◆ 「君が代」強制は教育を荒廃させている!
自分の人権と生徒の人権を主張し、調教教育と手を切ろう!
財務省・近畿財務局の決裁文書改ざんが問題になり、関係職員の自殺も報道されています。
政府・政治家からの、また、それを受けた上司からの理不尽な要求に良心をさいなまれながらやむなく不正に手を染めている人、理不尽な指示を他の人に押し付ける役割を「自分の生活・地位を守るため」と割り切って良心を封殺して実行する人、理不尽な権力支配のもとで働く人たちの対応はいろいろだと思います。
しかし、自分が不正に手を染めさせられそうになったとき、内部告発等、それが厳しい道であっても、抵抗する道を探さない限り自分の責任は免れないことを自覚するしかないのだと思います。
維新の会が強行制定した大阪市国旗国歌条例と、生徒にしっかり「君が代」を斉唱させること、及び、率先垂範の教育活動として教職員の起立・斉唱を位置付ける教育長通知のもとで、私たちも財務省・文科省・厚労省の役人たちと同じような立場に置かれています。
「生徒がしっかり歌うよう指導しろ」という教育委員会は、「君が代」がどんな歌かをどう説明するのか、指導内容を示すわけでもなく、そのための研修をするわけでもなく、とにかく命令するだけです。
唯一の手がかりである音楽の教科書では、「さざれ石(細かな石)が集まって巌(大きな岩)となり、それが苔で覆われてしまうほどのとても長い年月にたとえて、日本の繁栄と平和が末永く続くことを願った歌です。」(教育芸術社)、「日本がいつまでも平和で栄えるようにとの願いがこめられています。」(教育出版)となっていて、正確でないだけでなく、虚偽と言えるものです。
正確に言えば、1999年の国旗国歌法制定時に政府が、日本国憲法のもとでは、「~との願いを込めたもの」と解釈(誰もきちんと説明できない解釈)して歌うのが良いとの立場を示したということです。
戦前、大日本帝国憲法のもとで、曲をつけて国歌的扱いをされたときには、天皇統治の永遠を願う歌と意味づけされました。
江戸時代までは、目上の人の長寿を願う歌として等、いろんな場所で、いろんな意味をふして、いろんな節回しでうたわれていたのです。
「君が代」についての正確な情報も伝えず、とにかく国歌だから歌えと生徒に強制することを「指導」と称してやっているのが現在の学校の姿といえます。
自分の責任を逃れるために、その現実を直視し、向き合うのではなく、下へ下へと責任を転嫁しているのが現在の教育行政です。
「君が代」の歴史と歌詞の意味の変遷を知らせないことが国家政策となっている中での醜い教育行政の姿です。
私たちは、学校が、生徒に対する犯罪行為を行っていることを自覚しなければならないと思います。そして、自分の権利に目ざめなければならないと思います。
「国歌『君が代』をしっかり歌わせろ」と指示する教育委員会に、どう指導するのか、指導内容を示してくれと要求しなければなりません。
そして、私たち自身が生徒への権利侵害の現実をつかむ努力を行い、何ができるかを考えていく必要があるのではないでしょうか。
生徒に「『君が代』の歌詞の意味を知ってる?」と聞くことから始めてみませんか。
自分の人権と生徒の人権を主張し、調教教育と手を切ろう!
2018.3.19 松田
財務省・近畿財務局の決裁文書改ざんが問題になり、関係職員の自殺も報道されています。
政府・政治家からの、また、それを受けた上司からの理不尽な要求に良心をさいなまれながらやむなく不正に手を染めている人、理不尽な指示を他の人に押し付ける役割を「自分の生活・地位を守るため」と割り切って良心を封殺して実行する人、理不尽な権力支配のもとで働く人たちの対応はいろいろだと思います。
しかし、自分が不正に手を染めさせられそうになったとき、内部告発等、それが厳しい道であっても、抵抗する道を探さない限り自分の責任は免れないことを自覚するしかないのだと思います。
維新の会が強行制定した大阪市国旗国歌条例と、生徒にしっかり「君が代」を斉唱させること、及び、率先垂範の教育活動として教職員の起立・斉唱を位置付ける教育長通知のもとで、私たちも財務省・文科省・厚労省の役人たちと同じような立場に置かれています。
「生徒がしっかり歌うよう指導しろ」という教育委員会は、「君が代」がどんな歌かをどう説明するのか、指導内容を示すわけでもなく、そのための研修をするわけでもなく、とにかく命令するだけです。
唯一の手がかりである音楽の教科書では、「さざれ石(細かな石)が集まって巌(大きな岩)となり、それが苔で覆われてしまうほどのとても長い年月にたとえて、日本の繁栄と平和が末永く続くことを願った歌です。」(教育芸術社)、「日本がいつまでも平和で栄えるようにとの願いがこめられています。」(教育出版)となっていて、正確でないだけでなく、虚偽と言えるものです。
正確に言えば、1999年の国旗国歌法制定時に政府が、日本国憲法のもとでは、「~との願いを込めたもの」と解釈(誰もきちんと説明できない解釈)して歌うのが良いとの立場を示したということです。
戦前、大日本帝国憲法のもとで、曲をつけて国歌的扱いをされたときには、天皇統治の永遠を願う歌と意味づけされました。
江戸時代までは、目上の人の長寿を願う歌として等、いろんな場所で、いろんな意味をふして、いろんな節回しでうたわれていたのです。
「君が代」についての正確な情報も伝えず、とにかく国歌だから歌えと生徒に強制することを「指導」と称してやっているのが現在の学校の姿といえます。
自分の責任を逃れるために、その現実を直視し、向き合うのではなく、下へ下へと責任を転嫁しているのが現在の教育行政です。
「君が代」の歴史と歌詞の意味の変遷を知らせないことが国家政策となっている中での醜い教育行政の姿です。
私たちは、学校が、生徒に対する犯罪行為を行っていることを自覚しなければならないと思います。そして、自分の権利に目ざめなければならないと思います。
「国歌『君が代』をしっかり歌わせろ」と指示する教育委員会に、どう指導するのか、指導内容を示してくれと要求しなければなりません。
そして、私たち自身が生徒への権利侵害の現実をつかむ努力を行い、何ができるかを考えていく必要があるのではないでしょうか。
生徒に「『君が代』の歌詞の意味を知ってる?」と聞くことから始めてみませんか。