米国で市民が原発を廃炉に追い込んだ理由
当事者が、カリフォルニア州原発をめぐる攻防を証言
岡田 広行
福島第一原子力発電所の事故をきっかけに脱原発の動きが起きたのは、すべての原発の廃炉を決めたドイツだけではない。世界で最も多くの原発が立地する米国でも、原発が相次いで廃炉に追い込まれている事態になっている。
このほど、カリフォルニア州でのサンオノフレ原発を廃炉に追い込む活動で、中心的な役割を果たした住民代表と、福島原発事故当時に米国原子力規制委員会(NRC)で委員長を務めた人物が来日した。福島第一原発の事故で始まった脱原発の取り組みと、市民による行動の重要性について、東京都内で講演した。
サンディエゴフォーラム市民側代表で、住宅・都市計画建築家のトーガン・ジョンソン氏。
サンオノフレ原発を廃炉に追い込んだ
「福島原発事故の米国への影響」と題した9月23日の講演会(主催は原子力資料情報室)で講演したのは、サンディエゴフォーラム市民側代表で住宅・都市計画建築家のトーガン・ジョンソン氏と、元NRC委員長のグレゴリー・ヤツコ氏だ。
日本と似る、米原発をめぐる構図
ジョンソン氏は2011年3月11日の福島原発事故をきっかけに、カリフォルニア州で最大規模の原発の廃炉を求める運動を開始。2年後の13年6月4日には、ヤツコ氏や日本の菅直人元首相らを招いて、「福島:カリフォルニアへの現在進行中の教訓」と題した講演会を開催した。その3日後、サンオノフレ原発の廃炉を、電力事業者のサウス・カリフォルニア・エジソン社が決定。現在、廃炉に向けての作業がスタートしようとしている。
廃炉に追い込まれたサンオノフレ原発2号機および3号機(ともに出力108万キロワット、加圧水型軽水炉)が運転を停止したのは12年のことだった。同年1月に3号機で三菱重工業製の蒸気発生器から放射能漏れが見つかったことがきっかけだった。ただ、トーガン氏によれば、「蒸気発生器の不具合は廃炉に向けての最後の一撃であり、稼働の停止はカリフォルニアの住民が原発なしで生活できる証拠となったもの」。同氏は「福島原発事故直後からの住民による粘り強い運動が原発を廃炉に追い込む原動力になった」と述べている。
米国でも、原発と立地自治体との関係は日本と似通っているようだ。ジョンソン氏によれば、雇用の確保を理由に立地自治体が原発の維持を求める構図は米国でも存在しており、福島原発事故直後の時点では「選挙で選ばれた人たちは原発問題にまったく関係を持ちたくないという姿勢を見せていた」(ジョンソン氏)という。
また、福島事故以前の情報の多くは電力会社から提供されたものであり、「原発はクリーンであり、安全で信頼性が高く、コストも非常に安いという楽観的な情報ばかりだった」(同氏)。「電力会社のPR部門のトップが地域の開発計画を担当する行政組織のトップを務めていたことや、地元の商工会議所、NGOや環境団体にまで寄付をしていたことも後になってわかった」ともジョンソン氏は述べている。
福島原発事故はそうした地域社会のあり方に、根本的な転換を迫るきっかけになった。原発事故から2週間しかたたないうちに、8800キロメートルも離れたジョンソン氏の地元で売られていた牛乳からも放射性物質が検出された。ジョンソン氏が立ち上がるきっかけとなった。「3人の幼い子どもを持つ親として、妻と私は日本で起きている原発災害の実情や、私たちの家から48キロメートルしか離れていないサンオノフレ原発の安全性を調べた」とジョンソン氏は述べている。
そして、福島原発事故について関心を深めていく中で、「米国の主流メディアが情報を十分に報じていないことや、米政府の西部放射線監視ネットワークが放射性降下物情報を市民に公開していないこともわかった」(同氏)という。
