『業績評価裁判を支援する会(岬の会)』から
 ☆ 世教組が勝利報告集会を開催
 11月25日、大嶽さんが所属する世田谷区教職員組合が主催して、業績評価裁判控訴審勝利報告集会が、開催されました(於:世田谷区教職員組合事務所)。
 (略) 他方、大阪のファシスト橋下氏が率いる大阪維新の会は、「教育基本条例」と「職員基本条例」の中で、業績評価で毎年5%のD評価(最下位)を出すことを義務づけ、2年続けてD評価を受けた職員は分限免職(解雇)にするという提案を行っています。業績評価は、今や賃金を左右するどころか、クビキリの選別基準にされようとしているのです。 (略) 裁判の勝利を活用して現場から闘いを起こしていく上で、この日の高橋弁護士のお話は、非常に示唆に富んだ内容でしたので、以下に全文掲載します。
 ☆ 業績評価裁判控訴審勝訴判決報告集会レジュメ<1>
                                                吉峯総合法律事務所
                                                 弁護士 高橋拓也
 <控訴審判決の意義・特色>
 ①評価権者が公正評価義務を負うことを真正面から明快に肯定

 控訴審判決は、一審判決が判示した「評価者は、これら(注 人事考課規則と業績評価実施要領)の定めるところに則って、公正かつ正確に業績評価を行う義務があると解される。」(一審判決49頁)の部分を「原判決の「事実及び理由」中の「第3 当裁判所の判断」の1(1)ア及びイ(ア)ないし(カ)(44頁21行目から57頁25行目まで)に説示するとおりであるからこれを引用する。」として改めて承認した上で(控訴審判決7頁)、実際にも「~、根拠となる事実を欠き、公正評価義務に違反したものと評価すべきである。そして、上記義務に従って評価が行われた場合には、~」(控訴審判決22頁)として公正評価義務違反の有無を審理している。
 おそらく業績評価(人事考課)において評価権者が公正評価義務を負担すべきことを明らかにした初めての高等裁判所レベルでの判断ではないかと思われる。
 この点、東京都側は、本件訴訟の中で公務員の任用関係では問題になり得ず、雇用関係の民間企業でのみ問題になりうる」などと主張して公正評価義務の存在を否定していたが、今後の東京都に対する同種訴訟においては、公正評価義務違反の存在を前提として、公正評価義務違反の有無が主要な争点になっていくことが予想される。
 また、本件訴訟では「業績評価の評価者は、(中略)職員の業績を公正に評価し、業績評価書に記録するものとする。」との規定が人事考課規則上存在していたが、全く同一ではなくても類似の内容の業績評価に関する定めがあれば、他府県や成果主義賃金体系を採用する一般の民間企業における紛争にも公正評価義務の存在を前提とした主張が十分に可能であると思われる。
 控訴審判決を全国的に活用できれば、他府県の教育公務員のみならず、成果主義を理由にした賃金削減圧力に悩まされる多くの民間企業の労働者の救済にもつながる可能性がある。
 ②公正評価義務の履行(不履行)の事実の主張立証責任の分配を明確化した
 控訴審判決は、「上記各絶対評価において総合評価としてC以下の評価をするについては、その根拠として相当な事実が存在することが必要であり、上記不利益との関係において評価の相当性が争われる場合においては、評価権者側において、その存在について主張立証責任を負うと解すべきである。」(控訴審判決8頁)と判示して、不利益につながるマイナス評価については、評価権者側が根拠となる「相当な事実の主張立証責任を負担すべきこと」、言い換えると、被評価者(教職員)側は評価の根拠となる事実の(不)存在の主張立証責任を負わないことを明らかにした。
 裁判実務の上では極めて重要な意義を有している。この点、東京都側が本件訴訟の中で被評価者側が主張立証責任を負担すべきと主張していたところであり、仮にそのような主張が罷り通った場合、折角の公正評価義務が形骸化させられかねないところであった。控訴審判決は、一審判決が判示した公正評価義務の内容を、さらに労働者の権利保障の方向で一歩進めてこれを実質化するものであり、一審判決よりも踏み込んだ判断を行ったものとして高く評価できる。
 私見であるが、「評価の相当性が争われる場合」を裁判上に限定する必要性は全くないのであるから、訴訟提起前の人事委員会や苦情申出の段階ではもちろんのこと、管理職による業績評価の結果の説明の段階においても被評価者の側から適切な説明を求めることが可能ではないかと考える
 なお、業績評価制度そのものは本件訴訟の提起後に変更が加えられているものの、上記の控訴審判決の判示の「総合評価としてC以下の評価」の部分を「不利益につながるマイナス評価と読み替えることが可能であり、変更後の業績評価制度についても控訴審判決がそのまま該当するものと考えられる。
 ③「業績評価」と「管理職による指導」との関係を明確化した
