元自衛官が「内部文書」元に証言、「私は自衛隊で毒ガスサリンの製造に関わっていた」(2/5)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130531-00010003-kinyobi-soci
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NBC兵器の防護研究
かつて国会で次のような質問主意書が出たことがあった。質問者は参議院の井上美代、緒方靖夫、阿部幸代、畑野君枝の各議員(当時)。質問主意書は第一五〇回国会中の二〇〇〇年一一月九日付で出された。
〈政府、防衛庁の進める核・生物・化学兵器対処研究が、大都市部で公然と行われることに対し、基地や研究施設などの周辺地域住民を始め、多くの国民は不安を持っている。生物・化学兵器の禁止が世界の流れとなっている中で、なぜ今、生物・化学兵器対処研究が必要なのか〉
〈埼玉県大宮市にある陸上自衛隊化学学校は、これまで、核・生物・化学兵器対処研究とのかかわりで、どのようなことを行ってきたのか。(略)明らかにされたい〉(抜粋。地名は当時)
〈埼玉県大宮市にある陸上自衛隊化学学校は、これまで、核・生物・化学兵器対処研究とのかかわりで、どのようなことを行ってきたのか。(略)明らかにされたい〉(抜粋。地名は当時)
これに対し、同年一二月一日付の答弁書で森喜朗総理大臣(当時)は、化学学校について次のように答えている(その部分のみ抜粋)。
〈陸上自衛隊化学学校においては、これまで、NBC兵器が使用された場合の偵察、防護及び除染を行うため、化学防護、化学技術等に関する研究を行ってきた。今後、同学校においては、(略〉引き続き、かかる研究を行っていく予定である〉
きわめて具体性を欠いた答弁であるが、「核・生物・化学兵器対処関連事業」として一九九九年度は二億九〇〇〇万円余、二〇〇〇年度には二四億三六〇〇万円余とゼロが一つ増え、一三年度はさらにその約三倍の七一億八二〇〇万円余の予算が付いている。通算すれば巨額な税金が投入されているものの、「防護」のための活動内容は以上のとおり抽象的な域を出ない。
陸自・化学学校はNBC兵器(下の記事参照)の防護要員であり、「防護」研究のために化学兵器と放射性物質を扱うことのできる日本で唯一の機関である。前身である化学教育隊が化学学校に昇格(一九五七年)してから半世紀余り。現在の学校長は二〇一一年八月に就任した川上幸則陸将補である。(つづく)
◆◆毒ガスとは◆◆
核兵器(Nuclear=ニュークリア)生物兵器(Bio=バイオ)化学兵器(Chemical=ケミカル)の頭文字をとって「NBC兵器」というが、このうち毒ガスC(ケミカル)兵器に属する。生物兵器=B(バイオ)兵器が天然痘ウイルスやコレラ菌、炭疽菌、ボツリヌス菌などの生物剤を用い、自然発生の疾病との区別が困難なのに対して、化学兵器は人の手で開発された毒性の化学剤を用い、弾薬などを爆発させることで一度に多くの人を殺傷する大量殺人兵器である。
外務省総合外交政策局が公表している資料によると、化学兵器として開発された毒性化学物質は大まかにわけ、【1】血液剤(塩化シアンなど血液中の酸素摂取を阻害し身体機能を喪失させるもの)、【2】窒息剤(ホスゲンなど気管支や肺に影響を与えて窒息させるもの)、【3】糜爛剤(マスタードなど皮膚や呼吸器系統に深刻な炎症を引き起こすもの)、【4】神経剤(サリンなど神経伝達を阻害し筋肉痙攣や呼吸障害を引き起こすもの)――などの種類がある。
核兵器(Nuclear=ニュークリア)生物兵器(Bio=バイオ)化学兵器(Chemical=ケミカル)の頭文字をとって「NBC兵器」というが、このうち毒ガスC(ケミカル)兵器に属する。生物兵器=B(バイオ)兵器が天然痘ウイルスやコレラ菌、炭疽菌、ボツリヌス菌などの生物剤を用い、自然発生の疾病との区別が困難なのに対して、化学兵器は人の手で開発された毒性の化学剤を用い、弾薬などを爆発させることで一度に多くの人を殺傷する大量殺人兵器である。
外務省総合外交政策局が公表している資料によると、化学兵器として開発された毒性化学物質は大まかにわけ、【1】血液剤(塩化シアンなど血液中の酸素摂取を阻害し身体機能を喪失させるもの)、【2】窒息剤(ホスゲンなど気管支や肺に影響を与えて窒息させるもの)、【3】糜爛剤(マスタードなど皮膚や呼吸器系統に深刻な炎症を引き起こすもの)、【4】神経剤(サリンなど神経伝達を阻害し筋肉痙攣や呼吸障害を引き起こすもの)――などの種類がある。
