■草津白根山の規制解除に抗議の辞任

『夕刊フジ』公式ホームページの題は「ホームドクターが抗議の辞任… 草津白根山「規制解除」の是非」


 群馬・草津白根山でゴールデンウィークを控えて、先週から通行止めを解除した。この解除に抗議して大学の先生が地元の防災協議会の委員を辞任した。

 この先生は東京工大の野上健治先生。東京工大は1986年に草津白根山に火山観測所を設置して観測を続けていて、現地に住み着いているホームドクターの火山学者なのである。東京工大は野上先生の先代の時代からホームドクターを務めている。

 現地のホームドクターは、その火山についていちばん知っている科学者だ。

 たとえば、2000年の北海道・有珠(うす)山の噴火予知に成功したのも岡田弘さんというホームドクターの北海道大学の先生が「噴火が近い」と気象庁に強く申し入れたことによって危険地域に住む1万人あまりが避難した。そのために人的な被害を避けられたのだった。

 今回の草津白根山では、そのホームドクターをさしおいて通行止めを解除したのは、明らかに観光客対策である。じつは2015年11月に箱根の噴火警戒レベルを解除したのも、正月を控えての観光客対策としか思えない。

 気象庁の噴火警戒レベルを受けて通行止めや噴火口付近の立ち入りを規制するのは地元の群馬県草津町である。今回は地元の首長が防災協議会の専門家の異論を無視して決めた最初の例になった。

 そもそも、いまの噴火警戒レベルは「経験とカン」だけだったが、さらに政治的な配慮も入れて決めているものだ。ある観測器がある数値を示したらレベルがいくつ、というようなものではない。

 「経験」が十分あるところはごく少ない。機械観測を始めてから数十回以上の噴火を経験したのは長野・群馬県境の浅間山と鹿児島・桜島だけだ。それゆえ、ほとんどの火山には「経験」がない。それゆえ噴火警戒レベルも、どの火山でもあてになるものではない。

 じつは昨年1月の草津白根山の噴火は、警戒していたところではなくて、南の本白根山だった。それまでの草津白根山の火山防災マップでは、想定火口が北部の湯釜に限られていた。

 本白根山は約3千年前から約1万年前までは、さかんに噴火していたことが地質学的な調査から分かっている。だが、歴史記録が残っている約300年間は、噴火はもっぱら草津白根山の北部、つまり湯釜付近で小規模な水蒸気噴火が繰り返し起きてきたから、そこばかり警戒していて、南のことは忘れていた。

 幸い、箱根はその後は噴火していないが、草津白根山はどうなるか、科学的には不明である。近々噴火しないという確証はない。ホームドクターの先生が抗議の辞任をしたのは、よほどのことがあったに違いない。

 観光でしか食えない地元は、草津白根山や箱根に限らず、日本中に多い。

 観光にあまりに前のめりになって、そのうちに被害を出さなければいいのだが。


島村英紀『夕刊フジ』 2019年4月26日(金曜)。4面。コラムその295。
「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」


 ■災害の命名


 自然災害にはいろいろあるが、災害に名前を付ける権限を持つのは気象庁だけだ。その気象庁が揺れている。

 昨年9月には関西空港が水没した台風21号が西日本を襲った。だが気象庁による呼称は今のところ付けられていない。

 気象庁は、台風21号について「命名するかどうかを検討中」なのである。この5月までに定める方針だという。

 基準があいまいだったために名付けられなかったケースも少なくない。

 たとえば43人の死者を出した1991年の「雲仙岳噴火」と人的被害はなかった2000年の「有珠山噴火」は名づけられたが、死者・行方不明者が63人にもなった2014年の御嶽山の噴火は気象庁によって命名はされていない。

 関係者から見れば、大変な被害を被ったのだから、災害に名前をつけてもらえなかったのは不満かもしれない。

 じつは、名づけるには、政治的な動機もある。

 1968年に「十勝沖地震」が起きた。この地震の震源は、北海道・襟裳(えりも)岬と青森・八戸のほぼ中間点にあったから、青森県も大きな被害を受けた。

 しかし、地震の名前が「十勝沖」だったばかりに、国民の同情を集めたり、政府の援助を獲得するうえで青森県はたいへんに損をした、と青森県選出の政治家は深く心に刻んだに違いない。

 15年後の1983年に秋田県のすぐ沖の日本海で大地震が起きたときに、この青森の政治家はいち早く気象庁に強い圧力をかけたと言われている。

 この地震は秋田県の沖に起きたのに、秋田沖地震ではなくて「日本海中部地震」と名付けられた。

 また、2011年に東日本大震災を起こした地震の名前は「東北地方太平洋沖地震」と名づけられている。

 ともに沿岸各県に政治的な配慮をした地球物理学から見るとへんな名前だ。「太平洋沖」とするとハワイや南米沖まで入ってしまうから、こんな取ってつけたような組み合わせの名前になったのであろう。

 他方、2000年に鳥取県の西部、島根県境からも岡山県境からもそう遠くないところに大地震が起きた。「鳥取県西部地震」だ。気象庁の係官は、胃が痛くなるような思いだったに違いない。

 しかし、拍子抜けだった。ここでは十勝沖地震のときとは逆さまのことが起きた。県の名前を付けられると、観光客が減る、という「意向」が某県から伝えられたのだ。人口の集中に悩む都会を別にして、農業や漁業や地場産業の不振が続き、頼りは観光だけという日本の現状が、地震の名前にも現われているのである。

 台風のように被害の範囲や期間に広がりがあるものは特定の地域名を付けるのはとくに難しい。

 災害列島ニッポン。「災害の時代」だった平成の30年余りの間に気象庁が名称を付けた地震、気象災害、火山噴火は計30もある。年に1度は深刻な災害が起きていたことになる。

 災害に名前を付けるには災害の教訓を継承する目的もあるはずだ。だが、災害に名前を付けるにはさまざまな配慮が必要なのである。


島村英紀『夕刊フジ』 2019年5月10日(金曜)。4面。コラムその296。
「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」