《1・10都高教退職者会による最高裁要請行動から》
最高裁判所第一小法廷裁判官殿
 ◎ 教員は「上のだれか」がきめたことを
ただ黙々と実行するだけの存在と化してしまった
国歌斉唱義務不存在確認等請求訴訟(予防訴訟)
上告人兼申立人 青木茂雄

 2003年の「入学式・卒業式等における国旗掲揚・国歌斉唱の実施について(通達)」(10・23通達)以来、東京都教育委員会(都教委)は、卒業式・入学式での「国歌斉唱」時に、「国旗に対して」起立斉唱することや「ピアノ伴奏」をすることを内容とする教職員ひとりひとりに対する職務命令を校長に発出させ、違反者に対しては厳しい懲戒処分を重ねてきました。その数は2011年5月現在、延べ437名に達しています。また、「職務命令違反」を理由に60名を越える教職員が定年後の再雇用を拒否され、生計の手段を断たれています。
 2004年1月30日に東京都立学校の教職員228名が東京都を相手取って起立斉唱・ピアノ伴奏命令無効確認請求訴訟(国歌斉唱義務不存在確認等請求訴訟)を提起しましたが、この時はまだ、上記の被処分者や再雇用拒否者はでていませんでした。処分が出ていない段階で起こした訴訟を私たちは「予防訴訟」と呼びましたが、この通称には自らの精神的・経済的な不利益を自ら予防するという意味がこめられていました。


 しかし、私たちはそれだけでなく、東京の教育状況がこれ以上悪化するのを未然に防ぐという意味もこめてきました。それだからこそ、400人を越える多数の人々が原告に名を連ねたのです。これらの人々の共通の思いは、「東京の教育のこれ以上の悪化を防止したい」ということでした。
 しかしながら、10・23通達を契機に、東京の公立学校の教育の状況は大きく変わってしまいました。私たちの当時抱いていた杞憂は現実のものとなってしまったのです。
 職員会議で教育に関する議論が沸騰することはいっさいなくなりました。職員会議はただ決まったことの伝達の場と化しました。教員は生徒を目の前にしてあれこれと思案し試行するのではなく、ただ「上のだれか」がきめたことをただ黙々と実行するだけの存在と化してしまいました。
 都教委の文書は教員を生産現場の「ライン」ど呼んではばかりません。また、卒業式・入学式だけでなく、授業をはじめとする日常の教育活動も「経営支援センター」から派遣される都教委職員の監視のもとにさらされています。

 さらに、ここ数年の間にコンピューターによる*教育現場のオンライン化が進行しています。個人情報の漏洩防止を口実とした教育活動のさらなる規制が進行しています。「都立高校新改革推進計画」の中に盛られている「教科主任制度」と相俟って、教育内容のマニュアル化・コンピューター管理が現実のものとなろうとしています。
 教育が「教師と子どもとの間の人格的接触を通じ、子どもの個性に応じて弾力的におこなわれなければならない」(旭川学力テスト事件最高裁判決)が、単なる画餅と化してしまおうとしています。このようなことがすべて10・23通達以降の教育現場の現実です。これが都教委の言う「教育課程管理」の実際の姿です。
 最高裁判所におかれては、このような教育現場の現実を念頭に置いた上で慎重審理をしていただきたく、以下の諸点を要請します。


 1.一審、二審で争点となった事実を審査し、法の趣旨に則り、納得の行く公正な判断をしてください。
 2.当訴訟は、10・23通達及びそれに基づく職務命令が教育基本法旧10条(現16条)に規定する「教育に対する不当な支配」であると主張し、二審判決が旭川学力テスト最高裁判決の判例違反としています。この点を厳正に審査してください。
 3.憲法19条以外にも、教育の本旨に基づき、憲法23条、26条も憲法判断してください。
 
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