 控訴審判決は、「人事考課規則に基づく業績評価のうち第1次評価者及び第2次評価者による評価は、教育職員の指導育成を目的として当該教育職員の所属する学校の校長及び副校長等によって行われるものであるから、当該評価において消極的な評価の根拠とされる事項は、指導を要する事項でもあり、これに対応して何らかの指導が行われることが当然に予想されるのであり、したがって、評価権者が認識していながら指導の対象としていない事項は、指導を行わなかったことについて特段の事情がない場合には、格別の指導の対象とするまでの必要がない事項であったと推認することができる。」(控訴審判決8~9頁)と判示して、業績評価において「消極的な評価の根拠とされる事項は、指導を要する事項でもあ」ることとして「業績評価」と「管理職による指導」とは相互に密接不可分の関係にあることを明らかにした。
 この点、東京都側が本件訴訟の中で臆面もなく両者は無関係であると主張していたのが、控訴審判決により根本から否定されたと言える。
 また、控訴審判決が「評価権者が認識していながら指導の対象としていない事項は、指導を行わなかったことについて特段の事情がない場合には、格別の指導の対象とするまでの必要がない事項であったと推認することができる。」との一般常識に合致した経験則を判示したことによって、評価権者側は「指導を行わなかったことについての特段の事情」の主張立証責任を負担することになったという裁判実務上極めて重要な意義を有している。事実上、管理職の能力不足、不作為、怠慢を棚に上げた評価権者側の主張を封じることにつながるものであり、これは今後の同種訴訟でも評価権者側から展開されることが予想される卑劣な試みを無力化する意義を有するものとしても高く評価できる。
 さらに進んで、管理職が教職員の教育現場における教育活動の全てを認識し、なおかつこれを全て指導することなど物理的に到底不可能であるという教育現場の実態が明らかになっていけば、その時にはそもそも業績評価制度の適切な運用、実施などはフィクションであり実際には不可能であるということの証明にもつながり、ひいては業績評価制度の廃止へという最終目標に向けての重大な第一歩となりうる意義を有していると言える。
 ④「教育職員職務実績記録」の位置付けを明確化した
 まず、控訴審判決は、一審判決が判示した「本件措置要求に係る審理の内容としては、都教委から意見書が提出されたが、本件各評価の基礎資料である本件職務実績記録は提出されなかったこと、原告から関係者の審問要求がなされたが、同審問は実施されなかったことを認めることができるにとどまり」(一審判決82頁)、「本件判定は、その審理手続において適正なものではなく、そのことが判断の前提となる事実関係の把握において正確性に欠けているという重大な瑕疵があるものということができ、都人委に認められた裁量の範囲を逸脱した違法がある」(一審判決83頁)との判断を「原判決の「事実及び理由」中の「第3 当裁判所の判断」の1(2)(80頁7行目以下)に説示するとおりであるから、これを引用する。」(控訴審判決22頁)と判示して何ら変更を加えることなく維持した。
 これにより、人事委員会における措置要求の手続の中で同委員会が評価権者側に対して評価の根拠となる職務実績記録(これが存在しない地方自治体の場合にはこれに代替する資料)を提出させることが事実上必要不可欠になったという意味で極めて重要な意義を有している。
 また、私見であるが、「判断の前提となる事実関係の把握において正確性に欠け」ないようにすることを人事委員会の審理の局面だけに限定する必要性は全くないのであるから、苦情申出の段階ではもちろんのこと、管理職による業績評価の結果の説明の段階においても被評価者の側から「判断の前提となる事実関係の把握において正確性」を担保すること(あるいは担保されていることの確認)を目的にして、職務実績記録の早期の提出を求めていくべきではないかと考える(これを管理職が合理的理由もなく拒否した場合には、後付けの捏造が疑われることになろう)。
 次に、控訴審判決は、「上記の職務実績記録の作成の趣旨等からすれば、本件職務実績記録に記載していない事実については、吉村副園長において、業績評価の根拠とするには足りない軽微な事実として認識していたため被控訴人に対する業績評価において格別の考慮をしていなかったことが推認できる。」(控訴審判決10頁)と一審判決よりも踏み込んだ判示をした。
 この点、東京都側は、本件で職務実績記録は標準的な様式、備忘録に過ぎないと主張していた。控訴審判決は、一審判決よりも職務実績記録の記載に対し、業績評価の根拠となった事実の有無のメルクマールとなるという積極的な意味付けを与えるものであり、極めて重要な意義を有する。もっとも、職務実績記録に記載さえあれば何でも正当化されるといった評価権者側の濫用を防止するための措置も検討する必要があるであろう。
 
 (続)
『業績評価裁判を支援する会(岬の会)』(2011/11/26)http://misaki2010kai.blog58.fc2.com/blog-entry-70.html