布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

ドライブ

2015-03-02


今日は、急遽、開通した常磐道のドライブになった。「何も予定がない」と言う連れ合いが「どこかへ行きたい」というので、それならば開通した常磐道。原発の現地を、となった。

ひょんなことから放射能指数を計ることになり、まず茨城県の中郷SAは
0・16。

 次が福島県最初のPA湯ノ岳で計測したらば
0・23。

どちらも草の上の数値だが、四倉PAの休憩テーブル上は
0・21

ならはPAは
0・15
だった。

ならはPAは、新築されたばかりで、日本サッカー協会のJビレッジが近いことからか、ザッケローニジャパンの選手たちの手型、足型のプレートが並んでいたが、徹底的に徐洗された結果での数値の低さらしくて、そこにいた管理者に聞いたところ「空間線量の高さはある」とのことだった。

開通した常磐富岡から浪江までには「沢入」地区辺りは5・4の数値が表示され、以前として高い。

 浪江で下り、町に出たが、各住居の入口は封鎖され、無住の4年の荒廃が漂う風景には、言葉を失った。
すぐに浪江インターに戻って帰路につき、再び常磐富岡で下りて広野までは国道6号を走ったが、あの日のままにゴーストタウン化した国道沿いの大型量販店は、凄まじい荒れようだった。
草木が延び放題の野山、田畑。無住の家々。いかに徐洗を行おうと、空間線量が高いのでは、そこからもたらされる放射能は、再び徐洗した地を汚さないのだろうか。

 原発に失った国土を目にして、改めて原発は廃止しなければならないと思わされた。


福島行きでの追伸

2015-03-03 | Weblog
昨日、開通した常磐道での放射能指数を書いたが、抜けていたことがある。
ならはPAを出発して常磐道ど1番数値の高い周辺を走っていたとき、車の中での数値は1・4だったかを記録した。
確か、車外には出ないような注意もあったし、直接に空気に触れる二輪車は通行が許可されていないが、あの高さは異常だった。
あの空気を知れば、とても福島原発事故は終息したなどと判るだろう。