◆ 「平壌宣言」の履行で「核」は止められた (週刊金曜日)
田岡俊次(たおかしゅんじ・ジャーナリスト)

 北朝鮮の核・ミサイルの開発と配備がますます進むのに対し、安倍晋三首相は「脅威は新たな段階に入った」と警鐘を鳴らす。だがこうした事態に至った一因は安倍首相自身にある

 ◆ 絶好の機会を潰した安倍首相の大失策
 2002年9月、小泉純一郎首相(当時)の訪朝で調印された「日朝平壌宣言」は、「双方は、朝鮮半島の核問題の包括的な解決のため、関連するすべての国際的合意を遵守することを確認した。……朝鮮民主主義人民共和国側はこの宣言の精神に従い、ミサイル発射のモラトリアム(延期)を2003年以降も更に延長していく意向を表明した」とした。
 「すべての国際的合意」が、北朝鮮が当時入っていた核不拡散条約(NPT)や、国際原子力機関(IAEA)の査察などを定めた「保障措置協定」を指すのは疑う余地がない。


 平壌宣言の眼目は北朝鮮核開発をやめ、ミサイル発射も凍結するのと引き換えに、日本が北朝鮮と国交を樹立、各種の経済協力を行なう、というものだった。

 当時、世界的に懸念されていた北朝鮮の核問題を日本がほぼ独力で解決したのだから、米欧の新聞は「信じがたいほどの北朝鮮の譲歩」などと日本外交の成功を称え、小泉首相は国際会議で拍手で迎えられ、感謝声明が決議されるなど英雄扱いされた。

 北朝鮮は、旧ソ連が1990年、中国が92年に韓国と国交を結んだため孤立し、極度の窮乏に面していたから、日本との国交樹立、経済協力にノドから手が出る状況だったし、核・ミサイル開発はまだ初期段階だったから、それを止めさせるのは今日より容易だった
 私は「韓国は70年代、秘密に核開発を試みたが、米国が察知して止めさせた。同様に北朝鮮も密かに核開発を続けるのでは」と思ったが「IAEAの査察の目を逃れてやるのでは小規模の研究にとどまるはず。査察を拒めば日本は経済協力を停止できる。援助漬けにして手綱を握るのが得策」と考えた。
 そうしておけば、多分核実験まではやれなかったろう。

 ◆ 「拉致問題」の熱狂が妨害
 だが日本では国民の関心が拉致問題に集中し、平壌宣言が核問題解決の協定であることは無視された。
 自民党の議員にも核問題は数十万人の命、国の存亡に関る。拉致問題とは比較になりません」と私に言う人もいたが、彼も「ブルーのバッジ」を付け「選挙民は拉致にしか関心がない」と苦笑していた。
 メディアも「拉致問題最優先」を煽り、テレビ局で打ち合せの際「私も事の軽重は分っているが、今日はそれを言わないで頂きたい」と懇願されたこともある。
 拉致問題の情報収集、交渉のためにも大使館を開き、防衛駐在官や警察庁職員、原子力技術者などを館員として派遣、経済援助の一部で相手側に情報源を作るのが定石だったろう。
 だが拉致への怒りと被害者への同情が怒濤のように渦巻く中、国交樹立や経済協力どころではなく、平壌宣言は履行不能となり、北朝鮮は核・ミサイル開発を進めることとなった。

 その頃米国の情報機関とつながりがあるとおぼしき研究所員や記者、外交官らが私を訪ね、異ロ同音に「拉致問題で騒ぐ人々の意図は何か」と聞く。「単に怒りと同情の感情。意図などない」と言っても、納得しない。
 彼らは「日本の右派は北朝鮮に核武装させ、それをロ実にNPTから脱退、日本も核武装しようとし、北朝鮮の核開発を阻止する平壌宣言を反故にしようとしている」との猜疑を抱き、証拠を探していたのだ。
 日本は外交の大成果を無にしようとしていたから「何か裏がある」と米国人が疑ったのも無理はない。

 当時、官房副長官だった安倍氏拉致問題優先の急先鋒として大衆の支持を獲得、その後首相に上り詰めたが、その代償が核の脅威だった。
 外務省は、「平壌宣言はなお有効」とするが、婚約相手の女性が他の男性の子を産んだ後も、「婚約は有効」と言うような無様な姿だ。

『週刊金曜日 1141号』(2017.6.23)