◎ 「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」旨の閣議決定等に抗議し、これを撤回するよう求める声明

 政府は3月31日、民進党の初鹿明博衆院議員の質問主意書に答え、教育勅語を学校教育で使うことについて、「勅語を我が国の教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切である」としたうえで、「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」との答弁書を閣議決定した。
 続いて4月3日菅官房長官が、4日には松野文科相が、道徳教育の教材として使用することまでは否定されていない旨の認識を示した。
 さらに、7日、義家文科副大臣「教育勅語の朗読は問題のない行為」である旨衆議院で答弁した。


 実は閣議決定や官房長官発言の前である本年2月、文科省審議官は「教育勅語の中には、今日でも通用するような普遍的な内容も含まれ、適切な配慮の下に活用していくことは差し支えないと考えている」旨参考人として衆議院で発言している。
 こうした流れをみれば、「教材として」という意味は、「負の歴史を学ぶ」歴史教育の教材としてでなく、積極的な価値をもつ徳目(道徳)を教える教材として位置づけていることは明らかである。
 「普遍的な徳目」を教えるためなら失効した教育勅語を用いる必要は毫もなく、また用いるべきではない

 天皇主権の下で神話的国体観にもとづき「天皇のために生き、死ぬ」人間育成を教育の根幹とし、大日本帝国の侵略戦争体制をもたらす基盤となった教育勅語は、個人の尊厳を柱として主権在民・平和主義・基本的人権の保障を原則とする日本国憲法の下では完全に否定された
 そのうえで、1947年、「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。・・・ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する」として日本国憲法にふさわしい教育の根幹を定めた教育基本法が制定され、1948年6月19日、衆参両院が以下のような理由をもった決議で教育勅語は形式的にも排除・失効が確認された。
 【教育勅語等排除に関する決議(1948 年6月19 日衆議院決議)】
 民主平和国家として世界史的建設途上にあるわが国の現実は、その精神内容において未だ決定的な民主化を確認するを得ないのは遺憾である。これが徹底に最も緊要なことは教育基本法に則り、教育の改新と振興とをはかることにある。しかるに既に過去の文書となっている教育勅語並びに陸海軍軍人に賜わりたる勅諭その他の教育に関する諸詔勅、今日もなお国民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは、従来の行政上の措置が不十分であったがためである。
 思うに、これらの詔勅の根本的理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すものとなる。よって憲法第98条の本旨に従い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。政府は直ちにこれらの謄本を回収し、排除の措置を完了すべきである。

 【教育勅語等の失効確認に関する決議(1948 年6月19 日参議院決議)】
 われらは、さきに日本国憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定して、わが国家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に払拭し、真理と平和とを希求する人間を育成する民主主義的教育理念をおごそかに宣明した。その結果として、教育勅語は、軍人に賜はりたる勅諭、戊申詔書、青少年学徒に賜はりたる勅語その他の諸詔勅とともに、既に廃止せられその効力を失っている
 しかし教育勅語等が、あるいは従来の如き効力を今日なお保有するかの疑いを懐く者あるをおもんばかり、われらはとくに、それらが既に効力を失っている事実を明確にするとともに、政府をして教育勅語その他の諸詔勅の謄本をもれなく回収せしめる。
 われらはここに、教育の真の権威の確立と国民道徳の振興のために、全国民が一致して教育基本法の明示する新教育理念の普及徹底に努力をいたすべきことを期する。
 上記は、「今日もなお国民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解」したり、「従来の如き効力を今日なお保有するかの疑いを懐く者ある」状況をおもんばかって決議したものであって、これは今日の一部政治家の言動及び今回の閣議決定に至る状況とまったく同じである。
 教育勅語は、日本国憲法に反する法令や詔勅は無効である旨規定する「日本国憲法第98条の本旨に従」って失効ないし排除されたものであることをあらためて銘記すべきである。

 教育勅語に掲げる12の徳目中「普遍性があるもの云々」という言説が飛び交っているが、これらはすべて「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」のためであるばかりか、そもそもこの文書は天皇から臣民に向けられたものであり、天皇崇拝と天皇中心の国体思想を学校教育の場において養うためのものであった。その文脈の中で奨励される道徳に「普遍性」はない。教育勅語を「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いること」はありえない。いわんや「朗読」などありえない。

 今回の閣議決定等は突然出てきたものではない。今回の直接の経緯は「教育勅語を暗唱させる」幼稚園の存在であったが、2006年の教育基本法改悪前後から教育勅語を評価する政治家の発言が目立つようになった。
 教育基本法改悪後からは、愛国心や伝統文化教育なるものが続々と教育現場に強要され、学習指導要領はそれに合わされ、今般、中学校の体育科で必修となっている武道に「銃剣道」が明記された。道徳教育は教科化され、その教科書検定が発表されたばかりだが、その「道徳教育の教材に」とまで踏み込んだのが官房長官と文科相発言である。
 こうした状況に加えて、家庭にも教育勅語的な教育が勧められるだろう家庭教育支援法なる怪しげな法案が上程されるばかりか、幼稚園のみならず保育園でも「日の丸・君が代」が導入されるようになった。これらは前述した日本国憲法の三大原則を否定する2012年自民党「日本国憲法改正草案」にすべてつらなるものである。

 そもそも、日本国憲法第98条の本旨にしたがって排除等された教育勅語を容認する言動は、日本国憲法第99条(公務員等の憲法尊重擁護義務)に反する。
 よって、安倍内閣の「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」との3月31日閣議決定、「道徳教育で教育勅語を教材に使うことを否定できない」旨4月3日の菅官房長官、同4日の松野文科相の各発言、7日の文科福大臣の答弁、そしてこれらに連なる文科省担当官の発言等に抗議し、これらを撤回すべく求めるものである
2017年4月7日
子どもと法・21(子どもの育ちと法制度を考える21 世紀市民の会)


『子どもと法21』
http://www.kodomo-hou21.net/

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