千葉県原発訴訟の原告と家族を支援する会が6月1日、市川市在住の福島県からの避難者への住宅支援継続を求める請願書(下記)を市川市議会に提出し、議会事務局から「14日か15日に健康福祉委員会で議論する」旨連絡があったそうです。
 
 全市議会議員及び会派に対し、請願を採択するよう働きかけてください。


  市川市議会 市川市議会の6月定例会は、6月10日(金)午前10時開会
         会派別議員名簿 議席順別議員名簿 



[請願内容]
 
 2011311日の東日本大震災に伴い福島第1原発は地震と津波により次々と爆発し多くの福島県民は避難を余儀なくされました。当初は30キロ圏内が避難とされましたが、放射性物質が風に乗って福島県内はもとより千葉県にも降り注ぎ、多くの福島県民は放射能から逃れるために各地を転々とされたと、うかがっています。

 事故から5年を経た現在も福島県内外に97333人、そのうち県外避難者は54174人が避難されています(今年3月福島県災害対策本部)。千葉県には2692人、そのうち公営、仮設、民間賃貸等に1578人(復興庁からのデータ提供2016.4.28)の方が避難されています。

 私たちの住む市川市では区域内外を問わず200人近くの方が来られていると伺っています。住宅支援を受けておられる方もいらっしゃいます。住宅支援は災害救助法に基づいて提供を受けています。

 福島県は来年の3月末で県外区域外避難者(自主避難者)への住宅支援を打ち切ることを決めました。国は「年間20ミリシーベルト以下なら安全」と帰還を促していますが信じられるでしょうか。一般公衆の放射線量限度は年間1ミリシーベルト、放射線管理区域の規制値は5.2ミリシーベルト、放射線業務従業者の線量限度は20ミリシーベルトです。原発は安全、安心と聞かされてきましたが爆発しました。帰っても医者がいない、という方もおられるでしょうし、それぞれの事情で帰れないという方が多くおられます。
 
 ふるさとを思う心はみな同じに違いありません。裏山に行ってキノコやタケノコなどの山菜を採って近所と分け合ってきた、米や野菜は買うことなどなかった、地域の行事など。それらがみな奪われてしまった悔しさ。元の姿に帰してくれれば避難されている方はすぐにでも帰るに違いありません。

 原発事故から5年が過ぎました。福島第1原発は未だ放射性物質は出続けています。私が南相馬市を訪れた時「帰る家は小動物に荒らされ、玄関前にはこれは猪の糞」と南相馬市から避難されている方に教えられました。振り返ると除染した黒い袋の山で景色は一変しています。
100万人に1人か2人と言われている小児甲状腺癌に約38万人中、166人の子供たちがかかっているとの報告。放射能への不安。帰りたくても帰れないと不安を感じている方は多いことと思います。

 鳥取県や埼玉県は避難者への住宅支援継続を決めました。新潟市やつくば市、都内でも小金井市や武蔵野市でも住宅支援の延長や意見書の採択が上がっています。

 331日、千葉地裁で国と東電に対して損害賠償裁判が行われました。事故当時南相馬市原町区に住んでおられて、現在千葉県四街道市に避難されている方からの意見陳述がありました。一部を紹介します。

 国が一方的に線引きして決めた避難区域に属さない「区域外避難者」とされ、損害の賠償がまともに受けられていない。夫の職場が区域内にあり操業が再開できていないこと、ご本人も14年続けた会社を辞めざるを得なくなり退職されたことも話されていました。事故前までは大勢の家族や親せきと楽しく過ごしていたこと、自然への触れ合い、地域のコミュニティがあったことなどが話され、事故によって総て奪われた、とおっしゃっていました。

 来年3月末で区域外避難者は避難先での住宅支援が打ち切られようとしています。市川市にも避難されて住宅支援を受けておられる方がおられます。市川市
は手を差し伸べてください。住宅支援を継続されるようお願いします。