◎ 教師への強制は子どもへの強制の道
堀尾輝久[東京大学名誉教授]

 いわゆる「10・23通達」、さらに教育基本法改悪を機に、教師への君が代の強制が強まり、それをめぐる裁判も続いている。判決には、地裁・高裁でいくつかの原告勝訴判決を除けば納得できないものが多いが、なかでも今年に入ってから、最高裁での5月、6月、7月と立て続けの合憲判決には唖然とした。
 判決では、教育委員会の職務命令や処分の違憲・違法性を問う原告の主張に対して、内心と外部行為を区別する論理に立って、教師への起立・斉唱の強制は思想信条の自由を侵すものではないと判示した。憲法19条の解釈が最高裁判決によって、このようなものとして定着していくことは、学説上からも、またその影響の大きさからも問題である。事実、3つの小法廷での、2名の反対意見と7名の補足意見がつけられたことも記しておかねばならない。
 判決に共通するもうーつの問題は、職務命令による教師への起立・斉唱の強制が、生徒への強制に通じ、その精神発達の自由を侵し、学びの権利に枠をはめることにならないかという争点については、いずれのず判決も、なんのコメントも判断も示していない点である。


 仮に内心の自由とは無関係だとして、それではなぜ起立・斉唱という外部行為を強制するのか。教師は教育公務員であり、学習指導要領を実施させるための職務命令だというのなら、それを実施させること、そして、それに従わない教師を不適格教師として排除するための手段だということにもなる。
 起立・斉唱という行為は生徒にも求められている。生徒に対しては、君が代の歴史を教えることも、歌いたくない人は歌わなくてよいと告げることも禁じられている。これをも、生徒に対して強制するものではないと言えるのであろうか。
 さらにまた、生徒にとっても起立・斉唱は外部行為であり、君たちの内心の自由は守られていますと強弁できるのであろうか。
 君が代が、学校での式典で押しつけられることによって、誰の何が侵害されるのか。
 教師の人権だけではない。生徒の、つまりは子どもの権利が問題になる。父母の思想信条の自由ともかかわってくる。

 命令の直接の対象は教師である。教師も人間であり、思想信条の自由はみとめられている。このことは判決も、そして、教育委員会も否定はしない。しかし行政当局は、教師は公務員だからその自由は制約されるとして職務命令の合法性を主張し、判決は、外部行為への強制は内心と区別されるものであり、それへの命令は思想信条の自由を侵すものではないと判示しているのである。
 行政当局のねらいの一つは、行政の命令に従わないものは排除することにある。東京都教育委員会の事例や、橋下大阪府知事の処分条例への執念は、そのことを、あからさまに示している。

 そして、もうーつのより重要なねらいは、愛国心教育の柱として、生徒のやわらかな心にくり返しすり込み、しみ込ませることをとおして、抵抗なく「国旗・国歌」を受け入れさせることにある。
 もし教師に、職務命令に従い、子どもたちに卒業式に起立・斉唱を実質的に強要することが求められているとすれば、生徒たちは自分たちの思想信条の自由を侵されることになるのではないか。憲法19条の思想信条の自由は、けっして大人だけの自由ではない。
 しかも、発達途上の子どもにとっては、いっそう丁寧な配慮が必要なのだ。子どもたちは、その思想・良心、ひろくはその精神が形成過程にあるのであり、問いを問い続け、試行錯誤をくり返し、選び直しながら、他者との関係の中で自己を形成していく。その発達のフレキシブルなプロセスを含んでの精神の自由であり、それは奪われてはならない子どもの権利の中核なのである。
 子どもは未熟だから、自分で判断する力がないのだからとして、やわらかでしなやかな心に、権力をもつものが、政治的な思惑のもとでの枠づけを与えることは、その将来にわたって、精神の自由の大きな制約を与えることになるのではないか。それは子どもの権利の侵害であると同時に、その将来にわたっての精神の自由の侵害になるのではないか。
 だからこそ、子どものこころとからだのゆたかな成長発達のためにこそ、大人たちの、とりわけ教師の精神の自由と教育の自由が尊重されなければならない

 教育の自由が、なにを教えてもよい自由などとは違うものだということも明白である。教育実践における自由は、真理・真実を価値基準とし、子どもの発達にそくしての方法的価値を含む教育的価値に方向づけられた自由だといってよい。
 真理の教育といえども、押しつけや強制はなじまない。ここでも、教育となにか、子どもの権利とはなにかが問われているのである。
 教師への強制が、生徒への強制に通じていることも明らかであろう。

 ほりお・てるひさ
 1933年生まれ。日本教育学会会長、日本教育法学会会長、民主教育研究所代表などを歴任。1994年、フランス政府よりパルム・アカデミック章を受賞。著書に『教育に強制はなじまない』(大月書店)、『人間と教育 堀尾輝久対話集』(かもがわ出版)、『現代教育の思想と構造』『現代社会と教育』(岩波書店)、『子育て・教育の基本を考える』(童心杜)、『未来をつくる君たちへ」(清流出版)ほか多数。


 『月刊クレスコ』2011年10月号