた「白表紙本」のデータが、検定合格後の「見本本」あるいは「供給本(現行版)」のデーターと取り違えられて、紛れ込んだ可能性が、推測されます。

 17 この推測は、「まさか!」という思いを吹っ切れないままに組み立てたものです。教科書編集の経験をお持ちの方々からは、「荒唐無稽」と一蹴されそうです。
 でも何しろそうした無理な推測でもしないと、この謎は解けそうにないのです。

 18 ともあれ、今回の不合格は「つくる会」の編集の杜撰さが一因ということが明らかにされた訳ですし、そのことを『正論』掲載の『論考』が指摘している点に注目したいと思います。

 19 長くなりますが、この『論考』について指摘しておきたいことがあります。
 『論考』では、8p目で、「つくる会」が今回の検定について再検定を要求することは「教科書検定が部外者の批判や外圧、政治的な判断などで覆ってしま」うことになると指摘しています。
 そして「『つくる会』はそうした出来事を批判してきた」のであるから、「これまでの主張とは本来相容れない行為のはずだ」と衝いています。

 20 見事に藤岡氏の後先を考えずに猪突猛進し、変節の繰り返しと協同者との軋轢を繰り返して恥じない行動の非論理性に切り込んでいます。

 21 それに、同時に『産経』と『正論』の大衆・主権者論嫌いの認識がたくまずして読み取れる1節です。

 22 『論考』は、最後に「つくる会」の”功績”を列挙していますが、そこに挙げられた事柄の大半は安倍晋三氏たち自民党のタカ派文教族などの政治家の後押し、連携や右翼的な文化人と通じた扇動的な言動で達成したものばかりです。

 23 そうして見た時、今回の「自由社」歴史教科書の不合格の1因は、そうした政治家の思惑を見誤ったことにあると、私には思えます。

 24 以前のメールでも指摘したことですが、安倍首相は2020年の最重要課題として東京五輪の”成功”と習近平・中国主席の国賓としての招待の2つを掲げていました。
 それなのに「自由社」歴史教科書は「南京事件」に全く触れない記述で前回の検定に合格したことで、「南京事件はなかったという主張を文科省が認めたも同然!」と言いふらし続け、今回も同様に「南京事件」を無視した記述に加えて、日本軍の誤爆が大きな原因になったといわれている日本人居留者殺害事件「通州事件」をことさらにコラムで強調する「白表紙本」を検定に提出したのです。

 25 前回の検定で不問にした「南京事件」不記載を今さら「欠陥」とはしにくく、一方で「つくる会」は「通州事件」中国側による日本人への不当な残虐行為の事件として騒ぎ立てるプロジェクトを立ち上げ、その取り組みを今回の検定申請本(白表紙本)にも反映させたのでした。

 26 明らかに中国側の神経を逆なでする内容の「自由社」版を検定に合格させれば、その合格発表は3月末で、それは当初に予定されていた習近平氏の日本訪問を目前にした時期に当たります。
 当然のこととして、中国側からは強烈な抗議の動きが生まれ、最悪の場合は訪日中止にもなりかねません。そうでなくても自民党内にさえ、習近平氏招待に反対の声が公然と広がりつつある時でした。

 27 そうした状況下で、「虎の威を借るキツネ」の手法を用いるのが「霞が関(文科省)の伝統文化だ」元文部省官房長・加戸守行氏に再三、国会で証言されても否定の発言をしないで、そうした「文化」の継承を事実上認めてきたのが、現在の文科省の官僚たちです。

 28 「虎の威(安倍首相の思惑)」を忖度して「首相が言えないから私が言う」というすり寄り行政に邁進している立場からは、「安倍首相が最重要と位置付けている習近平氏の日本訪問の大きな障害になることに気づいていない藤岡氏の『自由社』本は、この際排除(不合格)にするしかない」という結論になるのは、当然の帰結だった!

 29 これが、今回の「教科書抹殺」に至った裏事情の一つ、というのが高嶋の私見です。

 30 藤岡氏はもともと民青の活動家で、北海道教育大教授かた東大教授になったあとの1991年まで共産党員だったことを、八木秀次氏との論争の中で指摘され、事実として認めています。

 31 そうした体験で身に着けた大衆運動の手法を巧妙に用いて「自由主義史観研究会」や「つくる会」などの組織を立ち上げながら、水面下では安倍晋三氏たち政治家と癒着することで、「虎の威」にほとんど屈服している教育委員会の採択を左右できると読んだのでした。

 32 その手法は一部で成功しましたが、全国的には失敗の連続。
 教育委員会は「虎の威」に弱いだけでなく、ことなかれ主義の体質も根強く、物議をかもす教科書をあえて採択するという「火中の栗を拾う」度量もないことが多いという点を、藤岡氏は見落としたように見えます。
 それに、『産経』『正論』が嫌い、藤岡氏に「同じことをするな!」と『論考』が諭した大衆運動・主権者世論に教育委員会が耳を傾けざるを得ない状況が「つくる会」の活動と並行して広まったことも、藤岡氏の大きな誤算だったはずです。

 33 こうした誤算、政治・官僚社会の状況の読み誤り、それに自らの言動・実務の杜撰さなどが総合的に組み合わさったことで生じたのが、今回の「自由社教科書不合格」ということを、『正論』の『論考』が明らかにしてくれているように、私には思えます。

  以上が高嶋の私見です。

  長いものになりましたが、お読みくださった皆さま、ありがとうございます。 添付の『論考』もご覧ください。

 それにしても、『論考』の筆者は実によく検定の場の様子も承知しています。『正論』編集部員ではなく他社教科書の編集者(育鵬社?)ではないかとも想像されます。

   ともあれ 以上ご参考までに。         転送・拡散は自由です

 

 

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