今だから話す 立川短大事件の真相
森本 喬
「立川短大が大変だ!」1970年9月、総務局学事部に激震が走った。学校にやってきた公安警察に4人の女子学生の身上書のコピーが渡され、嗅ぎつけた目立ちたがり屋の職員が学生たちをたきつけて騒動を起こしたというニュースだ。その職員とは私のことである。
当時の立川短大では、入学時に本籍、住所、学歴等のほか、家族の勤務先、友人、愛読書、既往歴等まで書き写真を張った身上調書を提出させていた。その代り秘密厳守が約束され、同窓会の役員と雖も閲覧は許されなかった。
それが、私が公務で日本育英会に出向いている間に、事務局長、庶務課長、教務課長兼員の有力教授の3人組の合意の上、コピーをとられて公安警察に渡されたのだ。
ちなみに、当時は全国的に学園紛争が発生していたが、立川短大にはゲバ学生はいなかった。公務員の立場では3人組に抗えなかった私の上司の係長は、さすがに事態の異常さに思い至り、全てを私に打ち明けたのだが、私は大学の自治云々とは別の現実的被害を懸念した。
当時の立川短大では教職課程を履修して中学の家庭科教員になるものが相当数居た。一方当時も中学の「君が代問題」が存在し、教育実習事務方を務めていた私は、教委校長、教頭の間に「少しでも左がかった学生は取りたくない」という空気があるのを知っていた。それで、何とか存在感を誇示したがる公安警察が件のコピーを教委に回し、印象の悪くなった学生が教員不採用になるのを懸念した。
私と係長は、全期の人組と公安警察を脅かしてコピーを返還させ、何があったかは関係者一同が死ぬまで口を噤むという段取りを合意したのだが、いよいよという時に係長が怖気づいて翻意したので、結局一切を表に出し、暴力には暴力、懲戒免職の予告にはフィアンセとの決別で対応し、コピーの返還と三人組の学生集会での謝罪に漕ぎ着けた。
つまり私は、目立ちたがり屋でも正義漢でもない。
新有会 都庁労働組合本庁支部退職者会 30周年記念文集