第一〇一化学防護隊サリン事件で出動
JR大宮駅から直線距離で二キロメートル近く。中山道(国道17号線)を越えてしばらく行くと、信号の向こうに白い建物が建ち並ぶ。さいたま市北区日進町にある陸上自衛隊大宮駐屯地の官舎である。
信号を左に曲り、広い道路を行くと、やがて駐屯地入口。そこに「化学学校」「第三十二普通科連隊」「中央特殊武器防護隊」の三つの看板が並ぶ。
地下鉄サリン事件発生時、大宮駐屯地からは化学学校とその配下にある第一〇一化学防護隊(中央特殊武器防護隊の前身)が初めて実働派遣された。同じく首都防衛の要とされる第三二普通科連隊を中心にサリン除染部隊が編成され地下鉄駅構内や車両内で「除染」を実施。これは当時のニュースでも報じられ、その活動が評価・称賛された。
一方で事件当時、オウム教団の中に現役の自衛隊員や警察官などの信者がいたことから、オウム真理教と自衛隊の関係に疑惑の目が向けられた。しかし、陸上自衛隊もこのサリンを開発・製造していた(いる)と報じたメディアは当時なかった。当時のみならず現在もなお、自衛隊がサリンなどの毒ガスを製造していることは知られていない。化学学校の活動自体が闇に包まれている。
ところで、その化学学校の法的な位置づけは次のようになる。
地下鉄サリン事件の起きた翌月(九五年四月)に施行された「化学兵器禁止法」(化学兵器の禁止及び特定物質の規制等に関する法律)では、「何人も、化学兵器を製造してはならない」(第三条)とされるが、第三四条によって「特定施設についての特例」が定められている。
特定施設とは、「特定物質の毒性から人の身体を守る方法に関する研究のために特定物質の製造をする施設」を言う。その特定施設に指定されているのが「陸上自衛隊化学学校」であり、そこで製造される「特定物質」の量は「年間十キログラムとする」と定められている(同法施行令第六条)。
下の〈年表〉にあるように、この年(九五年)の九月に日本は化学兵器禁止条約を批准しており、その国際条約に対応するために作られたのが化学兵器禁止法だ。
しかし、男性の証言によれば、その法律ができる二〇年以上も前から、化学学校でサリンが製造されていたことになる。(つづく)
◆◆化学兵器をめぐる条約と日本国内の動き◆◆
1899年 ハーグ陸戦条約発効。戦争における毒物の使用を禁止。
1911年 日本がハーグ陸戦条約を批准。
1914年 日本陸軍が毒ガス調査研究を開始。
1923年 日本海軍が東京・築地に化学兵器研究室を開設。
1925年 ジュネーブ議定書で、戦争時における窒息性ガス、毒性ガス等の使用を禁止。開発、生産、貯蔵は禁止されず。日本政府は署名のみ。
1929年 日本陸軍が広島県大久野島で毒ガスの製造開始。
1937年 陸軍関東軍技術部化学兵器班(のちの化学部)が創設。通称「満州第516部隊」。満州に駐留しマスタードガス、ルイサイトなど製造。
1943年 日本海軍が神奈川県寒川村で毒ガスの生産を本格化。
1945年 第二次世界大戦終結。
1969年 沖縄の米軍・知花弾薬庫で毒ガス漏洩事故。
1970年 日本政府がジュネーブ議定書を締約。
1993年 化学兵器禁止条約、パリで署名式(1月)。同月、日本政府も署名。サリンなどの化学兵器の開発、生産、保有など包括的に禁止。米国とロシアなど保有の化学兵器を原則10年以内に全廃と定める。
1994年6月 松本サリン事件発生。
1995年3月 地下鉄サリン事件発生。
1995年4月 化学兵器禁止法制定。
1995年9月 日本政府が化学兵器禁止条約を批准。北海道の屈斜路湖で旧日本軍の遺棄毒ガス弾発見。
1997年4月 化学兵器禁止条約発効。
1999年7月 日中両政府が「中国における日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書」締結。翌年から処理作業を開始。
2002~03年 神奈川県寒川町、平塚市の旧相模海軍工廠化学実験部跡地から旧日本軍の毒ガス入り容器発見。
2003年 中国黒竜江省チチハル市で旧日本軍が遺棄した化学兵器からの毒ガス流出で1人死亡、43人負傷。
茨城県神栖町の井戸水から旧日本軍の化学兵器に使用された有機ヒ素化合物(ジフェニルアルシン酸)検出。
環境省が「旧日本軍毒ガス等全国調査」結果発表。
2007年 千葉市稲毛区で旧日本軍の毒ガス弾計175発見つかる(2010年まで)。
