《子どもと教科書全国ネット21ニュース》
 ◆ 国連総会で採択された「平和への権利宣言」
清水雅彦(日本体育大学教授)

 2016年11月18日、「平和への権利宣言」が国連総会第3委員会で採択され、12月19日に国連総会全体会合で採択された(賛成131か国、反対34か国、棄権19か国)。
 日本国憲法前文で平和的生存権を規定しているにもかかわらず、平和運動に関わる団体や市民の間でもこの宣言の採択や日本政府がこの宣言に反対したことが十分には知られていない。
 そこで本稿では、この「平和への権利宣言」の内容と憲法の平和的生存権との比較、今後の課題などについて簡単に述べたい。

 ◆ 日本が反対した「平和への権利宣言」
 この国連での「平和への権利宣言」採択に向けた取り組みは、2003年のイラク戦争後の2005年以降、スペインのスペイン国際人権法協会が中心になって展開されてきたものである。


 この間、世界のNGOが平和への権利に関する2006年の「ルアルカ宣言」、2010年の「ビルバオ宣言」「バルセロナ宣言」「サンティアゴ宣言」をまとめてきた。
 また、NGOなどが国連人権理事会にも働きかけ、2008年以降、国連人権理事会が関連する決議を採択してきた。
 さらに、2012年には国連人権理事会の下に設置された諮問委員会が、「平和への権利宣言草案」を作成するまでにいたる。
 これは全14条から成り、権利主体を個人と人民とし、国家は平和に対する権利に義務を負い、武力行使・威嚇の放棄と核兵器廃絶の追求、平和的手段による紛争解決を求めている。
 そして、個人と人民には、人間の安全保障(恐怖と欠乏からの自由や思想・良心・意見・表現・信仰・宗教の自由も含む)、大量破壊兵器のない世界に住む権利、包括的平和教育・人権教育への権利、良心的拒否の権利、民間軍事会社・警備会社の制限、圧制に対する抵抗・反対する権利、持続可能な発展に関する権利、安全・清潔・平和的環境への権利、被害者・脆弱な立場のグループの権利、難民・移住者に関する権利を認めるという内容になっている。
 ただ、ここまで内容が多岐にわたるとアメリカは黙っていない。平和の問題は安全保障理事会で扱うという理由で、国連人権理事会における決議に反対し、これにEU諸国やなんと日本も同調してきたのである。
 そこで、「平和への権利宣言」を推進する諸国も妥協し、宣言の内容はかなり抽象的で簡単なものになったが、それでもアメリカなどの反対姿勢は変わらないため、2016年の国連人権理事会ではキューバが宣言の採択に踏み切り、国連総会でも採択されたのである。

 ◆ 全ての人に平和を享受する権利が
 この宣言は全体で5条しかないので、以下、条文全文を掲載しておく(翻訳=本庄未佳)。

 ◎ 平和への権利宣言(仮訳)
 第1条 すべての人は、すべての人権が促進及び保障され、並びに、発展が十分に実現されるような平和を享受する権利を有する。

 第2条 国家は、平等及び無差別、正義及び法の支配を尊重、実施及び促進し、社会内及び社会間の平和を構築する手段として、恐怖と欠乏からの自由を保障すべきである。

 第3条 国家、国際連合及び専門機関、特に国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)は、この宣言を実施するために適切で持続可能な手段を取るべきである。国際機関、地域機関、国家機関、地方機関及び市民社会は、この宣言の実施において支援し、援助することを奨励される。

 第4条 平和のための教育の国際及び国家機関は、寛容、対話、協力及び連帯の精神をすべての人間の間で強化するために促進されるものである。このため平和大学は、教育、研究、卒後研修及び知識の普及に取り組むことにより、平和のために教育するという重大で普遍的な任務に貢献すべきである。

 第5条 この宣言のいかなる内容も国連の目的及び原則に反すると解釈してはならないものとする。この宣言の諸規定は、国連憲章、世界人権宣言及び諸国によって批准される関係する国際及び地域文書に沿って理解される。
 ◆ 日本国憲法の平和的生存権
 ここで、あらためて日本国憲法前文2段にある平和的生存権について見てみる。
 前文2段
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」
 この規定は抽象的で簡単なので、日本では政府や裁判所のように積極的に認めない議論がある。
 一方で、憲法学界では憲法上積極的に認める解釈と認めない解釈がある。
 積極説には、法的根拠として「平和のうちに生存する権利」と明示している前文2段とする説、9条を人権規定と考えて9条によって具体化されているとする説、憲法13条の幸福追求権の中に読み込む説、前文・9条・13条など第3章の人権規定が複合して保障されるとする説などがある。
 この積極説の各種権利内容として、9条(戦争の放棄と戦力の不保持)違反は平和的生存権侵害になるとする説と、9条違反で国民の生命・自由が脅かされたら平和的生存権侵害になるとする説とに分かれる。
 この平和的生存権論の意義は、平和の問題を「政策」ではなく「権利」にしたこと(多数決でも奪えない)、権利主体の拡大(各種訴訟における基地周辺住民から全国の市民へ)、戦争の被害者にも加害者にもならない(加担しない・殺さない)権利へと発展してきたことにある。

