(日本火山学会2014年秋季大会予稿に加筆)
原発の新規制基準の「火山評価ガイド」と適合性審査の問題点
小山真人(静岡大学防災総合センター)
Insufficient guideline and reviews on the volcanic risks to the Japanese nuclear power plants
Masato Koyama (CIREN, Shizuoka University)
原子力規制委員会によって2013年7月に制定された発電用軽水型原子炉の新規制基準には火山リスクに関するガイドライン(火山影響評価ガイド)が含まれ、それに従って既存原発の適合性審査が実施されているが、それらの中身や過程には火山学・火山防災上の数多くの疑問点がある。こうした状況を放置すれば、日本の火山学の健全な発展は言うまでもなく、これまで積み上げてきた火山防災の枠組みや地域社会との信頼関係を大きく損なう懸念がある。ここでは川内原発の適合性審査書類(以下、審査書類)を題材として、その問題点を指摘するとともに火山影響評価ガイドの欠陥についても触れる。
1.カルデラ噴火の再来間隔予測の問題
審査書類には「鹿児島地溝については VEI7 以上の噴火の活動間隔は、最新のVEI7以上の噴火からの経過時間に比べて十分長く、運用期間中における VEI7以上の噴火の活動可能性は十分低い」とあるが、階段図上で噴火間隔が9万年程度に揃うカルデラの集合を恣意的に選んだように見える。鬼界や阿蘇を入れれば話が違ってくる。年代と噴出量の誤差も考慮されていない。とくに噴出量に大きな誤差が含まれうることは、計測経験のある者には常識である。つまり、階段図に見られる規則性が見かけ上のものである可能性を排除できない。
2.「運用期間」の問題
上記の審査書類の記述中にある「運用期間」が、具体的に何年なのか示されていない。ひとつの原子炉は原則40年で廃炉になるとしても、原発サイトとしてあと何百年使うかを明確にした上でリスクを考え直すべきであろう。
3.噴火ステージ推定の問題
審査書類には「噴火ステージの評価を行うことで、現在のマグマ溜まりがVEI7以上の噴火直前の状態ではないと評価」とあるが、Nagaoka (1998) の噴火ステージはカルデラ火山の噴火史を説明する仮説のひとつに過ぎず、確たる根拠を与えるものではない。
4.VEI6程度の噴火の問題
噴火には至ったがVEI7のカルデラ噴火にまで発展しなかった噴火のことが考慮されていない。VEI6規模のものとしては、姶良福山、姶良岩戸、姶良深港、桜島薩摩噴火が該当する。こうした噴火は、本来VEI7のカルデラ噴火に至る要素を備えていたが、何らかの理由で偶然VEI6として終了したと考えることも可能である。同じことは、VEI4~5の噴火についても言えるかもしれない。同じ火山で起きる噴火の規模がまちまちになる理由は十分解明できていない。こうした現状においては、VEI7のカルデラ噴火の実績だけで将来のリスクを判断するのではなく、VEI4~6の噴火も含めてVEI7未遂噴火として扱い、リスクを再計算すべきである。
5.地域防災計画との連携の問題
VEI6程度の噴火が桜島や姶良カルデラで生じても鹿児島市中心部は壊滅的な被害を受けると考えられるが、鹿児島県の地域防災計画は桜島に対してVEI5の大正噴火しか想定していない。つまり、VEI6の噴火が桜島で起きた場合、鹿児島県は防災中枢を失うことになる。そうした事態の中、川内原発周辺から住民を避難させなければならない状況になった時、広域避難の指揮は誰が取るのか? 原発30km圏内の自治体の避難計画だけでなく、県の地域防災計画の想定噴火の改訂が必須である。
6.降下火山灰の最大想定厚さの問題
審査書類には「敷地において考慮する降下火砕物の層厚を15cmとしている」とあり、その根拠としてVEI6の桜島薩摩噴火の降灰実績と数値シミュレーション結果が挙げられている。しかしながら、同規模の噴火として、他に姶良福山、姶良岩戸、姶良深港があり、姶良岩戸噴火で放出された降下火山灰の等層厚線図を見ると、風向きによっては川内原発周辺に1m程度積もり得ることがわかる。少なくとも2倍程度の余裕を見て、降下火砕物の最大層厚の想定は2mとすべきであろう。
7.ラハールの問題
