宮城県石巻市大川小の津波被害を巡る訴訟で、学校の責任を認めた26日の仙台地裁判決を受け、同じ悲しみを抱える他の津波訴訟の元原告からは、学校の防災体制強化を求める声が相次いだ。
園児5人が亡くなった石巻市の私立日和幼稚園訴訟(仙台高裁で和解)の原告だった佐藤美香さん(41)は「被告の市と県は判決を真摯(しんし)に受け止めてほしい」と行政側に求めた。
<大川小訴訟>命は戻らぬが公正な判断
津波で犠牲となった児童の写真を並べた横断幕を手に地裁に入る遺族ら=26日午後1時30分、仙台市青葉区の仙台地裁前
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)東日本大震災発生後、長女愛梨ちゃん=当時(6)=らを乗せたバスは、高台にある園から沿岸部へ向かった。佐藤さんは「子どもは先生の言うことを聞くしかない。大人の判断で、助かる命と助からない命とに二分されてしまうようなことがあってはならない」と訴える。
行員ら12人が犠牲となった女川町の七十七銀行女川支店を巡る訴訟(最高裁で敗訴確定)の原告だった田村孝行さん(56)は、元行員の長男健太さん=当時(25)=が犠牲になった。
日和幼稚園や大川小の遺族と「3.11ネットワーク」を結成し、来年2月11日にフォーラムを開く。「失われた命は二度と戻らない。悲劇を繰り返さないために負の財産を教訓とし、安全な社会にしたい」と遺族同士の結束を強めていく覚悟だ。
園児3人が亡くなった山元町東保育所を巡る訴訟(最高裁で敗訴確定)の原告で、一人息子の鈴木将宏ちゃん=当時(6)=を亡くしたあけみさん(51)は「市の主張が認められると、行政が反省する機会が永遠に失われてしまうと思っていた」と話す。
大川小訴訟の遺族と交流を続ける鈴木さんは「自分の息子も、大川小の子も、最後まで先生を信頼していたはず。命が戻ってくるわけではないが、公正な判断だと感じる」と語った。
<大川小訴訟>津波予見できた 学校側に責任
東日本大震災の津波で死亡・行方不明になった石巻市大川小の児童23人の19遺族が市と宮城県に約23億円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁は26日、「教員らは大津波の襲来を予見でき、裏山に児童を避難させるべきだった」と学校の責任を認め、計約14億2660万円の支払いを命じた。学校の管理下で震災の津波の犠牲になった児童生徒を巡る司法判断は初めて。大災害時でも臨機応変な対応を学校に求める内容で、全国の教育現場に大きな影響を与える可能性がある。
高宮健二裁判長は「教員は、自らの判断で避難できない児童の安全を確保すべき義務を負う」と指摘。海から約4キロ離れた大川小は、市の津波浸水予想区域からも外れていたが、「津波が来る7分前の午後3時30分ごろ、市広報車が高台への避難を呼び掛けており、教員らはこの段階で大津波の襲来を予見し、認識した」と認定した。
津波の襲来直前に校庭近くの北上川堤防付近(三角地帯、標高約7メートル)に避難を始めた点については「小走りで1分程度で行ける裏山は学習で児童も登っており、避難場所として何ら支障がない。堤防付近への避難は不適当だった」と結論付けた。
遺族側代理人の吉岡和弘弁護士は「子どもたちの声が届いた。原告らが望んでいた結論、判決を頂いた」と評価した。
亀山紘石巻市長は「結果を重く受け止めている。判決内容を精査し、対応を決めたい」と説明。村井嘉浩知事は「家族の心痛は大きく、思いを受け止めなければならない。市と協議し、対応を判断したい」と述べた。
判決によると、2011年3月11日午後2時46分に地震が発生し、大川小教職員は約45分間、児童に校庭で待機するよう指示。市広報車が高台への避難を呼び掛けた約7分後の午後3時37分ごろ、北上川堤防付近へ向かう途中で高さ8メートルを超す津波にのまれ、児童74人と教職員10人の計84人が死亡・行方不明になった。
遺族は14年3月に提訴し、今年6月に結審した。同地裁で言い渡された津波訴訟判決は6件目。行政の賠償責任が認められたのは、東松島市野蒜小を巡る訴訟(仙台高裁で審理中)に続き2件目となる。
高宮健二裁判長は「教員は、自らの判断で避難できない児童の安全を確保すべき義務を負う」と指摘。海から約4キロ離れた大川小は、市の津波浸水予想区域からも外れていたが、「津波が来る7分前の午後3時30分ごろ、市広報車が高台への避難を呼び掛けており、教員らはこの段階で大津波の襲来を予見し、認識した」と認定した。
津波の襲来直前に校庭近くの北上川堤防付近(三角地帯、標高約7メートル)に避難を始めた点については「小走りで1分程度で行ける裏山は学習で児童も登っており、避難場所として何ら支障がない。堤防付近への避難は不適当だった」と結論付けた。
遺族側代理人の吉岡和弘弁護士は「子どもたちの声が届いた。原告らが望んでいた結論、判決を頂いた」と評価した。
亀山紘石巻市長は「結果を重く受け止めている。判決内容を精査し、対応を決めたい」と説明。村井嘉浩知事は「家族の心痛は大きく、思いを受け止めなければならない。市と協議し、対応を判断したい」と述べた。
判決によると、2011年3月11日午後2時46分に地震が発生し、大川小教職員は約45分間、児童に校庭で待機するよう指示。市広報車が高台への避難を呼び掛けた約7分後の午後3時37分ごろ、北上川堤防付近へ向かう途中で高さ8メートルを超す津波にのまれ、児童74人と教職員10人の計84人が死亡・行方不明になった。
遺族は14年3月に提訴し、今年6月に結審した。同地裁で言い渡された津波訴訟判決は6件目。行政の賠償責任が認められたのは、東松島市野蒜小を巡る訴訟(仙台高裁で審理中)に続き2件目となる。