《憲法施行70年…シリーズ④》 (教科書ネットニュース)
 ◆ 憲法の原点から見た安倍政権の9条改憲
古関彰一(和光学園理事長)

 日本国憲法の原点が「GHQの押しつけだ」ということは、驚くほど多くの人々によってよく知られていることのようです。それはまた、筆者からみますと、私たちの「戦後認識」をよく表していることのように思えてなりません。とはいえ、戦後が70年も経ってみますと、しかもそれほどの激変があったわけではありませんので、その「原点」があたかも「現点」のように考えても致し方ないように思われるのです。

 ◆ 憲法の出発点
 まず、日本国憲法の出発点の時点で、最大の争点は9条ではなく、1条「天皇の地位」でした。


 確かに、当時の言葉で言いますと「戦争を放棄して丸腰でいいのか」という9条批判があったことは事実ですが、それ以上に憲法の原案を起草したGHQ案に対する最大の批判は、「国民が主権者になるということは、統治権の総撹者の天皇の地位が変更されることであり『国体』の変更だ」という批判でした。

 GHQは、日本国民のそうした批判を十分に知っていましたし、また日本の占領政策の最終的権限は、連合国11力国(後に13力国)が構成する極東委員会にありましたので、連合国最高司令官のマッカーサーも、極東委員会も日本政府に対して、憲法施行後1年後2年以内に憲法改正の発議をしてよろしいとの指示を出していました。

 それに対して、当時の国会議員はなんら憲法改正に関心を示さず、その必要も感ぜず、新聞等では「解散権の所在」などの改正が指摘された程度で、大きな修正、今日では主要な争点になっている9条の改正など誰も問題にせず、指示を受けた当時の吉田政権は、改正に対する行動をなんら起こしませんでした。

 ◆ 自衛隊の設置
 憲法改正が大きな問題になった理由は、言うまでもなく、旧日米安保条約で「自国(日本国)の防衛の強化」が定められ、これに従って自衛隊が設置されたからでした。1954年のことです。
 当時の政権党の自由党は、自衛隊を設置し、9条の実質的な改正の方向に踏み切ります。その際に党の中心的組織になったのが憲法調査会ですが、その会長になったのが岸信介でした。ご存じのように岸は改憲を試み、首相になって安保条約を改正しました。いまや孫が首相となり、集団的自衛権を定める安保法制を制定し、祖父の遺言を引き継いで改憲の旗を振っています。
 1955年になりますと自由民主党が結党され、改憲は本格化しますが、その時のスローガンは「自主憲法を制定しよう」でした。
 「自主」、つまり、「憲法はGHQの押しつけだから、日本人が自主的に憲法をつくろう」というわけでした。

 ◆ 「国際平和を誠実に希求」国会で追加
 こうした憲法改正に対して、労働者を中心に、いまでは考えられないほどの多くの人々が反対しました。しかし、その時点では憲法をつくった国会の議事録のうち、最も重要な「秘密会」の議事録が公表されていませんでした。
 公開されたのは戦後50年の1995年のことでした。公開されてみますと、GHQが起草し、日本政府案となった憲法九条には「戦争の放棄」は書かれていましたが、9条にとって重要な意昧を持つ「国際平和を誠実に希求し」という文言は政府案にはありませんでした。
 その部分を当時社会党の議員が提案して、修正・追加されたことがわかりました。つまり、GHQの押しつけなどではなく、国会で修正されていたのでした。
 このような事実を前に、自民党が唱えた従来の改憲論は通用しなくなり、いま改憲を議論している「憲法審査会」では、「押しつけ論」を議論することは止めています
 ということは、安倍首相が掲げる「自民党が一貫して主張してきた憲法改正」の改憲理由は、一貫していないことがわかります。

 ◆ 「戦争のできる憲法」へ
 安倍首相の改憲構想は、いまや9条の1項(戦争の放棄)と2項(戦力不保持)はそのまま残して3項を加え、自衛隊の存在を明記したいということになり、その主張は以前と大きく変化しています。
 しかし、紆余曲折はしていますが、要は「平和はやめて、戦争のできる憲法」という点では一貫しています。
 しかも、安倍首相は、自衛隊は多くの国民に支持されていることを理由に、なかでも震災などの災害派遣やPKOなどの国際貢献、テロの防止などを挙げて、憲法改正をおこなおうとしています。
 しかし、言うまでもなく軍隊としての自衛隊の最大の任務は、軍事力(戦力)を用いて戦争もしくはそれに準ずる紛争に関与するということです。さらに私たちは、日米安保条約の下にいます。
 50年代初めに自衛隊が創設される前後に、吉田首相は自衛隊が米軍の指揮下で行動する「密約」を米国側と二度にわたって結んでいます。冷戦終結後には「日米安保共同宣言」を発表し、日米は「同盟」関係になります。同盟はallianceが使われましたので、「軍事同盟」となりました。その後は、1990年代を通じて有事法制が続々とつくられたことは、ご存知の通りです。
 その中心にあるのが周辺事態法(1999年)です。
 周辺事態法(重要事態法)は、自衛隊の米軍への役割を明確にしました。それは、米軍の下での自衛隊による物品の提供や隊員の労務の提供(労役)です。同法では「後方支援」とよんでいます(同法3条2号)。
 これは、紛争(戦争)地域に米軍が介入した際に、自衛隊は後方支援として物品や隊員の労務の提供を自動的に行うことになります。そこで、改憲により憲法9条3項が加えられれば、同法で提供する手段は、自衛隊法に従って武器の携行は当然のこととして、憲法で明確に自衛隊法を法認したことを理由に、首相が防衛出動を命じれば、米軍の指揮下で戦闘行為に入ることもできるのだという解釈が、堰を切ったように出てくる可能性もあります。
 結果は、「日本防衛」よりも、米軍の戦略にかなった防衛となります。

 ◆ 軍事力による「力の政策」の強化
 もちろん、安倍首相のいう9条1項と2項、なかでも2項を変えないとすれば、自衛隊は2項に定める「戦力」に該当するのではないかという、60年代から争われてきた憲法論争になります。
 再確認をお願いしたいのは、いくつかの自衛隊違憲訴訟で、違憲判決はありますが、合憲判決は未だになく裁判所が判断を避けている場合が多いということです。
 また、安倍首相は災害時での自衛隊の活躍を挙げていますが、それは軍隊でなければできない活動ではありません。むしろ警察・消防の活動です。
 近隣諸国との紛争状態も、現状は海上保安庁(警察組織)が出動していますが、そうであるから紛争にはならないのです。
 テロ行為も、国家の手段としては行われていません。国際テロも「集団」です。従ってテロは犯罪であり、警察によって捜索・逮捕が行われます
 軍隊には捜査権も司法警察権も与えられていないのですから、軍隊によってテロをなくすことはできないのです。
 現に1996年から警察庁の下でSAT(Special Assault Team、特殊急襲部隊)が組織され、秘密裏に訓練が行われています。軍隊の部隊行動など意味を持たないのです。
 このように考えてみますと、安倍首相の立論は、まったく意味を持たず、軍事力による「力の政策」の強化でしかないと言わざるを得ません。
 (こせきしょういち)

『子どもと教科書全国ネット21ニュース 115号』(2017.8)