(東京新聞5/29より)
情報上がらず手詰まり 「最も安全なのは脱原発」
管前首相 国会事故調での聴取
菅直人前首相は二十八日、国会の事故調査委員会に参考人として出席し、東京電力福島第一原発事故で水素爆発など危機的な状況が続いていた発生当初、経済産業省原子力安全・保安院や東京電力から「上がってくるべき情報が上がらず、これでは手の打ちようがないという怖さを感じた」と証言した。事故で国が崩壊しかねなかったとの認識を示し、「最も安全な原発は脱原発」と訴えた。
菅氏によると、発生した昨年三月十一日から東電本店に乗り込む同十五日まで、東電や保安院、原子力安全委員会から、必要な情報がほとんど上がってこなかった。特に、事故対応を主に担うはずの保安院が、東電から積極的に情報を集めないなど「平時の対応しかしていなかった」と苦言を呈した。
ただ、菅氏が直接、事故対応に動いたことで、現場対応を遅らせたとの批判も根強い。この日の菅氏への質問もそうした観点の質問が多かった。
発生翌日、ヘリで福島第一に乗り込んだことについて、菅氏は1号機のベント(排気)が進まない理由を、官邸に詰めていた東電の武黒一郎フェロー(当時)に尋ねても「分からない」と言われたことなどを証言。「現場の責任者と話すことで状況が把握できるのではないかと思った。顔と名前が一致したことは大きい」と述べた。
菅氏が昨年三月十五日朝に東電に乗り込んだ際、社長らを叱責(しっせき)する様子が、テレビ会議システムを通じて現地対策本部にも流れ、士気を下げたとの指摘には、「叱責するつもりはなかった」。直前まで東電が撤退する意向との認識だったため、声が大きくなったといい、「厳しく受け止められたとしたら申し訳なかった」と謝罪した。
官邸から現場に電話が何度もあり、作業の邪魔になったとの指摘に対しては、「私は吉田(昌郎(まさお))所長とは電話で二回しか話していない」と説明した。
事故の責任については、「原発を認可したのも、推進したのも国だ。国策民営。そういう意味で国の責任」と指摘し、東電だけでなく国にも大きな責任があると認めた。
一方、国が原発再稼働を急ぐ現状に対しては、電力会社を中心とする「原子力ムラ」が「深刻な反省もないまま、原子力行政の実権を握り続けようとしている」と指摘。「原発の確実な安全性確保は不可能だ。最も安全な原発(の対策)は、原発に依存しないこと。脱原発だと思った。野田首相や全ての人にそういう方向での努力をお願いしたい」と述べた。
(デーリー東北6月3日より)
原発ゼロでも「なんとかなる」
再稼働問題で管直人前首相語る
管直人前首相は2日、静岡県湖西市内で講演し、原発再稼働問題に関し「場合によっては国民もかなり我慢しないといけない。しかしそういう気持ちをもって対応すれば、止まった状態でもこの夏、何とかなると思う」と述べた。
管氏は「脱原発を進めるかの判断は国政選挙で決め、国民投票に代えて皆さんの1票で日本の方向を決めるのが重要だ」と述べ、原発問題について各政党が態度を明確にし、次期衆議院選や来年夏の参院選の争点にすべきだとの認識を表明。
「しばらく動かそうとか止めようとかいう議論もあるが、最終的に原発をやめるのか、いつやめるのか議論しないといけない」と述べた。
管氏は「最も安全な原発は脱原発。自分の目の黒いうちに原発を世界からなくしたい」と脱原発を目指す姿勢をあらためて強調。「再生可能エネルギーの普及は、国内産業や地域の活性化につながる」とも述べた。
講演のテーマは、首相として中部電力浜岡原発(同県御前崎市)の停止要請を決断した経緯や将来のエネルギー政策。脱原発と浜岡原発の廃炉を訴える湖西市の三上元市長の招きを受けた。