2015/03/09         

【国連防災会議】トークイベント
「多様な人々が互いに尊重しながら暮らしていくには 
 〜多様な性の当事者たちと東日本大震災〜」

「セクシャル・マイノリティ」と呼ばれる人達がいる。
同性愛者や両性愛者ら、性的に「多数派」ではない人達のことだ。
身体の性と心の性が一致しない人や、他者に対して恋愛感情を抱かない人らも含まれる。
「多数派」ではない彼らには、東日本大震災後、人知れぬ苦悩があった。
そのままでは埋もれてしまう小さな声を未来に残そうと、東日本大震災の経験談を集めている団体がある。「レインボーアーカイブ東北」だ。
 
 
名前は、多様な性の象徴である「虹(レインボー)」と、英語で記録を意味する「アーカイブ」、東日本大震災の被災地である「東北」から取った。
震災後の13年6月、仙台市のレズビアン団体やゲイ団体が中心となって設立した。
以前から、同じ性的指向をもつ人同士のコミュニティは存在していたが、互いに深く関わり合うことはなかったという。
奇しくも震災での苦難が、互いの交流を生んだ。
 
「震災の中で、セクシャル・マイノリティだからこその困難があった。
当たり前の日常が崩れたことで、セクシャリティのことが生活にも関わってくるんだ、という気付きが多くの人にあったんだと思います」。
ゲイ団体のメンバーであり、レインボーアーカイブ東北に手記を寄せた一人、仙台市の小浜耕治さん(52)は振り返る。
 
「震災で、日常時のちょっとしたことの積み重ねが、緊急の時にはとても重く大きなものになってくる、ということを実感しました。
そういった経験を伝えていかなくては、と思うようになったんです」。
同じく手記を寄せた仙台市のバイセクシャルの女性・MEME(めめ・匿名希望)さん(34)は語る。
 
 
今まで、セクシャル・マイノリティが自らの被災経験を語った記録は、日本はもちろん世界にもなかった。
「阪神淡路大震災でも、既存のコミュニティが破壊され、自分が自分らしくいられる場所を失ったセクシャル・マイノリティは大勢いたはず。
でも、記録に残っていないから、知ることができない。
このままでは、何もなかったことになってしまう。
それが一番つらい。それで、形に残そうと決めたんです」。
当時の決意を噛みしめるように、小浜さんは言葉に力を込める。
 
手記を寄せたある人は、発災直後の余震が続く中、不安を募らせた。
もっと大変な事態になれば、この部屋に他人を入れることになるかもしれない―。
部屋にあった自分のセクシャリティに関する本を慌てて隠した。
また、ある同性カップルは、震災を経験してから、二人の将来を考えるときに「もし災害が起きたらどうするか」ということを強く意識するようになったという。
 
 
しかし、願うほどには、手記の集積は進んでいない。
つらい被災経験を語れずにいる人がいることはもちろん、「セクシャル・マイノリティ特有の難しさがある」とMEMEさんは目を伏せる。
彼らの中には、自分のセクシャリティを隠すため、職業や住んでいる場所を公にできない人も多い。
自分のことを隠しながら、自分のことを語らなければならない難しさが、そこにある。
 
「無理に手記を求めることはしたくない。語れるようになったときに、語ってほしい。
たとえ細々とでも、集積を続けていくことが大事だと思っている」。
小浜さんは、これからも新たな手記を待ち続ける。
 
【手記は、3月18日までせんだいメディアテークでも展示されている】
 
国連防災会議でレインボーアーカイブ東北は、集められた手記をパネル展示するとともに、
在仙の漫画家、井上きみどりさんを招いたトークイベントを3月15日に企画している。
 
タイトルは「多様な人々が互いに尊重しながら暮らしていくには―多様な性の当事者たちと東日本大震災―」。
多様な性の当事者というのは、セクシャル・マイノリティだけを指しているわけではない。
「個性の数だけセクシャリティがある。
結婚に関する考え方だって、つきつめればひとつのセクシャリティ。
社会に暮らすひとりひとりが、多様な性の当事者なんです。
私たちだけが、特別な人間というわけではありません」と、小浜さん。
 
「それぞれの多様さが認められて、ひとりひとりが生きやすい社会になるためには、どうしたらいいか。
学会のような研究発表をする場ではなくて、来た人みんなで話し合い、一緒に考えていく場にしたいですね」。
MEMEさんは願っている。


河北新報