たんぽぽ舎です。【TMM:No1506】地震と原発事故情報その2-4つの情報をお知らせします
 
┗■1.食の安全を監視し続けて22年―
    民間測定所「たんぽぽ舎」の鈴木千津子さんが語る
     「数百ベクレル程度の食品汚染が、これからも長く続いていくでしょう」
 
福島第一原発事故後、食品の測定依頼が殺到した民間測定所「たんぽぽ舎」。
共同代表の鈴木さんに、事故直後から現在までの汚染傾向の話、そしてこれから起こることについて予測してもらった。
 
福島第一原発事故の発生以降、たんぽぽ舎ではさまざまな商品の放射能量を測り続けている。
 たんぽぽ舎は、チェルノブイリ原発事故の際、食品にどんな影響があったのかにも詳しい。
 たんぽぽ舎の共同代表で、食品の放射能測定を担当している鈴木千津子さんとともに、今後の対策を考えた。
 
今の規制では汚染食品の流通を止められない。
 福島第一原発事故から1年が経ち、たとえば千葉県で肥育されている豚肉のセシウム汚染値は、1キロ当たり2ベクレルから3ベクレルくらいまでに下がって
きています。でも、屠畜する前に畜舎の外を2時間ほど散歩させただけで、豚肉のセシウム値が上がることがあるんですね。ある豚肉のスライスを測ったところ、
同7ベクレルまで上昇していました。
 こうした情報を畜産農家にフィードバックしたところ、畜産農家が「豚は土を舐める」というのです。今では出荷直前の散歩が控えられるようになりました。
 
 1986年に発生したチェルノブイリ原発事故の際、凄まじい汚染が確認されたのは、ヨーロッパ産のスパゲッティでした。原料として使われる「デュラム・
セモリナ」という種類の小麦粉が汚染されていたからなんです。この小麦粉は日本にも輸入されていますので、日本製のスパゲッティからもセシウムが検出され、大騒ぎになったんです。
 そのうち、食べ物からは検出されなくなっていったのですが、今度は脱脂粉乳や、鶏や牛用の餌から検出され始めたんです。人の食べ物用として使いづらくなった原料を、家畜の餌に回したことの証拠でしょう。
 
 今回の福島原発事故で、昨年の秋以降に収穫された国産の小麦からもセシウムが検出されるようになりました。1キロ当たり20ベクレルから30ベクレルです。
 玄米にしても、白米にすれば5ベクレルというものであっても、米糠を測るとセシウムが1キロ当たり80ベクレルから90ベクレルほど検出されました。
 高い数値のセシウム汚染が各地で相次いで確認されているシイタケでは、県ごとに規制をかける基準値が異なっています。その値は国の規制値である1キロ当
たり100ベクレルよりは低く設定されているのですが、ある県では同50ベクレルを上回ると「規制」がかけられるのだそうです。
 すると、濃い値のシイタケと薄い値のシイタケを混ぜ合わせ、全体で「1キロ当たり50ベクレル」以下になるように“ブレンド”する農家が出てきたんです。
こうした“対応”の仕方は、消費者の信頼を裏切るものでしかありません。
 
 ただ、良心的な生産者であるほど、悩んでいるのも、また事実なんですね。千葉県のある畜産農家の方は、1キロ当たり2ベクレルから3ベクレルくらいにまで下がってきているにもかかわらず、出荷前に毎回測定しているんです。でも、
こうした測定にかかる経費を、国や県は保証してくれないのです。(中略)
   (別冊宝島・「食品の放射能汚染完全対策マニュアル2」より抜粋)
 
 
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┗■2.原発立地の自治体が、住民抜きでやってきた「原子力防災訓練」
   -現代思想7月号「特集:被曝と暮らし」の一節を読んで-
                 (東京・T)
 
原発立地の自治体が、住民抜きでやってきた「原子力防災訓練」
-現代思想7月号「特集:被曝と暮らし」の一節を読んで-
//--は本誌からの引用部、[]は投稿者コメント)
 
//--1998620日付け『能登原発とめよう原告団ニュース』に「30キロ圏全域で連絡・測定・避難訓練」という記事がある。能登(志賀)原発の差し止め裁判闘争は1988年に始まったが、これはこの運動の機関誌である。志賀原発は1992に運転が開始された。--この記事には以下のようなレポートがある。
 「同年[*つまり1998]524日、北陸電力志賀原発が立地する石川県羽咋郡市とその周辺の七尾市・鹿島郡の住民600人が家族ごとに自家用車を使い県境を越え、富山県氷見市まで[*山道約20キロ*冬は豪雪地帯?]避難訓練を行った。--//
 
