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長銀破綻20年 危機回避の公的資金は評価二分

毎日新聞2018年10月22日 21時28分(最終更新 10月22日 22時23分)

 日本長期信用銀行の破綻から、23日で20年が経過。公的資金投入による一時国有化で危機拡大を防いだことを評価する声がある一方、多額の国民負担への批判も浴びた。経営を引き継いだ新生銀行は、大手銀行では唯一公的資金を完済できておらず、「処理」は未完のままだ。


 融資先の経営不振や株価下落による損失で経営が悪化していた長銀は1998年10月23日、施行されたばかりの金融再生法に基づいて国有化された。前年には山一証券や北海道拓殖銀行などが相次いで破綻しており、連鎖的な破綻を防ぐための緊急措置だった。政府は98年12月に日本債券信用銀行も国有化し、銀行の「不倒神話」は完全に崩れた。

 長銀は2000年3月米投資会社リップルウッドを主体とする投資組合10億円で売却され、同6月に新生銀に改称した投入された公的資金は約8兆円に上り、債務超過の穴埋めとして投じられた約3兆6000億円は国民負担となった。国有化と同時に実行された経営合理化で、約3500人いた行員は約2200人まで減少した。外資傘下となった新生銀は、企業向け融資から、投資銀行業務と個人向けサービスに業務の軸足を転換。急速な不良債権処理が「貸しはがし」と批判を浴びる一方、経営は改善し、04年に再上場した。

 長銀破綻前後に人事担当部長を務め、現在は物流会社に勤める入山賢一さん(67)は「再建計画に沿って退職勧奨したが、条件のいい就職先を紹介できずつらかった。自分が残るわけにはいかないと思い、新生銀移行時に退職した」と振り返る。さらに「長銀破綻に伴う急速な不良債権処理で、潰さないで済む企業も潰れた。もっと他の方法があったのではないか」と割り切れない思いを語る。

 その後、新生銀はリーマン・ショックに伴う投資損失で08~09年度に再び最終(当期)赤字に転落。日債銀を引き継いだあおぞら銀行との合併も検討したが、実現しなかった。なお約3500億円相当の公的資金を返済できておらず、本格的な経営再建は道半ばだ。工藤英之社長は「今後は他の金融機関と異なる価値を創出し、生産性改善に取り組む。市場から高評価を受けられるビジネスモデルの確立に向けて努力を続ける」と語る。【土屋渓】

日本長期信用銀行
 基幹産業に長期資金を安定的に供給するため、長期信用銀行法の施行に伴い1952年に設立された。「ワリチョー」などの金融債を発行して資金を調達し、高度成長期の産業振興を担った。バブル期に不動産やノンバンク向け融資に失敗し、経営が悪化。98年10月に一時国有化された。2000年に米投資組合に売却され、同年6月に新生銀行に改称した。

■長銀破綻以降の主な出来事

1998年10月 特別公的管理を申請し破綻、一時国有化

  99年 6月 東京地検が大野木克信元頭取ら旧経営陣3人を逮捕

2000年 3月 政府が米リップルウッド主体の投資組合に長銀を譲渡

      6月 新生銀行に行名変更

      7月 大口融資先のそごうが民事再生法適用を申請し、破綻

  04年 2月 東京証券取引所第1部に再上場

  08年 7月 消費者金融大手レイクなどを5800億円で買収すると発表

  10年 3月 リーマン・ショックの影響で2期連続赤字

      5月 あおぞら銀行との合併交渉が破談

  15年 6月 りそなホールディングス、あおぞら銀が公的資金完済