「ウチナーンチュ、ウシェーティナイビランドー(沖縄の人をないがしろにするな)」
■政府・国民に突き付けた怒りと、沖縄の未来 翁長知事「新基地造らせない」
2018年7月28日
「美しい辺野古を埋め立てる理由はない」。名護市辺野古の新基地建設阻止に向け、埋め立て承認の「撤回」を表明した沖縄県の翁長雄志知事は、万全ではない体調から声を振り絞るように語った。「撤回」を明言してから約1年4カ月。会見では、三十数年の政治人生を振り返りながら「今後もあらゆる手法を駆使して新基地は造らせない」と改めて強調。アジアや日本の中で沖縄のあるべき姿を説き、新基地建設を強行する政府や容認する国民に「怒り」を突き付けた。
多くの報道陣で室温も上がる会見の場に、痩せた体を隠すかのような長袖シャツを着け、外反母趾(ぼし)のためというぎこちない歩き方で現れた翁長知事。
報道陣のマイク15本が並ぶ中、撤回表明前に触れたのは県民投票条例の署名活動で約7万7千筆が集まったこと。「多くの県民が署名を行った重みに、しっかり向き合ってもらいたい」と話すと、シャッター音が響いた。
撤回に関する会見は約30分。事前に用意された聴聞手続きに関するコメントは淡々と読み上げたが、質疑応答では撤回のタイミングや理由について、身ぶり手ぶりを交えて「ダイナミック」という言葉を4度も使った。朝鮮半島の緊張緩和に向けた動き、日本とアジアの懸け橋になれる沖縄の未来について持論を展開。
かすれた声は次第に大きくなり、辺野古の現状や承認取り消し、国と対峙(たいじ)した裁判、オール沖縄の意味合いなどを挙げ「一つ一つ吟味し、総合的に判断した結果」と強調した。
新基地建設を強行する政府の姿勢を「とんでもない固さ」「本当に傍若無人な工事状況」と表現。「(政府の姿勢に)国民が違和感なく、沖縄に造るのが当たり前だと思っていることに憤りを持っている」とまくし立てた。
「撤回」は新基地阻止の最後のカードか―。会見終盤に本土メディアから問われた知事は、こう締めくくった。「今の日本の動きではアジアから閉め出される。撤回以外にも(止める)要素はある」と述べ、国内政治や国際情勢の変化により、工事を止められる可能性はあるとの考えを示した。
■恒久平和誓う慰霊の日 沖縄全戦没者追悼式 翁長知事、辺野古新基地見直し求める
2018年6月23日 12:50
戦後73年の「慰霊の日」の23日、沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式(主催・県、県議会)が執り行われた。県内外から遺族や関係者ら約5100人が参列。正午に合わせて黙とうし、住民を巻き込んだ凄惨(せいさん)な沖縄戦で亡くなった20万人を超える犠牲者の冥福を祈り、不戦と恒久平和を誓った。
翁長雄志知事は平和宣言で、戦後73年を経ても全国の米軍専用施設の70・3%が沖縄に集中し、基地から派生する事件・事故や環境問題に悩まされ続けている理不尽さを訴えた。先日の米朝首脳会談など緊張緩和に向けた東アジアの安全保障環境の変容に触れ、「20年以上も前に合意した辺野古への移設が普天間飛行場問題の唯一の解決策と言えるのか」と日米両政府に現行計画の見直しを求めた。
さらに、民意を顧みない辺野古新基地建設は沖縄の基地負担軽減だけでなく、アジアの緊張緩和にも逆行していると指摘。「『辺野古に新基地を造らせない』との私の決意は県民と共にあり、これからもみじんも揺らぐことはない」と強調した。
■2015年5月18日 沖縄タイムス
翁長雄志知事は17日の県民大会で「県の有するあらゆる手法を用いて辺野古に新基地は造らせない。公約実現に向けて全力で取り組むことをあらためて決意する」と述べ、建設に反対する民意を受けて阻止を貫く方針を訴えた。沖縄にとって「原点は普天間飛行場が戦後、米軍に強制接収されたことだ」とも強調。「普天間の危険性除去」を原点とし、新基地建設の必要性を繰り返す政府の認識のズレを指摘した。
