Emi Kawaguchi-Mahn
 
政治家にプロを選ぶドイツ人、タレントを選ぶ日本人

枯れ木も山の賑わいは百害あって一利なし

 日本にあって、ドイツにない物はたくさんある。きめ細かいサービス、時間に正確な電車、24時間営業のコンビニ、そして、タレント議員etc。
 私の考えでは、よいサービスと、正確に走る電車は◎。コンビニは便利だけれど、24時間営業でなくてもいいので△。しかし、タレント議員は×の3乗だ。
 先日、ぼんやりとネットのニュースを見ていたら、「アントニオ猪木氏が参院選に出馬」という見出しが飛び込んできてビックリ。

自分の税金と運命を根性だけの政治家に託すのか

 読んでみると、それを石原慎太郎都知事が心強いことだと大歓迎しているという。なんだか眩暈で椅子から落ちそうになった。最近、日本はまだまだ捨てたものじゃないと思い始めていたのに、もう、何が何だか訳が分からない。
 
  7月の参院選でアントニオ猪木の擁立を決めた石原慎太郎・日本維新の会共同代表〔AFPBB News
 まず考えたのは、日本の有権者も、石原都知事と同じように、アントニオ猪木氏が日本の国政に携わるのを頼もしいことだと歓迎しているのだろうかということだ。
 日本には石原氏の他にも、「アントニオ猪木が出るなら、維新の会を応援しよう!」と思う人がいるのだろうか?
 政治というのは、私が言うまでもないが、とても重要なことだ。政治家は、国民の税金を使って、日本国を運営する。しかも、それは膨大な額のお金だ。
 そして、外交にせよ、財務にせよ、エネルギー問題にせよ、そこで失策があれば、その膨大な税金が失われるだけでなく、国が発展しない。あるいは、弱小化する。生活が苦しくなる。
 言い換えれば、私たち国民は政治家に、自らの膨大なお金と運命を託していると言っても過言ではない。
 だから政治家は、その重要な任務を遂行する能力のあるとびきり優秀な人でないと困る。普通の優等生ぐらいではだめだ。庶民感覚も要らない。政治についての知識を十分に持ち、さらに、それを実行に移す実力を兼ね備えた人でなければならない。
 政治についての知識というと、広範な、しかも専門的な知識である。法律も、経済も、外交も、国防も、それがどういう仕組みになっていて、どこで決定され、どういうふうに機能するのかを知っていなければならない。知っているだけではなく、実行できなくてはいけない。
 
 もちろん、国を良くしようという理念も持ち合わせていてほしいが、しかし、おそらく理念だけでは政治はできないので、さらに権謀術数といったようなことにも長けていてほしい。また、ポーカーフェイスや、人心を掌握する力も重要だ。冷静な理論で相手をやっつける弁論の能力も要る。ただし、腕力は要らない。
 これだけの条件を備えた人は、なかなかいない。とはいえ、そういう、総合的な能力を有した、優秀で、心身ともに頑強で、政治家向きの人が政治家になってくれなければ困るのだ。
 
 幸いなことに、政治家を選ぶ権利は、私たち国民に預けられている。だから、私たちはその権利を十二分に利用し、気合を入れて、政治のプロを選ぶべきなのである。それなのに、その貴重なチャンスをかなぐり捨てて、政治の知識など全くなさそうな素人候補者をわざわざ選ぶ人がいるというのが、私には理解できない。

政治の素人を当選させるのは国民主権をどぶに捨てるようなもの

 タレントや落語家やプロレスラーや柔道の選手が、それぞれの道で立派に活躍していたとしても、まさか政治のプロであるはずがない。石原都知事本人も政治を勉強した人ではないが、だからといって、誰もが根性だけで政治家になれると思っているわけではないだろう。
 ピアニストでも、野球の選手でも、科学者でも、成功の背後には、天賦の才能に加えて、果てしない練習(研究)と一方ならぬ努力がある。努力をしても、皆が頂点に立てるわけではない。
 もちろん、やる気だけでは話にならない。教師や弁護士や薬剤師といった、比較的普通の職業でも、やる気だけではなれない。やはり、基礎からの勉強と専門知識が必要だ。
 アントニオ猪木氏が1989年に参院選に立候補した時のキャッチコピーは「国会に卍固め、消費税に延髄斬り」だったそうだ。ちょっと書くのも恥ずかしい。
 そして、その卍固めを叫んだ人間に、たくさんの人が投票したということを書くのは、もっと恥ずかしい。立候補した本人も、そして、投票した人たちも、政治家だけは、他の職業と違って、別に政治のことなど知らなくても、やる気があればいいと思っていたのだろうか。
 やる気だけでなれる職業は、世の中にあまりない。特に、重要な職業にはたいてい試験がある。医者になって人助けをしたい人も、やる気だけではだめだ。人命にかかわる。ピストルを持って悪者を追いかけたいからといって、誰もが警官になることもできない。
 間違った人が行使しては、一般公衆に迷惑のかかる職業は、やる気だけではできないようになっている。
 
