★ 『教育勅語』の徳目には「命を大切に」も「嘘をついてはいけない」も入ってない
   ~「君に忠」のような封建道徳に普遍性などあるわけがない


 暉峻淑子(埼玉大名誉教授)さんが、次のようなことを書いていた。
 「私は常々不思議に思っているのですが、子どもに対して教師や親は"嘘をついてはいけない"と諭します。ではなぜ『教育勅語』に"嘘をついてはいけない"と書いてないのでしょうか。そう書いてあれば、ウソを必要とする政治家は喜んで『教育勅語』を失効させたでしょう。」

 なるほど、確かに「嘘をつくな(正直であれ)」という基本中の基本道徳が『教育勅語』には欠けている。そう言えば「命を大切に(殺すな)」という、道徳の原点も見当たらない。ウーン、これで古今東西、万世不易の普遍的道徳と言って胸を張れるのだろうか。そこで思い浮かぶのが、広く世界で通用してきた古典的な道徳、東の仏教の五戒と西のキリスト教の十戒だ。


 それを掲げてみる。(番号は便宜的。五戒と十戒との共通項に★。)
○東の五戒(仏教)
★①不殺生(ふせっしょう) …生き物を殺さない。
★②不偸盗(ふちゅうとう) …盗みをしない。
★③不邪淫(ふじゃいん) …みだらなことをしない。
★④不妄語(ふもうご) …嘘をつかない。
 ⑤不飲酒(ふおんじゅ) …酒を飲まない。

○西の十戒(旧約聖書)
 ①あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
 ②あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。(略)
 ③あなたは、あなたの神、主(しゅ)の御名(みな)を、みだりに唱(とな)えてはならない。(略)
 ④安息日(あんそくにち)を覚えて、これを聖(せい)なる日とせよ。 (略)
 (ここまで4つは神に関わる宗教的戒律。)
 ⑤あなたの父と母を敬(うやま)え。(略)
★⑥殺してはならない。
★⑦姦淫(かんいん)してはならない。
★⑧盗んではならない。
★⑨あなたの隣人(りんじん)に対し、偽(いつわ)りの証言をしてはならない。
 ⑩あなたの隣人(りんじん)の家を欲しがってはならない。(略)
 (残り6つは人間の生活の中での道徳的戒律。)
 「殺すな」「嘘をつくな」の他に、「盗むな」「淫行するな」4つもの徳目が、東西の古典には共通している。
 それに対し、明治の日本で作られた『教育勅語』には、この4つのどれ一つとして備わっていない

 改めて『教育勅語』に盛り込まれている「徳目」を並べ上げてみる。
 数え方によって徳目も数も変わってくるが、ここでは13個あげてみる。
 『勅語』原文に、芥川賞作家の高橋源一郎氏による現代語訳を付した。
 (1番目だけは長い文章なのでエッセンスだけ抽出引用した。)
①我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ・・・教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
 (臣下としては主君に忠誠を尽くし、子どもとしては親に孝行をしてきたわけです・・・そういうわけですから、教育の原理もそこに置かなきゃなりません。)
②父母ニ孝ニ (父母を敬い)
③兄弟ニ友ニ (兄弟は仲良くし)
④夫婦相和シ (夫婦は喧嘩しないこと)
⑤朋友相信シ (友だちは信じ合い、)
⑥恭倹己レヲ持シ (何をするにも慎み深く、)
⑦博愛衆ニ及ホシ (博愛精神を持ち、)
⑧学ヲ修メ業ヲ習ヒ (勉強し、仕事のやり方を習い、)
⑨以テ智能ヲ啓発シ (そのことによって智能をさらに上の段階に押し上げ、)
⑩徳器ヲ成就シ (徳と才能をさらに立派なものにし、)
⑪進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ (なにより、公共の利益と社会の為になることを第一に考えるような人間にならなくちゃなりません)
⑫常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ (ぼくが制定した憲法を大切にして、法律をやぶるようなことは絶対しちゃいけません。よろしいですか。)
⑬一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ (さて、その上で、いったん何かが起こったら、いや、はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください。というか、永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください。それが正義であり「人としての正しい道」なんです。)
 まず万古不易の「殺すな」道徳を始め、五戒・十戒共通の4つの徳目が全部ない
 それに対し『勅語』道徳は、①<君への忠>から始まり、最後⑬の<主君のために命を捧げよ>まで、一貫して人命軽視の封建道徳で貫かれている。

 『教育勅語』の道徳性を評価したがる人は、ことごとく①の道徳<君への忠>をスルーしているが、それこそ『勅語』の一丁目一番地であって、最後の⑬と結びついて『勅語』全体を貫く最も核心的な徳目である。
 間に挟まれている②~⑫は、<君への忠>という核心と結びついて初こそめて価値が生まれる付随的な道徳に過ぎない。
 (親孝行なら君に不忠は許されるのか、許されるわけが無い。学を修め業を習うのは何のためかと言えば天皇のために命を捧げなければ意味がない。)
 親孝行とか兄弟仲良くとかが、一つ一つ切り売り出来るわけではなく、全部<君に忠><主君に命を捧げる>究極の道徳に結びついて初めて意味を持つ道徳となっているのだ。

 徳目の一つ一つを切り売りして、「近代にも生かせる道徳」と称するなど本来の『勅語』の精神をなみするまやかしの言説に他ならない。木を見て森を見ず、一つ一つの徳目は悪くないから今の時代にも通用するという人たちは、今の時代に通用する徳目だけを『勅語』から切り売りすることを勧めているのだろうか。だったらわざわざ『勅語』を持ち出さなくても済む話だ。
 こんな人命軽視の全体主義的な封建道徳が、古今東西・万古不易の普遍的道徳であるわけがない。そんなこと言ったら、世界から笑いものにされるだけだ。
 誰か英訳して、トランプでも、プーチンでも、アサドでも、ローマ法王でも、ダライラマでも、読んでもらえば良い。明治~昭和の日本という特別の時代と地域における狭い文化の中でしか通用しない「道徳」であることが簡単に分かるであろう。

 「殺すな」も「嘘をつくな」も入っていない『勅語』を世界に通用する普遍的道徳だという人たちくらい、世間知らず・恥知らずの愚か者はいない。
 『勅語』から換骨奪胎して一部の徳目だけを切り売りする人たちは、贔屓の引き倒しで『勅語』本来の歴史的意味をねじ曲げ貶めてしまっていることを、元田永孚、井上毅、明治天皇に恥じるべきである。
(若杉 倫 高校倫理教員)


パワー・トゥ・ザ・ピープル!! パート2