川内原発の北隣には、霧島火山の北麓を水源とする川内川の河口がある。霧島火山で大規模な噴火や山体崩壊があった場合、川内川をラハールが流れ下る可能性が高い。その場合、橋や堤防の被災によって原発への交通が遮断される恐れがある。一方、川内原発付近に大量の降灰があった場合、降雨にともなって原発東側にある山地からのラハール発生も予想される。こうしたラハールのリスクについての考慮が不十分に見える。
8.火山影響評価ガイドの恣意的基準
そもそも適合性審査の基準である火山影響評価ガイドの内容に欠陥がある。どのような数値基準をもってカルデラ噴火の発生可能性が「十分小さい」と判断するかが書かれておらず、曖昧かつ恣意的な基準と言わざるを得ない。12~13万年前以降に動いた活断層上への原発立地を不適とする「地質・地質構造調査に係る審査ガイド」の基準とは対照的である。これと同じ数値基準を適用し、12~13万年前以降に火砕流が達した可能性の高い原発は立地不適とすべきであろう。また、火山影響評価ガイドは、広く火山学者の意見を聞いた上で修正すべきである。
9.モニタリングによる予測可能性の問題
審査書類には「VEI7以上の噴火への発展の可能性を評価し、その可能性がある場合には、 原子炉の運転の停止、燃料体等の搬出等を実施する方針としている」とあるが、実際にVE7以上の噴火を機器観測した例は歴史上ない。つまり、現代火山学は、どのような観測事実があればカルデラ噴火を予測できるか(あるいは未遂に終わるか)についての知見をほとんど持っていない。しかも、地溝帯に位置するカルデラでは、マグマ蓄積の際にマグマだまりが上下に膨らむ保証はなく、ほとんど地殻変動を伴わずに蓄積が完了する場合もありえるだろう。したがって、単純な隆起速度の観測によってVEI7のカルデラ噴火が予測できると考えるのは楽観的すぎる。ましてや、それを燃料搬出の余裕をもたせて噴火の数年前に予測することは不可能であろう。
近年、イタリアのカンピ・フレグレイカルデラや北米のロングバレーカルデラでは実際に噴火未遂事件が起きて大きな社会問題となったが、噴火には至らなかった。こうした未遂事件は、実際に噴火に至る事例よりも桁違いの頻度で起きているとみられる。大規模カルデラ噴火の懸念を抱かせる異常が出現した場合、それが未遂に終わるか否かの見極めは困難であるが、そのつど燃料を搬出することは非現実的である。
なお、審査書類はモニタリングによる大規模カルデラ噴火予知可能性の根拠のひとつとしてDruittら(2012)によるサントリーニ火山のミノア噴火に先立つマグマ供給率推定を挙げているが、こうした研究は事例収集の初期段階に過ぎず、今後他のカルデラでの検討結果が異なることも十分考えられる。個々の火山や噴火には固有の癖があり、その癖の原因がほとんど解明できていないことは、火山学の共通理解である。
10.モニタリングに失敗し原発が火砕流に破壊された場合の被害想定の欠如
モニタリングに失敗し、VEI7のカルデラ噴火の火砕流に川内原発が襲われた場合の被害想定がなされていない。厚い火砕流堆積物に埋まった原発には手の施しようがなく、おそらく長期にわたる放射性物質の大量放出を許すだろう。大規模火砕流の灰神楽(coignimbrite ash)が放射性物質に汚染されて日本列島の広い範囲を覆うリスクも考慮すべきだろう。つまり、大規模カルデラ噴火の発生確率がいかに小さくても、その被害の深刻さを十分考慮しなければならない。厚さ数mから十数mの火砕流に襲われた原発がどうなるかを厳密にシミュレーションし、放射能の放出量や汚染の広がりを計算した上で、その被害規模と発生確率を掛け算したリスクを計算すべきである(小山,2014)。そして、そのリスクが許容できるか否かの社会的合意を得るべきである。小惑星衝突などの人類全体が死に絶える規模の災害の場合は原発があってもなくても同じであるが、大規模カルデラ噴火程度の災害では生き残る人も多数いる。噴火災害を生き延び、かつその後も厳しい未来が待ち受ける人々に対して、放射能の脅威で追い打ちをかけることがあってはならない。
最後に、火山学者全員が「利益相反」(尾内,2013)の問題を知っておくべきことを付記する。
2014/05/28
「利益相反を直視する」
| | by:takaonai |
昨日(2014.5.27)政府が提示した、原子力規制委員会の次期人事案に関連して、「利益相反問題」について昨年の『科学』11月号「科学時評」に執筆した論説を公開します。
(編集部の承諾は得ています)
