=国連子どもの権利条約採択30年=
 ◆ 実現されない子どもの権利
 (週刊新社会)
鹿児島県立短期大学 田口康明

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 1989年11月20日、第44回国連総会において、ポーランドが作成した「国連子どもの権利条約」(政府訳は「児童の権利条約」)が満場一致で採択された。1959年に採択された「児童の権利宣言」を具体化することを求めて、その骨子に沿う形で練り上げられたものであった。
 当時、いわゆる共産圏であったポーランド政府が「子どもの権利」にこだわったのは、ナチスの占領下ワルシャワ、ユダヤ人ゲットーの中で孤児院を続け、子どもの保護に努め、最後は強制収容所で子どもたちとともに虐殺された小児科医「コルチャック先生」の遺志を引き継ぐことへの重大な決意があったからである。


 第2次大戦終結後の1948年に国連・世界人権宣言が採択され、その第1条に「すぺての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもつて行動しなければならない」と高らかに宣言した。
 この社会では、全く「無力」に見える赤ん坊でも人間の尊厳において平等なのである。
 しかし、実態的には「人権」という場合は、男性の人権保障に偏っており、戦争が男性の意思決定によって行われ、常に女性と子どもがその犠牲になってきた。
 そこで同じ人間として差別を撤廃する「女性差別撤廃条約」が1979年に成立し、子どもも、権利主体であるとの認識のもと「子ども権利条約」が制定されたのである。

 1990年に発効した子ども権利条約を、日本政府は1994年に批准した。この批准に当たって、日本政府は当時の現行法制で、本条約の趣旨を実現できるとし、教育や児童福祉、少年司法等の関連分野の法改正をほとんど行わないで批准した。
 市民団体側も、本条約で設置される国連子どもの権利委員会での「子どもの権利」実現状況に関する政府報告、市民団体側のカウンターレポート、それに基づく委員会の審査による「勧告」に重きを置いた嫌いがあった。
 やはり、批准する際の法改正・法整備が重要であると痛感している。

 この2月に第4回・第5回の政府報告に関して審査がなされた。
 たとえば、フランス政府は、権利条約が定める「意見表明権」の実現のために、裁判所や行政手続きに関する民法改正を行い、さらに学校運営への生徒代表を送り込んだ。
 アイスランドも、教員会議に生徒代表を参加させることになった。
 ニュージーランドでは懲戒処分の際、生徒の意見表明権を明確にした。
 権利条約の趣旨を盛り込んだ憲法改正ブラジルは行った。
 フィンランドも、子どもを対等な存在とする憲法改正を行った。
 ベラルーシロシア子ども権利法を制定した。
 子ども権利監視機関としで、子どもオンブズパーソンを設置した国も多い。ノルウェーでは、以前から子どもオンプズが設置されている。

 日本では、子ども買春・子どもポルノ禁止法が1999年に制定された程度である。
 学校児童福祉機関へは全くといっていいほど権利条約は踏み込めなかった

 ここで改めて権利条約の趣旨を示すと「子どもの権利4つの柱」(末尾に掲載)にまとめられ、この実現を通して「子どもの最善の利益」を実現することが目指されている。
 この枠組みにおいて、「表現の自由」など大人と同様の市民的な権利保障がされる。
 その中でも「意見表明権」が注目されてきた。子どもに関わる決定において、子どもが自ら意晃を表明し、「最善の利益」実現しようとするものである。

 ◆ 未来を託せる権利実現の法制度を

 日本においてはこれが全く実現していない。
 たとえば、学校においては、学校の制服を含めた校則、教育課程の改訂道徳教育の実施、いじめ防止対策、入試制度改革など、ほとんどが大人の側の一方的な決定に服従させられている。
 児童福祉機関においても措置的な制度で埋め尽くされている。親を知る権利すら実現されていない。
 こうした状況ではあるが、2016年「児童福祉法」が改正され、ようやく「子どもの最善の利益」が盛り込まれた
 学校教育法では、いまでも子どもは義務教育の客体で、親の就学義務、市町村の学校設置義務という構造のなか権利主体となっていない。わずかに憲法がその旨を宣言しているにすぎない。

 こうした中、「生きる権利」すら、脅かされている。
 2019年1月24日、千葉県野田市で、小学生女子児童が死亡した事件で、現在のところ父親による「虐待」であるとされて、捜査が進んでいる。
 昨年3月には、東京都目黒区で5歳の女児が虐待によって死亡している。
 児童虐待は様々な要因があると考えられ、一方的に保護者を糾弾すればすむということではないが、あらためてこの「急増」(世間の関心が高まってきた現れでもある)に対して、保護・監護の視点から児童相談所の機能強化、関係機関の連携という観点だけからとらえるのではなく、包括的な子ども権利実現のための法制度が必要である。

 改正前の児童福祉法は、1947年の戦後の焼け野原のなか、制定された。そこかしこに戦災孤児がいて、資金もなくこの理念の実現はとうてい不可能であった。
 しかし、当時の人たちは、建前的ではあるが子どもに未来を託し、そうあってほしいと願ったことは事実だ。
 外形的な豊かさの中、貧困、虐待、外国人児童の不就学、性の商品化、朝鮮学校への差別的な扱い、など、私たちは、いまどんな未来を子どもに託しているだろうか。
☆ 国連・子どもの権利条約の4つの柱 ☆
  (日本ユニセフ協会のHPから)
1 生きる権利
 防げる病気などで命をうばわれないこと。
 病気やけがをしたら治療を受けられることなど。
2 育つ権利
 教育を受け、休んだり遊んだりできること。
 考えや信じることの自由が守られ、自分らしく育つことができることなど。
3 守られる権利
 あらゆる種類の虐待(ぎゃくたい)や搾取(さくしゅ)などから守られること。
 障害のある子どもや少数民族の子どもなどはとくに守られることなど。
4 参加する権利
 自由に意見をあらわしたり、集まって、グループをつくったり、自由な活動をおこなったりできることなど。
『週刊新社会』(2019年2月26日)