ジョンソン氏らは原発の立地状況のみならず、カリフォルニア州の津波の歴史や活断層についても勉強を深めた。そこからも多くのことがわかってきた。2基の原発が海岸からすぐ近くに設置されていることや、活断層にはさまれて建てられていること、半径80キロメートル圏内に740万人もの人々が住んでいることをジョンソン氏は知った。
万一の際は莫大な被害額、内部関係者も重大証言
そして半径30マイル(48キロメートル)圏内の都市の住宅価格を用いて市民グループのメンバーらが計算したところ、住宅価格は4355億ドルにも達することがわかった。この額は米国のプライス・アンダーセン法が規定する原発事故時の賠償上限額である126億ドルと比べた場合、その30倍をはるかに上回るものであることから、万が一、原発が大事故を起こした場合には、住民が多額の財産を失うことを意味していた。
サンオノフレ原発の危険性が認識される中で、内部に精通する関係者も証言を始めた。原発労働者が自身や家族の安全に懸念を持ち始めたうえ、サンオノフレ原発の格納容器を設計したチーフエンジニアが、「格納容器は立地条件に耐えうる設計になっていない。40年の寿命が来たらすみやかに廃炉にすべき。20年の稼働延長は認められるべきではない」と地元市議会で発言。「同原発をめぐる深刻な事態が広く住民に知られるようになった」(ジョンソン氏)という。また、日本から福島原発事故後に避難してきた2家族による市議会での発言も、議員による意思決定に大きな影響を与えたという。
ジョンソン氏ら住民の働きかけにより、ロサンゼルス市を含む地元自治体の議会が相次いで再稼働への反対を表明。連邦上院の環境公共事業委員会でも住民を支持する意見が多く上がった。
ジョンソン氏に続いて登壇したヤツコ氏は、NRC委員長として原子力規制行政のトップを務めた人物だ。福島原発事故直後の3月17日に、在日米国大使館は在日米国人に福島第一原発から80キロ圏外への避難を勧告したが、その際にデータを分析して助言したのがヤツコ氏が率いていたNRCだった。
市民による行動の重要性を訴えるグレゴリー・ヤツコ元NRC委員長
そのヤツコ氏の目に、福島原発事故はどのように映ったのか。また、どこに問題があったとヤツコ氏は見ていたのか――。
ヤツコ氏は一連の事故の過程で明らかになった問題として、「避難の計画が非常に脆弱だった」ことを挙げた。そのうえで、「1979年に起きたスリーマイル島原発事故の教訓という点から見た場合、その重要な教訓が学ばれなかった」と言及。「16万人もの人々が住み慣れた故郷を離れざるをえず、家族がバラバラにされる状況は、まったく持って受け入れることはできないものだ」とヤツコ氏は語気を強めた。ヤツコ氏は昨年8月に原発事故の避難指示区域を訪れ、故郷からの避難を強いられている住民からその体験を聞き取っている。
ジョンソン氏に続いて登壇したヤツコ氏は、NRC委員長として原子力規制行政のトップを務めた人物だ。福島原発事故直後の3月17日に、在日米国大使館は在日米国人に福島第一原発から80キロ圏外への避難を勧告したが、その際にデータを分析して助言したのがヤツコ氏が率いていたNRCだった。
市民による行動の重要性を訴えるグレゴリー・ヤツコ元NRC委員長
そのヤツコ氏の目に、福島原発事故はどのように映ったのか。また、どこに問題があったとヤツコ氏は見ていたのか――。
ヤツコ氏は一連の事故の過程で明らかになった問題として、「避難の計画が非常に脆弱だった」ことを挙げた。そのうえで、「1979年に起きたスリーマイル島原発事故の教訓という点から見た場合、その重要な教訓が学ばれなかった」と言及。「16万人もの人々が住み慣れた故郷を離れざるをえず、家族がバラバラにされる状況は、まったく持って受け入れることはできないものだ」とヤツコ氏は語気を強めた。ヤツコ氏は昨年8月に原発事故の避難指示区域を訪れ、故郷からの避難を強いられている住民からその体験を聞き取っている。