掲載時には2ページという紙幅の都合で入れられなかった情報も、いくつか補足しておきます。また、関連する情報やコメントをぼちぼち加えていきたいと思います(ただし時間があれば…)
なお、この論説はあくまで利益相反問題を考える上で押さえるべき「原則」が何であるかを考えたもので、「ではどうするのか」という具体論は視野に入れていません。具体的な方策としては、明確な法規制(ハードロー)から、ガイドラインや自主規制など(ソフトロー)まで多様なやり方があり、現実にはそれらの組み合わせで対処していくものになるでしょうが(欧米の事例を見てもハードローとソフトローのせめぎ合い)、残念ながら日本ではまだ、そうしたテクニカルな議論以前に共有すべきものがあると考えたのが本稿の執筆意図だということです。
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利益相反を直視する
尾内隆之(流通経済大学法学部)
福島第一原発事故の後,利益相反(Conflict of Interest)の問題がクローズアップされるようになった。利益相反とは,ある個人(ないし団体)が複数の利害関係を持つときに,そのいずれかの利益を守ろうとする行為がそれ以外の利益を損なう状態をいう。法律用語としては古くからあることばだが,科学研究において問題化したのは比較的新しく,日本ではとりわけ目配りが遅れてきた。
日本学術会議は “3.11” 後の科学をめぐる諸問題の顕在化を受けて,「科学者の行動規範」を2013年1月25日付で改訂したが,そこでは小さいながらも重要な変更がなされている。「改訂版」で「Ⅳ 法令の遵守など」の最後におかれた「(利益相反)16」は,「科学者は,自らの研究,審査,評価,判断,科学的助言などにおいて,個人と組織,あるいは異なる組織間の利益の衝突に十分に注意を払い,公共性に配慮しつつ適切に対応する」(下線筆者)となり,「科学的助言」が利益相反行為の対象として明記されたのである。これは,例えば原子力の安全対策を担ってきた専門家の利益相反が,深刻な事故を招いた一つの要因であったとの評価によるものだろう。実際,福島第一原発事故時の原子力安全委員会で委員および非常勤の審査委員を務めていた89人のうち,班目委員長を含む24人が原子力関連の企業・団体から寄付(奨学寄付)を受け取っており,国や事業者を指導する安全委の中立性が疑問視されていた[1]。また,事故を受けて原子力政策を検討していた原子力委員会の新大綱策定会議でも,原子力を専門とする3人の委員がみな同様の寄付を受け取っており,「原発事故後も安全を強調」といった見出しとともに報じられている[2]。
利益相反の問題は,個人の利害の代理を職務とする専門職(弁護士や投資コンサルタントなど)においては,以前から厳しく問われ,議論が積み重ねられてきた。国立国会図書館データベースで「利益相反」をキーワードに雑誌記事を検索すると,それらの分野の論考が圧倒的に多い。他方,科学の領域では,1990年代の産学連携の広がりと応用研究の展開を受けて,医学研究を中心に検討が始まったばかりである。
科学研究の利益相反に関しては,研究者自身も社会も,依然として認識が甘くなりがちと思われる。クライアントの金銭的利益を直接損ねる業務とは違い,科学研究において,対象となる「利益」が研究者自身ではなく社会のため,公共のためのものだと説明することは難しくない(医学研究では患者の健康という明確な利益があるが)。そこに素人にはわからない高度な専門性という要素が加わることで,「寄付は受けたが便宜はいっさい図っていない」「安全審査にはまったく影響しない」「専門の立場から中立な意見を述べてきた」といった弁明が通用してきたのであろう[3]。
では,そうした中立性は本当に確保されるのか。2007年に,タミフルの服用と異常行動との関連性を検証した厚労省研究班で,委員の大学教授に利益相反が発覚して社会問題化したが,それを受けて厚労省が「薬事・食品衛生審議会」の利益相反対応に関して実施したアンケート調査によると,回答した研究者の2割が,製薬会社から奨学寄付等を受けると各種判断に「バイアスが生じる」と考えていた[4]。実態としては,バイアスが生じても研究者自身がそれを自覚していない場合もあろうし,なお自分は中立であると言い聞かせる心理的機制もはたらくと思われる。