やる気だけでなれるのは、それが上手く行使できなくても、公衆にたいした被害のない職業だ。歌が下手な歌手は、売れないだけで、別に株価が下がるわけではない。料理の不味いレストランには客が来ないが、だからといって、外国に領土を取られるわけではない。
 しかし、政治家という重要な職業に、能力のない人がやる気だけで就いては、国難を招く。
 だから、小沢一郎氏が参院選に柔道の選手を担ぎ出したときには、その無責任さに腹が立ったが、選挙結果を見ると、有権者も同じく無責任だった。政治の素人を当選させるような国民は、せっかくの国民主権をどぶに捨てているようなものだ。知的な行為とは言えない。これでは、民主主義が浮かばれない。

強力な政治大国になったドイツの政治家は「国益」を忘れない

 一方、ドイツである。サービスがなく、電車がいつも遅れているこの国で、注目に値するのは政治家だ。日本とドイツの戦後史は、両国が経済大国になったころまでは非常に似ているが、その後、大きな差がついた。
 
 メルケル独首相(写真右)は、米経済誌フォーブスの2012年「世界で最も影響力のある女性100人」の第1位(2年連続)。第2位は米国のヒラリー・クリントン国務長官〔AFPBB News
 今ではドイツは経済だけではなく、政治大国でもある。アメリカもロシアも中国も、そして、かつてあれだけドイツを苦しめたフランスもイギリスも、ドイツを無視して何かを決めることはすでにできない。
 しかも、多くの発展途上国がドイツを頼っている。その一方、環境問題や人権問題でも、ドイツはそれなりのポーズと、地位を保つ。私の目には理想的な発展に見えるが、これは、ことごとく政治家の力である。世界の舞台からどんどんフェードアウトしていく日本とは比べ物にならない。
 ドイツの政治家は優秀だ。討論を聞いても立て板に水、しかも理路整然としていて、そのまま印刷してもいいほど、文章がしっかりしている。理念一筋で正義を貫く政治家もいれば、商売熱心なやわらかい政治家もいるが、どちらも国益などと声高に強調することなしに、しかし、国益を決して忘れてはいない。
 彼らが優秀な理由は簡単だ。たいていは各政党の青年部出身で、若いころから政治の第2軍と言える舞台で鍛えられ、伸し上がってくる。学歴も高い。政治に必要な知識はことごとく勉強しているし、スピーチや討論の仕方も十分に訓練されている。
 政治のプロになりたい者が努力した結果、なるべくしてなるというケースがとても多いのである。
 ドイツという国は、よく見ると立派なことばかりしているわけではない。しかし、イメージ作りはことのほか上手だ。例えば、原発が半分近くに減って以来(半分以上はまだ動いている)、火力発電を増やしており、二酸化炭素の放出は増えているが、クリーンな環境大国というイメージはすでにでき上がっている。
 
日本では、ドイツの原発はすべて止まり、自然エネルギーで頑張っていると思い込んでいる人は多い。環境会議では大気汚染をなくすための旗振り役を務めているが、一方で、中国にとても熱心に車を売っている。
 第2次世界大戦の戦争犯罪に対しても、賠償はすべて拒否しているが、世界はそんなことはつゆ知らず、ドイツの誠実さはいつも尊敬の的だ。世界平和を説きつつ、アメリカ、ロシアに次ぐ世界第3の武器の輸出国であることも、あまり知られていない。
 
 
  BBCワールドサービスの国際世論調査は5月23日、最も好感度の高い国はドイツと発表。昨年1位の日本は今年は4位だった〔AFPBB News
 イギリスのBBC放送恒例の国別好感度の世論調査の結果によると、2013年の1位はドイツである。これら様々なよいイメージ作りは、まさに政治家の実力であると私は思っている。
 政治の下部組織でしっかり鍛えられた者が、競争に勝ち抜いて伸し上がってくるという意味では、民主主義を取っていない中国やロシアも同じだ。
 おそらく、これらの国々の政治家も、ものすごく優秀だろうと想像する。日本も、そういう政治家を選ばなければ、太刀打ちできないのは、自明の理だ。
 だから、今度の選挙では候補者をよく吟味して、本当に日本のために働いてくれる優秀な人を選びたい。知名度のあるタレントやスポーツ選手が候補者として目の前に投げられても、そんな餌に食いついてはいけない。
 変革を遂げつつあるかと思っていた自民党まで、また、そういう餌を投げているので、私はいささかがっかりしているが、これはつくづく有権者をバカにした行為だ。
 
 2013年の今、有権者の意識が変わっていることを、餌を投げた政治家に示してやろうではないか。
 
 
 
川口マーン 惠美 Emi Kawaguchi-Mahn
大阪生まれ。日本大学芸術学部音楽学科卒業。
85年、ドイツのシュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。シュトゥットガルト在住。
90年、『フセイン独裁下のイラクで暮らして』(草思社)を上梓。その鋭い批判精神が高く評価される。『国際結婚ナイショ話』、『ドレスデン逍遥』(ともに草思社)、『母親に向かない人の子育て術』(文春新書)など著書多数。最新刊『サービスできないドイツ人、主張できない日本人』(草思社)好評発売中。ドイツから見た日本、世界をレポートする。
2011年4月より、拓殖大学 日本文化研究所 客員教授