政府が辺野古移設を普天間返還の「唯一の解決策」と決め付け、県内移設を迫る姿勢について「沖縄は自ら基地を提供したことは一度もない。こんなことが許されるでしょうか」と問いかけ、「このことを日本の政治の堕落だと言っている」と厳しく批判した。
昨年の名護市長選や知事選、衆院選で示された民意のほか、全国紙など最近の世論調査で新基地に「反対」が「賛成」を上回っている傾向も示し「自国民に自由と人権、民主主義という価値観を保障できない国が、世界の国々とその価値観を共有できるのか」と指摘。民意を顧みず、基地建設を強行する政府の対応に疑問を投げ掛けた。
政府が前県政時に取り組むとした普天間の「5年以内の運用停止」には「埋め立て承認を得るための話クヮッチー、空手形だったのではないか」と危惧。安倍首相が面会で「嘉手納基地より南の施設の返還」が前進していると説明したことを紹介し、「普天間が辺野古新基地に移り、嘉手納より南が返されても(在日米軍施設が沖縄に集中する割合は)たった0・7%しか減らない。全部県内移設だからだ」と指摘した。
翁長氏は独立した民主国家として「日本の独立が神話だと言われないよう安倍首相、頑張ってください」と民意や民主主義を尊重するよう要求。新基地建設反対の世論と過重負担を長年負い続ける県民の代表として「ウチナーンチュ、ウシェーティナイビランドー(沖縄の人をないがしろにするな)」と締めくくった。
翁長知事発言の骨子
●辺野古新基地阻止の公約実現へ決意
●普天間問題の原点は戦後の強制接収
●「辺野古が唯一の解決策」は日本の政治の堕落
●県内移設では基地は0.7%しか減らない
●沖縄をないがしろにしてはいけない
■8/8(水) 20:20配信 沖縄タイムス
【号外】沖縄県の翁長雄志知事が死去 最後まで辺野古新基地反対貫く 67歳、膵臓がん
沖縄県知事の翁長雄志氏が8日午後7時までに、膵臓(すいぞう)がんのため入院中の浦添総合病院で死去したことが分かった。67歳だった。米軍普天間飛行場の返還に伴う名護市辺野古への新基地建設への反対を訴え、2014年の県知事選で初当選。新基地建設反対を最後まで貫いた。
翁長知事の任期満了に伴う知事選は11月告示、11月18日の投開票が決まっていたが、死去により9月にも知事選が実施される。
翁長知事は膵臓がんの手術を受け、治療を続けていたが、病状の回復のめどがたたず、7月30日に再入院していた。関係者によると意識混濁の状況になっていた。県は8日、謝花喜一郎副知事を職務代理とする方針を発表した。
翁長知事は7月27日に名護市辺野古の新基地建設に伴う埋め立て承認について、「公益に適合しない」などの理由で撤回すると表明。同31日に沖縄防衛局の言い分を聞くための聴聞通知書を県が防衛局へ送ったが、その際には登庁していなかった。
辺野古新基地問題で政府と激しく対峙(たいじ)してきた翁長知事の死去で、基地問題の行方や知事選を含めた県内政局が一気に加速する。
翁長知事は4月25日に膵臓がんの手術を受け、5月15日に退院。ステージ2のがんだったと公表し、復帰後も公務を制限していた。6月県議会本会議の代表、一般の両質問の全日程に出席。一般質問の初日では治療を理由に欠席を申し出たが、野党会派が反発し、日程を変更し、知事が出席した。
翁長知事を支える県議会与党会派などは11月18日投開票の知事選で、翁長氏の二期目の出馬を前提に協議を進めており、影響は必至だ。
1950年生まれ、那覇市出身。85年に那覇市議に初当選し2期務め、県議(2期)、2000年から那覇市長を4期14年務めた。