教訓 5年後の私や家族へ 備えの手紙 5人のメッセージ(上)

  あの日の怖い体験、悲しい思い出、胸を締め付けられるニュース。忘れたいことがある。でも、忘れてはいけないこともある。
 東日本大震災は、将来の自然災害から身を守るために、大切な教訓を残した。河北新報社に寄せられた1500通を超える「備えの手紙」の中から、5人のメッセージを紹介する。全ては5年後の私、家族のために…。

河北新聞2013年6月19日
 
◎逃げ道、確認しよう/石巻・佐々木恭花さん

 石巻市鹿妻小4年の佐々木恭花さん(9)は震災で初めて、津波という言葉を知った。
 あの日、一家は高台に避難した後、荷物を取りに自宅に戻った。車のそばにいた恭花さんの足元に水が流れてきた。家族とともに自宅2階に駆け上がり、屋根に上った。
 家の周りが泥水に覆われたこと。海の方で家が燃えていたこと。とても不安だったことをはっきりと覚えている。同じ思いはしたくない。「逃げ道を確認する」「すぐに山や学校に逃げる」と手紙に記した。
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佐々木恭花さん
 
 
◎揺れたら机の下に/仙台・田中朝望さん

 仙台市遠見塚小5年の田中朝望(あさみ)さん(10)は、震災発生当日、学校の玄関先で揺れに襲われた。低い姿勢で揺れが収まるのを待った。揺れる窓ガラスを見ていた。割れて落ちてきそうで心配だった。
 自宅に帰っても余震が怖くて、家の中には入れなかった。その日の夜は車の中で過ごした。
 震災を体験して、揺れたら机の下などに隠れて頭や体を守ることや、非常食や水の備蓄が大事だと感じた。教訓を描いたイラストを文章に添えて、未来の自分に宛てた。
 
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田中朝望さん
 
◎家具の転倒防ごう/仙台・小関キミ子さん

 仙台市泉区の主婦小関キミ子さん(69)は1977年に自宅を新築し、翌年に宮城県沖地震を体験した。その後、家具の転倒防止に取り組んだほか、食料と水を蓄え、ラジオも用意した。
 東日本大震災は、自宅で被災した。激しい揺れで食器類は落ちて割れたが、タンスやテレビは倒れなかった。水道、電気が止まる中で、備蓄品、ラジオは役に立った。
 備えの大切さをあらためて感じた。いつ地震が起きてもいいように、日頃から防災用品などの再点検を心掛ける。
 
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