この時の事故想定は「格納容器損傷事故、チェルノブイリなみの放射能放出、そしてベント、30キロ圏内の住民避難」であった。重要な点は、これが、非公式の住民による自主的な避難訓練であるという点だ。
 
つい先日[*つまり20126]、石川県羽咋(はくい)市で「原子力防災訓練」が行われた。住民からの参加はわずか70名。訓練は市内小中学校でも行われたが、あくまで、一般災害の「訓練計画」の枠を出ない。2008年福島の例では「訓練対象・原発から10キロ圏、北風・風速0.7メートル(小さすぎ!)、避難区域「2ロ圏」、屋内退避区域「5キロ圏」」である。もっとひどいのは、「広範囲の原発事故が生じた場合、住民は避難せずに、放射能がふりそそぐなか、炊き出しなどの活動をするよう促される」というのだ(福井県原子力防災計画の例)。なんと馬鹿げた計画か。
 
//--国や電力会社は避難訓練をできるだけ、ミニマムなものに押さえたい。できればやりたくないと言うのがホンネだろう。というのも、それは住民の原発事故への想像力を喚起してしまうからである。現実的なシミュレーションに基づく避難訓練は、ベントの設計にはじまり、ヨウ素剤の備蓄、測定や連絡体制、風速や風向きなど、あらゆる情報を必要とする。こうした情報に基づき事故のシミュレーションを行うということは、原発事故とはどういうものであるか、そして原発とはどういうものであるかをいやがおうにも理解しなければならないということである。--//
 
3.11」以後、原発近くの市町村で避難訓練を行ったところはいくつもあるが、果たして、本当に「原発事故を想定した」訓練を実施したところはあるのだろう
か。先日の羽咋市の小学校の避難の様子が写真入りで記事になった、なんと子どもたちは「口を手で押さえて」階段を下りている。学校が主体的に、かつ現実味をもって事にあたっていないことは明らかだ。
 
//--原発を前提としている国や電力会社原発は、防災の手抜きをすることによって原発のコストを抑える。発電コストが安いことが原発の存在理由だからだ。とすれば、その手抜きは原発が存在するためには必要な、死に物狂いの「不作為」なのであり、運動の賭け金はこの「不作為」をどこまで食い止め、見えないコストを可視化するかということとなる。--//
 
羽咋市では、1998年当時と比較すれば人数はかなり減ったものの、昨年(2011)住民による自主的な避難訓練が実施されており、「せっかくヨウ素剤を保育所・学校に分散配置しているのだから服用訓練を」「バス避難は災害弱者用。大多数の自力避難組を想定せよ」などの改善を市に求めた。いま、日本中で、自治とは何かが問われている。
 
※自主的避難訓練について、羽咋市の「命のネットワーク」HPを紹介したい http://inochi-no.net/index.html
 
 
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┗■3.新聞・雑誌から1つ
 |大飯破砕帯 検討見送り ―関電「資料見つからない」
 └───       (7月4日 東京新聞 より)
 
経済産業省原子力安全・保安院は三日、関西電力大飯原発(福井県おおい町)内を通る破砕帯(断層)が地震でずれるかどうか有識者の会議で検討しようとしたが、関電が関係資料を出さなかったため見送った。安全性を十分確認しないまま再稼働に向けた作業が進むことになり、批判が強まりそうだ。
 未提出の資料は一九八五年の大飯3、4号機の増設申請に向け、関電側が写した破砕帯の写真。一部の専門家が「近くの活断層に連動し、この破砕帯が動く可能性がある」と指摘したため、数週間前から保安院が関電に提出を求めていた。
 会議に出席した有識者は「破砕帯の問題が出てからかなりの時間がたつ。非常におかしな感じだ」などと疑問視。保安院の担当者は記者らに「関電は『探したけど見つからなかった』と回答してきた」と説明した。
 今月中に開く次回会議にも写真が出されなければ、提出済みの資料だけで調べる。場合によっては専門家に現地調査してもらうことも検討する。
 関電は「今でも写真を探している。見つかり次第、提出したい」と弁解している。
 この日の会議では他の原発の破砕帯も検討。関電の美浜と高浜、日本原子力研究開発機構(原子力機構)の高速増殖炉もんじゅの三原発について、保安院は追加調査が必要と判断した。
 今後、関電と原子力機構に調査を指示する。(7/4東京新聞より抜粋)