2012年12月 化学兵器禁止条約締約国は188カ国。
JR大宮駅から直線距離で二キロメートル近く。中山道(国道17号線)を越えてしばらく行くと、信号の向こうに白い建物が建ち並ぶ。さいたま市北区日進町にある陸上自衛隊大宮駐屯地の官舎である。
信号を左に曲り、広い道路を行くと、やがて駐屯地入口。そこに「化学学校」「第三十二普通科連隊」「中央特殊武器防護隊」の三つの看板が並ぶ。
地下鉄サリン事件発生時、大宮駐屯地からは化学学校とその配下にある第一〇一化学防護隊(中央特殊武器防護隊の前身)が初めて実働派遣された。同じく首都防衛の要とされる第三二普通科連隊を中心にサリン除染部隊が編成され地下鉄駅構内や車両内で「除染」を実施。これは当時のニュースでも報じられ、その活動が評価・称賛された。
一方で事件当時、オウム教団の中に現役の自衛隊員や警察官などの信者がいたことから、オウム真理教と自衛隊の関係に疑惑の目が向けられた。しかし、陸上自衛隊もこのサリンを開発・製造していた(いる)と報じたメディアは当時なかった。当時のみならず現在もなお、自衛隊がサリンなどの毒ガスを製造していることは知られていない。化学学校の活動自体が闇に包まれている。
ところで、その化学学校の法的な位置づけは次のようになる。
地下鉄サリン事件の起きた翌月(九五年四月)に施行された「化学兵器禁止法」(化学兵器の禁止及び特定物質の規制等に関する法律)では、「何人も、化学兵器を製造してはならない」(第三条)とされるが、第三四条によって「特定施設についての特例」が定められている。
特定施設とは、「特定物質の毒性から人の身体を守る方法に関する研究のために特定物質の製造をする施設」を言う。その特定施設に指定されているのが「陸上自衛隊化学学校」であり、そこで製造される「特定物質」の量は「年間十キログラムとする」と定められている(同法施行令第六条)。
下の〈年表〉にあるように、この年(九五年)の九月に日本は化学兵器禁止条約を批准しており、その国際条約に対応するために作られたのが化学兵器禁止法だ。
しかし、男性の証言によれば、その法律ができる二〇年以上も前から、化学学校でサリンが製造されていたことになる。(つづく)
◆◆化学兵器をめぐる条約と日本国内の動き◆◆
1899年 ハーグ陸戦条約発効。戦争における毒物の使用を禁止。
1911年 日本がハーグ陸戦条約を批准。
1914年 日本陸軍が毒ガス調査研究を開始。
1923年 日本海軍が東京・築地に化学兵器研究室を開設。
1925年 ジュネーブ議定書で、戦争時における窒息性ガス、毒性ガス等の使用を禁止。開発、生産、貯蔵は禁止されず。日本政府は署名のみ。
1929年 日本陸軍が広島県大久野島で毒ガスの製造開始。
1937年 陸軍関東軍技術部化学兵器班(のちの化学部)が創設。通称「満州第516部隊」。満州に駐留しマスタードガス、ルイサイトなど製造。
1943年 日本海軍が神奈川県寒川村で毒ガスの生産を本格化。
1945年 第二次世界大戦終結。
1969年 沖縄の米軍・知花弾薬庫で毒ガス漏洩事故。
1970年 日本政府がジュネーブ議定書を締約。
1993年 化学兵器禁止条約、パリで署名式(1月)。同月、日本政府も署名。サリンなどの化学兵器の開発、生産、保有など包括的に禁止。米国とロシアなど保有の化学兵器を原則10年以内に全廃と定める。
1994年6月 松本サリン事件発生。
1995年3月 地下鉄サリン事件発生。
1995年4月 化学兵器禁止法制定。
1995年9月 日本政府が化学兵器禁止条約を批准。北海道の屈斜路湖で旧日本軍の遺棄毒ガス弾発見。
1997年4月 化学兵器禁止条約発効。
1999年7月 日中両政府が「中国における日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書」締結。翌年から処理作業を開始。
2002~03年 神奈川県寒川町、平塚市の旧相模海軍工廠化学実験部跡地から旧日本軍の毒ガス入り容器発見。
2003年 中国黒竜江省チチハル市で旧日本軍が遺棄した化学兵器からの毒ガス流出で1人死亡、43人負傷。
茨城県神栖町の井戸水から旧日本軍の化学兵器に使用された有機ヒ素化合物(ジフェニルアルシン酸)検出。
環境省が「旧日本軍毒ガス等全国調査」結果発表。
2007年 千葉市稲毛区で旧日本軍の毒ガス弾計175発見つかる(2010年まで)。
2012年12月 化学兵器禁止条約締約国は188カ国。