 平和的生存権に対する裁判所の態度はどうであろうか。
 長沼訴訟判決(1973年札幌地裁)では、全世界の国民に共通する基本的人権そのものであり、憲法第3章の個別的な基本的人権の形で具体化され、規定されているとし、自衛隊は違憲と判断した。
 これが百里基地訴訟控訴審判決(1981年東京高裁)で、平和ということが理念ないし目的として抽象的概念であり、具体的訴訟における違法性の判断基準になりえないとする。
 しかし、自衛隊イラク派兵差止訴訟判決(2008年名古屋高裁、2009年岡山地裁)では、平和的生存権の具体的権利性を認め、イラクでの航空自衛隊の活動は憲法9条違反とし(名古屋)、徴兵拒絶権・良心的兵役拒絶権・軍需労働拒絶権等の自由権的基本権が内容であるとした(岡山)。

 ◆ 国連の平和への権利と憲法の平和的生存権
 この国連の平和への権利と憲法の平和的生存権とを比べた場合、平和を権利として論じる「権利としての平和」、平和を構造から考える「構造としての平和」と捉える点は共通している。
 一方で、国連の平和への権利国連憲章上の自衛権行使の容認を前提としているのに対して、憲法戦争放棄と戦力不保持を定めており、異なる点もある
 (なお、憲法学界の多数派も政府も憲法9条1項は自衛権行使=事実上の「自衛戦争」までは放棄していないと考え、2項については憲法学界の多数派は自衛隊を違憲とするのに対して、政府は自衛隊は憲法が保持を認めない「戦力」ではなく「実力」にすぎないから、自衛隊は合憲と考える。これに対して、私自身は1項で自衛権行使も放棄し、2項から自衛隊は違憲と考える)。

 ただ、国連で宣言として平和への権利が認められた以上、アメリカなどによる国際法違反の戦争に対する批判がしやすくなるであろう。
 確かに、今回は法的拘束力のない宣言ではあるが、世界人権宣言も定着することで規範力のあるものとして扱われてきたし、国際人権規約に発展していった。
 今後も国連や国際社会の場で平和への権利に関する議論を行い、より具体的で詳細な「平和への権利条約」制定に向けた運動が必要である。その際に、日本における平和的生存権をめぐる理論や運動は参考になるであろう。

 ◆ 積極的平和主義は積極的戦争主義
 先に、国連の「平和への権利宣言」に対して、日本は反対したことを書いた。実はこの先取り的な発想は、2012年に自民党が発表した「日本国憲法改正草案」にある。この中の9条は、国防軍が集団的自衛権も行使できるように変えられており、前文から平和的生存権をばっさりと削除している。

 また、安倍首相がいう「積極的平和主義」(proactive contribution to peace)は、「積極的戦争主義」ともいうべき内容であり、平和学・憲法学で議論されてきた、構造的暴力(国内外の社会構造による貧困・飢餓・抑圧・疎外・差別など)のない状態をめざす積極的平和(positive peace)の追求の考え方とは全く異なる。

 安倍政権は憲法改正を目指しているが、まだ日本国憲法の前文も9条も存在している。このような憲法を有する日本の市民が、国連の「平和への権利宣言」の具体化の先頭に立てるよう、憲法改悪を阻止し、憲法の平和主義理念の実現に向けて運動を展開すべきである。

 【参考資料】
  ・笹本潤・前田朗編『平和への権利を世界に一国連宣言実現の動向と運動一』(かもがわ出版、2011年)
  ・平和への権利国際キャンペーン・日本実行委員会編『いまこそ知りたい平和への権利48のQ&A』(合同出版、2014年)
  ・平和への権利国際キャンペーン日本実行委員会ホームページ
http://www.right-to-peace.com/

『子どもと教科書全国ネット21ニュース 112号』(2017.2)

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