しかし,利益相反を考える上でさらに重要なことは,そうしたバイアスが実際に生じるかどうかではない。問題は,実際にいずれかの利益を損ねたか否かという以前に,利益相反行為だと第三者の目から判断されることである。だからこそ,早くから産学連携が進んだ諸外国の利益相反マネジメントでは,まずは利益相反に関わる情報を可能な限り開示するよう求められ,授受される金銭の額や兼職等に関わる職務規定が細かく定められる。利益相反とは,実際に利益の毀損が生じる前に,まずは見た目によってチェックされる必要があるのだ。対して日本では,実際に「癒着」があったかどうかといった実害のチェックにとどまってきた。(※掲載記事では下線は傍点)
さらに言えば,問題となる利益とは,金銭的利益のみに限られない。利益相反を問うことの本来的な意義とは,ある人にとっての第一の利益(例えば科学における真理の探究)を副次的な利益(例えば出世や学界における名声,学界・業界の維持と発展等々)が蝕んでしまうことへの懸念にある[5]。あるいは,患者にとってより安全な治療法と,医学上の関心から研究者として試みたい治療法との選択といった形で現れるように,学問的探究心すら利益相反につながるケースもある。前者の場合,「副次的な利益」を必ずしも悪とは言えないし(だれもが持つ利益ではある),後者の場合は,第一の利益とは何かという葛藤だと言い換えることもできる。
くわえて,「真理の探究」と,いまただちに必要とされる種々の判断に「真理」が存在することとは,別の話である。“3.11” を通して見えてきたリスク問題の科学的な不定性と,それゆえに用いられる相場感覚的な「工学的判断」等は,「科学」と社会における多様な利益とが交錯することを意味している。こうした「決まらなさ」も,利益相反の問題とつながりがある。
それゆえ,利益相反の完全な排除が不可能であることもまた事実である。そのことを念頭に置くと,クライアントから,第三者から,そして公共政策問題であれば社会全体から,研究者自身のスタンスと判断の妥当性を認めてもらうためには,まずは徹底した形式的ルールの遵守によって利益相反を管理していくしかない。つまり,研究者が「わたしは中立だ」といくら宣言したところで,社会的にはほとんど意味をなさないことが理解される。その種の言い訳が通用するとしたら,「科学者の行動規範」の利益相反条項が配慮の対象とする「公共性」の中身が一義的に定まっている場合のみである。例えばそれは,「国策」としての原子力の必要性や安全対策の妥当性が社会から完全に支持されている場合であろう。そのような状況にないことは,もはや言うまでもない(これまでもそうだったはずだが)。
そもそも,政府による政策推進と,研究者の研究上の利益がそのまま重なっている状態で,本来ならば政策の方向性について異論や対案を踏まえて議論するための審議会(などの会議体)が,利益相反のある専門家に支配されることは異常であり,その政策過程そのものが「公共性」を疑われてよい。利益相反を厳しく問うと専門知を提供する研究者がいなくなる,といった反論はそこで必ず出てくるが,政策が視野の狭隘なコミュニティしかその支えとして持てないのであれば,少なくともそれに見合った規模にいったん縮小することが合理的な判断だと思われる。
いまや,専門知を通して社会と関わる研究者の各人が「公共性」なるものをどのようにとらえているかが,市民から吟味されている。深刻な危機をもたらした従来の対応に異議が唱えられている以上,研究者は自らすすんで,利益相反に関する情報を開示し,民主的な議論の形成を求めてしかるべきである。■
[3] いずれも注1,2の新聞記事において原子力の専門家の発言として紹介されたものである。
※ちなみに、
[1]の記事の見出しは「安全委24人に8500万円」、 [2]の記事の見出しは「原子力業界、1800万円寄付 新大綱策定3委員に」および「原発事故後も安全強調 原子力委議事録 寄付受けた教授」。
[2]には、取材に答えた田中知氏の「研究のために受けている。寄付で、策定会議などでの発言が影響されてはいけないという意識がかえって高まる」という不可思議なコメントが掲載されている。
※新聞記事が発言を忠実に掲載しているとは限らない点に注意が必要なことは、言うまでもありません。
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★ここまでひとまず 2014.5.28 記